そんな眼で
ため息は空に上り、何かになるであろうか。
それを確かめたくても、白い息はすぐにかき消えて見失い、散り散りになったかも、積み重なったかもわからない。闇の中では等しく、すべてが飲みこまれているように感じられた。
私もいつか、この闇に、飲みこまれてしまうのだろうか。
そんなことを思いながら、再びため息が漏れる。
視線を下ろすと、その先には月が見えた。ほとんど目線の高さのその月は、今にも飲みこまれそうな薄い輝きで、眠り眼と表現したくなるようなうっすらとした瞳を開けていた。
よくよく見ると月食さながらにくっきりとした影がわかる。丸い、月の形が、くっきりと。
それは夜の闇とも違う少し薄い影で月を隠していた。その明暗の違いがなんとも言えず、おもしろいものでもあった。
誰に頼まれたわけでもなく、ときに哀れみな目を向けられたり、慰められるような言葉をかけられたりすることが、私にはわからなかった。私は何にも困っていないし、それを望んでもいないのに。まるで、そうでないことが不自然な、歪な、おかしいことでもあるような、そんな姿勢がむしろ、私には変に思えた。
そんなときに、よくこんな目をしたくなる。いっそのこと、その重い瞼を閉じて、眠ってしまえばいい。けれど、話しを聞いているときに突然眠りかけてしまうのは、それこそおかしいように感じられた。
それでも、今のところはまだ ましなほうだと思う。今野さんも横溝さんも余計なことは言ってこないし、むしろそんな言葉を聞いたら
「余計なお世話だろ!」
と、凄みのある声で追い払ってくれるような、そんな心強さがある。これまでとは違う、信頼ってこういうものなのかな、ということを、考えさせられた。
何が、どう、正しい、よいもの、か。なんて、私にはわからないし、きっとこの先も理解できない。けれど、人を見ていて気づくことだってあるし、こういうものかしら、と自分なりに解釈して行動するくらいはできる。
「田中さんって、どうなの? 楽しい? 生きていて」
今野さんも横溝さんもいないとき……を見計らったのかはわからないけれど、そんなことを聞かれた。
私には言われている意味がよくわからなかったけれど、
「普通ですよ」
と、すなおに答える。
普通ね、と小さくこぼしながらうっすら笑う島井さんは、どこかいやらしい口元を隠しきれず、それ以上は何も言わずに行ってしまった。
その目元や口元が忘れられず、今でも もやっ とする。
ぼんやり月を眺めていても、目線の高さだから安心する。歩きながらも、月はよく見えた。それでも、四六時中眺めていたわけでもなく、今、また、視線を向けただけだ。その間に、ずいぶん眠くなった様子で、先ほどまで薄い影が丸みを教えてくれていたのに、今ではすっかり夜の闇に侵食されつつある。喰べられているような、そんな感じ。自分がなくなっていく。そんな感覚って、どんな感じだろう。
それでも、瞳を閉じようとはしていない。丸い影が、見えなくなってきただけだ。未だ、眠らず、うっすらと世界を見下ろしている。
そもそも、見てすらいないのかもしれない。
島井さんの言葉と顔を思い出しながら、そもそも、何を見ていたのだろう、とそんなことを思った。私の何を見て、そうしたのか。いや、そもそも、見ているのか。そうだ、
わからないから、明日、すなおに聞いてみよう。
そう思い立つと何となくすっきりもし、私はすっかり動きが鈍くなった手を振って、帰り道に向けて方向を変えた。夜の闇には未だに飲みこまれることなく、眠ることもできずに、月が瞼を開けていた。