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糸 ~お墓参り~

「さぁ、行きましょうか」

 姉はそう言うと、涼しげな顔で外に出た。汗を拭う。私は空を見上げると、ためらいつつも一歩踏み出した。

 日差しは、すべての生き物を殺したい、と願っているのかと思うほど、その身を熱く震わせていた。それでも姉はどこか楽しそうに、今に鼻歌でも歌いそうな様子で歩いていた。後姿からでも、容易にわかるほど。足の重い私とは違って軽やかに、顔を沈みがちな私とは違って上機嫌に、歩いていた。何をそんなに浮かれているのだろう。わからない。今日は、あぁ、そうだ。今日は、お墓参りに行くんだった。

 特別、行かなければいけないわけでもないお墓参り。親戚が集まるわけでもない。個人的な用事で行く、いや、用事もないように思う。ただ、個人的に行く、お墓参り。せっかく、今回は夏なのだから、彼岸の時期に合わせればいいのに、と思うけれど、それはまた違うらしい。

 この前予定していたときは雨で行けなかったからなのかな。こんなに浮かれているのは。わからない。どうなんだろう。合っているのかな。姉の考えに、少し、近づけたのかな。……わからない。

 ふいに、姉は立ち止って、右手を空に投げた。ように見えたけれど、実際には右手を空にかざしただけだった。溢れていく光に包まれる手がまばゆいほど輝いていて、そのまま吸いこまれていきそうだった。こぼれていく光が影さえ消していきそうに思えて、そのまま、姉が、どこかへ消えてしまいそうで怖かった。そんな私の想いをよそに、まるで何事もなかったかのように歩み出す姉を見ていると、なんだか胸の中がもやもやとした。

 この気持ちは、どこから来るのだろう。わからない。背中にまとわりつくような気配が気持ち悪い。怖い。あぁ、まただ。どうしても、考えてしまう。ぐるぐると、めぐってしまう。どうしても。何もかも知ることができれば、わからない、なんてことがなければ、こんな気持ちにならないのだろうか。わからない。姉は、姉なら、姉のように、なれれば。でも、本当に、こんな気持ちにならないのだろうか。姉は、他の人、は。本当に? なんだろう、それも、違う気がする。

 まだまだ墓地まではかかりそう。顔を上げた先に見える姉も、空も、雲も、何にも変わらないように見えた。時間が経っていないようにも思えるほど。初めて姉について行ったのはいつのころだったろう。もう思い出せない、けれど、ひどく後悔していたのは覚えている。だから、まだそんなに体力もなかったころなんだろう。何を思い出に浸っているのか、私は。あぁ、でも、そうだ。姉は、いつでも楽しそうに歩いていた。疲れなんて、見えないほど。

 沈黙が、なんだか耐え難い。かといって、

「やっぱり、天気がいいと気持ちがいいわねぇ」

 日差しはちょっと厳しいけれど、あれこれ考えている私をよそに、軽やかな調子で、何事もないかのように。ぷっつり、と切れた思考が、早く紡ぎ合わさりたいかのように、別の何かを連れてくる。かといって、私にはどうしようもなかった。

 なんてこともない、そんなことを突きつけられているようにも思う。それはでもきっと、正しくない。姉は、そんなことを思って、いるわけではない。影に、暗さが合わさっていく。認めたくない、何かが、心を塗りつぶしていくよう

「ほら、見て、飛行機雲よ」

 な、気さえする。

 急に、立ち止まった姉を見て、ふいに言葉が戻ってくる。熱を感じながら、ばっと、空を見上げると、そこにはたしかに飛行機雲が見えた。天を裂くようにたなびいている、一筋の雲が見えた。飛行機はもう見えなかったけれど、その痕跡から姿が見えるようだった。轍のようなものだろうか。空の、もしくは、飛行機の。

