備えあれば憂えなし
何か起こる前に、それを予測して準備をしておくことは難しい。
それには想像力、察知力、さらにそれを笑い飛ばさずに実行に移す力も必要となる。
それは何も、地震のような災害や火事、停電などなど、そうしたものばかりだけではなく、たとえば旅行に行く準備でも、普段の通勤、通学の道でも、何かしらのトラブルでもなんでも構わないが、すべての事柄に言えることである。
一番の備えはきっと、想像力なのだと、私は思う。備蓄をしたり、貯蓄をしたり、そうした備えもまさしく憂えなし、と言えるものだとは思うけれど、こんなことがあったときにどう対応する、とった想像力とそれに反応して対応する力がなければ、何を備えていても無意味なものであろう。
想像さえしていれば、何か起こったさいにある程度予測を立てられるし、そのための訓練を普段しているようなものである。
人は、予測し得ないもの、予測していなかったふいのものに対して、思考が止まってしまうものだ。
かくいう私も、今、まさしく、思考が止まってしまった。止まってしまった中で時間までが凍りつき、こんなことを考えているのは、今後の教訓のために他ならない。いやーー
それはもはや、私のために残せるものではないのだけれど。
今、私が、こうして思考できているのは、神さまが--悪魔かもしれない何者かが残してくれた時間の幻灯のようなもので、この瞬間にでも氷が溶けた瞬間、私はこの世にいないだろう。
もしもこれが悪魔だとして--神さまかもしれないが、私に問うているのはここで何が備えられるのか、という無謀な挑戦なのであろうか。
危機とは、直面する以前に回避しなければ、そうそう防げるものではない。そのための、想像力。
それが足りていなかった私には、仕方のないことだったのかもしれない。
私はもう、私の中では出ている結論を反芻しながら、いつ動き出すともしれない時間を、ただ、ただ、思考しながら待ち続けるしかなかった。