これからも、支え合い
あら、もうこっちにこようっての? そんなの、早すぎるわ。まだまだ、わたしは、認めないわよ。子どもや孫だって、認めないに違いないわ。紗智子母はそんなにやわじゃない、って、言うに違いないわ。だから、まだ、だめよ。
夢枕に立つ一恵の声が響いて目が覚める。けれど、どこにも一恵はいなかった。
私もずいぶん耄碌したわ。
そんなことを思いながら時計を見ると、まだ深夜の二時であった。再び布団に入ろうとするが、水を飲みに台所に向かった。
一恵の声を聞いたのは、およそ一年ぶりだった。まだ、一年……。
ルームシェアを始めて四十年は経ったと思う。学生からの付き合いだから、初めて会ったときから言えば
もっとか。
その四十年に比べれば、一年なんてあっという間だと思うのに、ずいぶん長いように感じてしまう。
私の一部が欠けてしまったようなこの気持ちは、きっと老夫婦でも感じるものなのかもしれない。けれど、私たちの場合はそこに愛があるわけではなく、ただの同志であって、相棒がいなくなった、そんなさみしさを覚えた。
里親になって二人で育て上げた子どもも立派に一児の母親となり、今ではその息子さん夫婦と一緒に暮らしている。ときおり顔を出しては他愛もない話しをしたり、一緒に飲んだりもしていた。一恵のほうはお酒には弱いから、先に参っていたけれど。
料理が上手な一恵は、まさに胃袋をつかむ感じで多くの男性と付き合っていたが、ある意味最終的につかんだ胃袋は私で、なんだかなぁ、というわりには、激しい男遊びは変わらず、歳を重ねるごとに色気を増して、ずいぶん歳の下の男とも恋人になったりしていた。
そんな一恵も、病気になってからは一気に体が衰えてしまい、それでも快活な口調は変わらず、ただ、ときおり、陰で泣いている姿を見ることはあったけれど。そんな姿は、表には出さなかった。
いつの間に認めた遺書を渡されたときにはびっくりしてすぐに返そうとしたが、
「まあ、持ってなよ」
笑顔でそういう一恵を見ると、わかった、と言って、そのままもらった。
その後、何日かして急変してしまい、あっという間にこの世を去ってしまった……私を、置いて。
私は、一恵ほど、強くない。
弱さを見せない、ほどの、あんなふうには、生きていけない。
遺書にはこれまでの感謝や日々の疲れ、すぐにはきちゃだめよ、なんてことも書いてあった。
そうしてすべてが終わり、一年。私も、もう、疲れてしまっていた。
あぁ、けれど、そうね。
すぐにきちゃだめよ。
一恵の願いがそれであるならば、少なくても、自分から諦めてしまうのはだめだ。
どこまで、生きられるかわからないし、いつまで、こうして思えるかもわからないけれど。
きっと、最期まで生きようとしていた姿を、一恵は見ていてくれるだろう。
がんばったね、と、迎えてくれるはずだ。
これまで、四十年、そうやって一緒に支え合ってきたのだもの。
また、私が、だめになりそうなときには、声をかけてちょうだいね。姿を見せてくれてもいい。
ありがとう。
まだ、生きてみる。
私は、ふっと、息を吐いて、水を飲み干すと、期待もこめながら、再び、布団に、入った。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。