 それは、いつまで残っているのだろう。あっという間に姿を変えていく雲の姿に、その足跡もきっと幻のようなものなんだろうと感じてしまう。姉はいつものように前を歩いていた。私はいつものように姉の背中を追っていた。ずっと、そう。変わらず。一瞬で通り過ぎていく足跡をたどって、私は本当に、姉の姿を追えているんだろうか? 振り返って確かめてみたくなる気持ちと、振り返って確かめることが怖い気持ちと、同時に感じた。きっと振り返っても、もう見えない。わからない。それさえも。姉は今、いったいどんな気持ちで前を歩いているのだろう。何も気にならないのだろうか? 姉の姿をはっきりととらえることができない。それでいて、くっきりと色濃く、りん、と歩いている姿が見える。わからない。本当に、ここに、いるのかな。

 何も気にならないのだろうか。ずっと、後ろをついて歩いていること。周りの音ばかりが響く、この静けさ。まるで、ただの通行人。たまたま、方向が一緒だっただけの。そんな見知らぬ存在みたいな、私。気に、ならないのだろうか? 私は、あんまり、好きじゃない。かといって、私にはどうしようもなかった。友達といるときは進んで話しをしてくれるし、そんなときには私だって少しくらい自分から話しをすることもある。内容なんてどうだって、それだけで十分なもので、安心ができる。けれど、姉は、きっと、違う。何を選んでいるのか、何か選んでいるのか、それはわからないけれど、間を埋めるような話しはほとんどしない。あるとしたら独り言か、選び抜かれたのであろうその言葉だけ。その一言に、私は言葉をつまらせてしまう。なんて返せばいいのかわからなくなってしまう。それでも姉は素知らぬ顔で、初めから答えなんて求めていないように思う。わからない。気にならないのだろうか。いつも穏やかに、笑みを浮かべているけれど。その裏側にはどんな表情が待っているのだろう。わからない。それが、わからなくて、たまらなく怖かった。私の心までどうにかなってしまいそうで。知りたいと願うほど、どんどん離れてしまうようだった。今、どんな気持ちで、歩いているのだろう。

 空の青さに白があまりにもよく映えていた。雲の光が浮き立たせているほど圧倒的な存在感で、この深い青がそれを際立たせているのなら、その感情たちは何をくっきりと映し出しているのだろう。心が とよん とゆれる。この言い知れない、胸の心地はなんなのだろう。独り歩きしている感情が、にたり、笑っている。

 やるせない気持ちで思わず眺めていた遠くの空に不意打ちを受けて戸惑ってしまうほど、思考にはまっていた。自分に気がついて、とっさに姉のほうを見たけれど、何も空気感は変わっていなかった。私も、ぼぅと立ち止まっていたわけでもない。変わらず、ただ後ろをついて行っている。気づいてからも、変化はなかった。それは、いったいどういうことだろう。意識していようとしていまいと、何も意味のないことなんだろうか。わからない。それとも、何も変わらない、そのことをすなおに喜ぶべきなのだろうか。でも、それは、きっと、違う。私の意思や意識は、どこに向かっているのだろう? それが必要ないなんて、意味のないことだなんて、たまらなく、怖い。

 怖い、こわい。何が、恐いんだろう? それだけが私の心を占めているように思う。それが何なのかわからない。本当に、本当は、どう思っているのか、さえ。けれど、この気持ちはきっと、怖い、のだろう。表すとしたら、きっと。

 姉の軽快な足取りに連れられているからなのか。思っていたよりも早く墓地についた。そんなに疲れてもいない。不思議な気分だった。太陽はたかたかと輝いている。汗をぬぐい、手であおぐ。笑顔に汗が輝いている。思わず見惚れてしまう。ぱっと、覗いた、さすがの姉も、ひどく汗をかいていた。汗をぬぐう、手であおぐ。空は相変わらず、青く輝いている。

 お墓参り、と呼べるかもわからない、むしろ散歩に近いように思う。お花もお線香も、何も持ってきていない。特別な意味があるとは思えない、お墓参り。いつからだろう。思い出せない。思い出せるのは私がついて行く前のことで、何をしているの、話しを聞いてみると、ただただにこやかに笑みを浮かべていることが、とても印象に残っている。その笑顔が気になって、私も興味を持ったんだった。今は、もう、わからない。特別、何もしない。手を合わせて、お辞儀をするだけ。それだけ、だった。

