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風景描写 その2 〜蝉と抜け殻〜

 扉を開けると、そこには蝉がいた。死んでいた。

 この世に生を享けたとたん、という表現は正確ではないが、少なくとも成虫になり、光をいっぱいに受けた間に亡くなったのだろう余韻がその身に孕んでいた。

 その蝉は、仰向けに倒れ、自身の抜け殻を抱いていた。

 奇形であったのだろうか。いや、その様子は見られない。大きさも十分であり、体も、翅の形もきれいなものである。

 その姿はむしろ、美しくすらあった。

 この時期は、どれほどの命が産まれ、生を高々と表現し、燃やし尽くしていくのだろう。命の旋律が溢れ、溢れ、溢れて空気に満ち満ちている。

 それだけ、夏というのは、生の高揚と死の影に覆い尽くされているのだ。それゆえに、まばゆいほど、輝いている。躍動している。喧騒と静寂と、両極端に、魂がふれている。

 冷たい、無機質なアスファルトの上で、この蝉は命を燃やす暇もなく、過去をーーいや、生まれ変わる前の存在を抱いたまま、横たわっているのだ。それは、ひとつの選択ではないか? それとも、別の何か、命を司るものが与えた天命なのか? それとも……

 どのくらいの時間、眺め、思考に耽っていただろう。

 私はふと、その抜け殻が気になって、触れてみた。どことなく、やわらかな感触が指の腹を刺激するーー

 ジージリジリ!

 突然、その蝉は息を吹き返したように鼓動を響かせたかと思うと、自身の抜け殻を放り出すが如く翅を大きく動かし、体を起き上がらせるとすぐさま中空へと飛んでいってしまった。あまりに一瞬の出来事だった。

 初め、私は何が起きたのかわからず思いっきり後ずさり、何もできなかった。その様子も、すぐに理解できたのではなく、後から記憶が追うように脳裏に再生されただけだった。

 意識が体に戻ってきたとき、蝉がまだ生きていたこと、空に消えていったこと、そしてその弾みか風の悪戯か、抜け殻がその場からいなくなっていたことに、やっと気がついた。

 私の目が、耳が、反射よりもはるかに遅れて反応し、ようやく届いたころには、すべてが終わっていたのだ。

 私は少しの間立ち尽くしたまま、ただ呆然としていた。一度大きく息を吸い、吐き出すと、気持ちが落ちつく。

 そうして、気持ちが整理された後、思いこみの力強さを痛感し、自分の考えがいかに浅はかであるかを恥じた。

 それでも、先ほどまでの蝉の美しい姿と指に残るあのやわらかな感触は、確かなものであると、感じ入っていた。

 

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ふみ
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。