会社に評論家がいるのなら大事したほうが良いと思います。
「評論家」という言葉がとても貶められていると感じます。
しかし評論家足りえない知識で足を引っ張る人がいるのも事実です。
評論するには知識と知的であることが必要です。知識と経験だけでいえば「顧問」や「ご意見番」という表現になりますでしょうか。
価値・善悪・優劣など批評するには知識と知的態度でつくられた「ものさし」が必須です。批評の精度が高まるほど仮説の精度が高まります。このVUCAといわれる時代に満場一致なんてあるのでしょうか。経済学者のピーター・F・ドラッカー氏はこう指摘します。
会社に評論家足る人がいるからこそ、いろいろなアイディアが初歩的なミスや致命的な失敗からのがれ、活かすことができるのではないでしょうか。
アドバイスや批評のみだろうと、率直に言えるということが心理的安全性でしょう。
評論家と批判するだけで何もしない人は分けて考えるべきではないでしょうか。「評論家はいらない」という言葉は、意見の封殺ともいえるのではないでしょうか。
しかし評論家足る人には、そうそうなれるものではないので、気持ちは分かります。ですが評論家足る人がいるなら、それは財産だと思います。
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