「はい、これ、お願いね」

 けれど、さもいつもそうしているかのように、私にバケツ、柄杓、そして雑巾を持たせた、姉。すぐに行くから先に行って待っててね、何の説明もないところが特別ではないことを教えてくれているようで、これまでの記憶が間違っていたのではないか、と思った。遠くに消えていった姉を呆然と眺め、手に持った道具に視線を落とすと、気持ちは渦を巻いている。ぐるぐると飲みこまれてしまう前に大きく息を吐いてかき消すと、そのまま足を動かした。

 誰もいなかった。今は姉もおらず、私だけが存在しているかのように感じられる。と思うのも束の間、姉はすぐに戻ってきた。足音が聞こえて振り向くとそこにはたしかに姉がいて、手には花を持っていた。待たせたわねぇ、あっという間に私の隣まで来て、気持ち前を歩いている。満足そうな表情に、疑問は募るばかりだった。飛び出ている花を見ながら、何の花かはわからない。黄色い花が数本と、白い花が二本。視線に気がついたのか、ぱっと花を見せてくれる。これは菊でね、よく見ると、白い花のほうは形が似ているけれど、色合いや大きさがだいぶ違っているように思った。

「これはユリ。種類も微妙に違うのよ。こっちがテッポウユリで、こっちがタカサゴユリ。咲いているのを見かけてしまって、思わず摘んできちゃった」

 どことなく恥ずかしそうに頬を朱に染めている、思わず見惚れてしまった。手に持つ花よりも、その花を持つ姉に心を奪われた。そんな調子のまま、優しい笑顔で、なぁに、甘い声を出す姉にどきっとして、慌ててしまった。あたふたしたまま、とっさにその花を指さす。

「そうねぇ、どうなのかしら。でも、きっと、大丈夫よ」

 よく知らないの、ごめんね。その言葉よりも、その笑顔のほうが心に焼きついた。あれこれ考える前に、くるっと向いて歩き出す。黙って、ついて行く。

「それじゃあ、始めましょうか」

 柄杓を持って、墓石に水をかけた。

 私はいまだに動けないでいた。いまだに階段の下にいる心が、私に追いついていなかった。それはでも、思いこみだろうか。動けないでいる、私の体は姉の指示に従ってきびきびと働いていた。お墓を拭いている、雑草を抜いている、水を替えている。

 ようやく墓石の前に立ったと思ったら、やることは終わっていた。後は花を添えるだけだった。ゆっくりとしゃがんで、花を添える姿を眺めている。そのとき、お線香がないことに気がついた。尋ねてみるが返事はなく、花を添え終えるとようやく言葉が返ってくる。何もしていないことが心残りで念を押してみたが、断られてしまった。

「必要ないのよ、今日は。そう、今は、必要ないの」

 それにいっぱい仕事してもらっちゃったから悪いもの、一息ついて。やけに口調が明るかった。今度は言葉が突き刺さる。もう、よくわからなかった。

「さぁ、手を合わせましょうか」

 私の目をじっと見据える表情は、でも、いつもの姉のそれに違いなかった。

 並んで手を合わせた。お辞儀をする。祈りのようにも思う。不思議な行為だ。手を、合わせる。ただ、それだけだった。

 数えるほどもなく顔を上げると、姉はまだ手を合わせて顔を俯けている。反対に私は、何気なく空をあおいだ。突き刺さるような光が雨のように降り注いでくる。手をかざしてみても、目を開くにはあまりにもまぶしい。少しずつ目を細めていく中で、手からこぼれる光が広がったり集まったりするのが見える。そうしてその光は手の闇と合わさって、ついに完全に閉ざされた。したたる汗をぬぐう。まぶたの裏にも明るい痛みが走る。目をきつく締めながら手で覆い、ゆっくりと地面を見つめる。目の奥側に痛みを残し、ぼぅと墓が視界に映った。ふと姉のほうを見てみると、いまだに顔を上げていない。目をつむり、その姿勢に真剣なまなざしを感じる。その姿を見ているのに耐えられず、再び空を見る。けれども、そこに私の望んでいるものはあっただろうか。目を開くことさえできなかった。

「そろそろ、行きましょうか」

 いつの間にか戻っていた。反射的に私はうなずいて、いったいどんな顔をしていただろう。間をおいて、いつものように微笑むと、道具を持って歩き出した。どうやって返したらいいのかもわからず、黙ることしかできなかった。

