「かなえたい夢」を書き殴る。
僕は、大抵、ニコニコしている。
でも、大概、腹を立てている。
しかし、アンガーはマネジメントしなくてはならない時代だ。
6秒間待ってみる、収まらない。1時間待ってみる、沸々と煮えている。かれこれ、20年は待っている。しかし、グツグツと怒りはたぎり続けている。
僕の夢は怒りに満ちている。
僕にも夢がある。働きに行くことが不幸へつながる組織が無くなることである。
僕にも夢がある。たかが仕事とギスギスせず、されど仕事と誰かの役に立とうとする。そんな組織をつくることだ。
不幸になりに働きに行くなんて馬鹿みたいな話じゃないか。
それに怒っている。
豊かな日本に生まれたから、生活のために働く時代に終わりを告げたい。
そして、生活を彩るために働く時代を始めたい。
やれ、自己責任だ。やれ、当事者意識だ。そして、やれ、成功だ。
巷の成功は、おそらく競争上の物語である。だから、誰かが負けなければならない。負けるのはいい。でも、見下すことは要らない。
『武漢日記』にこんな一節がある。
豊かさは「わかちあえる」ことだ。
競争と生活を同じお釜で煮る必要はないと思うのだ。競技にはスポーツマンシップがあるじゃないか。
こんなふうに、ビジネスマンシップがあったっていい。
いいビジネスをしよう。いい会社をつくろう。
良い会社をつくることは、決して理想ではない。優しさや人情という感情論でもない。ただ賢い選択である。
従業員は、かなしくても、きっと笑う。大丈夫じゃないのに「大丈夫」と答える。彼らの今と過去の言葉は信用できない。善良な人材は我慢強い。だから、観る。彼らの顔を。だから、聞く、声なき声を。
頑張っているやつが馬鹿をみる組織であってよいのか。
優しき人にハズレを押し付ける組織であってよいのか。
否、否、否。三度、否。
それに怒っている。
僕が磨くこの腕は、誰かを突き落とすためではない。
この耳は、組織が軋みはじめた音を聞くためにある。
この目は、誰かの可能性を、見るためにある。
この口は、「さぁ、いこう」と希望を歌うためにあるのだ。
従業員の充実なくして顧客満足は無い。顧客満足なくして組織の永続は無い。
だから、虎視眈々と狙う。組織の不条理を喰い破ろうと。ニコニコ顔で、上機嫌をまとって。
幸福論を書いたアランは「私は義務の第一位に上機嫌をもってくるにちがいない」と云った。イギリスの作家であるサッカレーはこう云う。
僕は上機嫌を戦闘服としてまとう。携える武器は人事総務で磨いている「理と情」だ。
進む道は先人が示している。
僕にはMVVなんて要らない。これでいい。これがいい。
僕には夢がない。
良い会社づくりはプロセスでしかない。土台でしかない。
しかし、その上で従業員が夢を語れる、夢を咲かす、そんな組織をつくりたい。
そして、真似されたい。どんどん真似されたい。
そうして、また言うのだ。
「良い会社づくりは、ただ賢い選択」だと。
不幸になりに働きに行くなんて馬鹿な話。
そんな話を終わらせた暁には「えっへん」とドヤ顔をきめてやる。