空と空 その７～エピローグ～
優介が流々と出会ってから、もう何度月は廻ったであろう。
新月から、新月へ。眠気眼の月がゆっくりと瞳を開いては目覚め、またゆっくりと瞳を閉じては眠っていく。過ぎてしまえば一瞬の、泡沫のごとき夢なのかもしれない。それでも、目覚め、眠るたびに時を重ね、想いは積み重なっていく。それがたとえ、目に見えないものだったとしても。
小夜子から話しを聞き終えた流々は、自分の部屋に戻り、記憶を補填したいと願うように部屋のものを探った。もの自体が少なく、簡素な部屋はどことなく物足りなさを覚える。あるのは、いくつかの本と、スケッチブック、キャンバス、描かれた絵に、その他たくさんの画材、すぐに見終えてしまう。台所や浴室、トイレなども、意味もなく何回か往復し、すぐに部屋に落ちつく。いっそ、また小夜子の部屋に行こうか、と流々は考えたが、それも気が進まなかった。
もう一度、部屋の中を物色していると、色の褪せた一冊のノートを発見した。
流々は どきどき しながらそのノートを開いた。
ぱっと見て日記のようでもあったが、読んでいるうちに違うものだとわかった。それは、流々から流々に向けた手紙だった。
「私は、青葉流々、画家…………」
ノートには、これまで何をどう過ごしてきていたかは書いていない。が、これを書いたときの、それぞれの想いが透けて見えるようでもあった。
「……私の声に耳を澄まして、聞こえてきた通りに生きればいい。私がこれを記したときは、ずっと絵を描き続けてきたけれど、それはあくまで私……」
書かれている中では、この一文が特に気になった。
最後のほうに、頼れる人、安心を持てる人としてーー初めに二人の名前が書いてあった。ひとりは大家、ひとりは小夜子だったが、その下に新しく書き足しをしたようで、＞のところには、優介、と名前が書いてあった。
流々は、何度かそのノートを読み返すと、大事にしまった。その後、特に気になった一文のように、どうやって生きていくか、ゆっくりと瞳を閉じながら、自分の声に耳を澄ませてみた。それは、やわらかくも力強い声音をしており、流々は胸に手を当てて心にその声をしまいこむと、ゆっくりと瞳を開く。そうして、
自分が何者か、をたしかめながら、新たに産まれ、生きていくこの感触が、すべて、まぎれもなく自分であることを知った。
流々はまっすぐ、改めて部屋の中を見回すと、すでに完成されている一つの絵に目が留まった。しばらくそれを眺めていたが、眼を切ると、部屋の外に向かう。
扉を開いて、部屋を出る。中庭に出て、風を受ける。
空を見上げると、儚くも澄んだ青が広がっている。流々は自然と祈りを向けた。すると、空がすぅーっと降りてきて体をやさしく包みこみ、からっぽの記憶に想いを紡いでくれたような、そんな、気がした。
了
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