 使っていたものを片づけてから、墓地の周りをぶらりと歩いた。あるのはただ木々と墓石ばかり。何も語らず、静かに居座っている。異様な空気感だった。圧迫感、かもしれない。静かな分だけ重苦しさがあって、それは耳から聞こえないだけで、溢れるばかりの言葉が漂い、伝えているのかもしれなかった。それに対するかのように、外側の空気はとても騒々しい。いろんなものに溢れ、混ざり合い、共鳴している。同じ外とは思えない、見えない部屋の中にいるようだった。張りつめたような空気が、動かない。けれど、日差しの熱気や声に汗を流し、鼓動している。私たちの周りはひどく静かだった。

 あたりをきょろきょろ見渡すわけでもなく、気が向いたときだけ視線を動かしている姉は、相変わらず何も話さなかった。後ろを振り返ることもしない。私が見えるのはただ、姉の背中ばかり。その背中を、ずっと追っていた。姉は、私を感じてくれているのだろうか? そうやって楽しそうに歩いているのを見ていると、私はいないほうがよかったのかな、と思ってしまう。わからない。何も。

 どうしてお墓参りに来ているんだろう、私を誘ってくれたんだろう、いったい何を見ているんだろう、何が見えているんだろう。私がついてきただけだったっけ、本当につれていきたかったのかな、本当に一緒にいたいのかな、お墓参りに行きたかったのかな。

 ふと、足音が聞こえなくなったような気がして顔を上げた。そこに姉の背中はなかった。ゆるぎなく、ずっとそこにいると思っていた、のに。慌てて右に左に首を振った後、振り返った。

 遠くのほうに姉はいた。いつからうつむいていたんだろう、まったく気がつかなかった。さっと早足で姉の元へ向かう。姉は私に気がついているのかいないのか、じっと奥のほうを見つめていた。そこは、森の入り口のような場所だった。広々としたすきまや木々の立ち方がちょうど門のようで、まるでどこか別の世界へとつながっているかのようだった。夏の高い日差しをさえぎって、昼間だというのにあまりにも深い色をしている。それはいつ見ても心に残る、言い知れない不安でしかなかった。直接見ていなくても、その色が見えるほど。けれど、姉なら、さらにそこへと踏みこんでしまいそうで、よっぽどそのほうが怖かった。

 息を切らした。見えるほどのたいした距離もなかったのに。大きく息を吸う。心臓が、高鳴っている。

「ねぇ、見て」

 いまだに視線は奥に注がれている。うっすらと笑みを浮かべ、それがどことなく妖しい雰囲気だった。私のほうを見ることもなく、手を伸ばす姉の視線の先へと目を走らせる。そこには、蜘蛛がいた。大きな巣の中央に、微動だにしないでたたずんでいる。いつかと違って、巣には蜘蛛だけではなかった。なんて言うんだろう、獲物、とでも言えばいいんだろうか。点々と、同じように微動だにしないでたたずんでいる。孤独ではなく、それぞれがそれぞれに囲まれているようだった。その真ん中に、蜘蛛はいた。

 巣に絡み捕られたそれらは、ぐるぐると糸にがんじがらめにされながら、自分が何者かも主張せずに静かにそこにいた。外側からは、何も判別がつかない。それが何なのか、生きているのか、死んでいるのか、それすら何も。それは平等に違いなかった。個性も個別もない、何を伝えることもない、ただそこにいる、存在。何を考えることも、感じることもないのだろうか。それとも、内にこもって、ひたすら何かを考え続けているのだろうか。

 わからない。

 軽く息を吐いて、姉のほうへと視線を戻す。変わらずに遠くを眺めるようにしている姉の表情はどことなく物憂げで、これまであまり見たことのない顔だった。何とも言い知れない気持ちでその表情を見続け、思い出したのは以前同じように蜘蛛を見ていたときのことで、改めてこの蜘蛛に何を見ているのかが気になった。どうしてそんな表情をしているのか、気になった。そこに、何が見えているのかを。

「ねぇ、容子はこの蜘蛛を見て、どう思う?」

 高々と鳴り響く蝉の声が、耳に突き刺さる。命を燃やしているような溢れんばかりの声が、夏の空へと舞いあがり、溶けていく。その中から拾い集めた言葉が、もう一度姉の声色で耳に響き渡った。どう思う、その質問の意味を、頭で理解するのに、もう少し時間がかかった。

 けれども、どちらにしてもすぐに答えを返せなかった。突然問われた「蜘蛛」に対してしいて挙げるなら「何も思わない」ことが答えだった。それどころか、私が教えてほしいくらいだった。この蜘蛛に対して、何を思っているのか、を。姉の見えていることを、考えていることを、感じていることを。まるで、その答えを当ててごらん、と聞かれているようだった。わからない。すぐには答えられなかった。姉の望んでいる答えをどうしても見出したかった。わからない。汗が頬を伝って流れていく。溢れていく。流れて、いく。胸がどきどきする。心の底から湧きあがる気持ちが。顔が熱くなっていく。空気に同調する体の震えが。おぞましいほど気持ちの悪い手を、伸ばしている。

 結局私は、初めに何となく感じたことをそのまま伝えた。もしかしたらそれは、蜘蛛に対して思ったことでは、なかったかもしれない。ずっと、感じていたもの、ずっと、さらされていたもの。何も、見えてこなかった。姉のほうを見ることもできない。心は沈み、ぼそっとつぶやいた。そもそも姉の耳に私の言葉は届いていたんだろうか? ある意味それを期待して、顔を上げる。けれども、そこには私を見つめる姉がいて、意外にも満面の笑みを浮かべていた。曇りのない、晴れやかなほどの、満面の笑みだった。

「そうねぇ、怖い、わねぇ」

 私はそれを見て、いったい、どんな表情をしているんだろう。

「まるで、私たちのようじゃない?」

 それは、どんな表情なんだろう。少しの間をおいて続けざまに言う姉の言葉は、私を置き去りにしてどこか遠くに行ってしまった。それでもちゃんと、私を通ってから先に進んで行ったらしい。ただ、それだけだった。同じように私の体もきっと、糸でぐるぐるとがんじがらめにされているに違いない。そうやって身動きの取れない体を持て余し、頭のほうを働かせてみたけれど、だめだった。縛られ、静けさに身を置いて、何も考えることができなかった。ただいたずらに時間が過ぎていくだけだった。

 かろうじてとどまっていないのは姉の言葉だけで、私たちのよう、その言葉の陰で燃えている声が、真実を伝えてくれるのを待ち望む、前に何かに引っかかっている。絡み取られ、どこへ行くことも、何をすることもできない。その先には、蜘蛛が大きく顔をのぞかせていた。

 そろそろ行きましょうか、姉の言葉にびくっと体が跳ね、ぶちぶちと糸が切れたのを感じた。それ以上何を言うこともなく、すっと離れていく。私は、もう一度私と同じようにはなれない同胞たちを見ると、数歩遅れてついて行った。

 歩く体の重たさが、それまでの緊張を表しているようだった。それとも、いまだに私の体には糸が巻きついているのだろうか? それとも、初めから? わからない。振り返ってみても、ここからはもう蜘蛛の姿は見えなかった。

 目の前には姉の背中があった。いつものような、その姿があった。特に何を見ているわけでもないようで、気持ち上を向いているから、空でも見ているのかな。そうしてときどき、うつむいている。その背中は、いつもの姉のそれだった。

 それ以上何も話さなかった。姉が話しかけてくることはなかったし、私からも何も話さなかった。無言のまま、墓地を出る。帰り道を歩く。家につく。

 家についてからすぐに、姉は自分の部屋に入った。特に物音も聞こえず、いつものように本でも読んでいたのだろう。夕方には下に降りてきて、ごはんの準備を手伝っていた。夕ご飯食べているときには、なんだか久しぶりに姉と会話をしたような気分になった。

 そんな気分は置いておいて、すべてがいつも通りだった。違うのは私のへんてこな気持ちばかりで、姉にも何にも違いはなかった。けれども、そこに何か変化があったのだろうか。私にはわからない、違いが。わからない。
この日を境に、姉の姿を見ていない。

 姉は、どこかへと、消え去った。


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ふみ
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。