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千文小説 その1189:真髄
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
今すぐに、14インチのMacBook Proに乗り替えれば、全てが収まる。
ぐだぐだ考えて、ぐずぐず迷い、だらだら文章を垂れ流さなくてもいい。
…わかってはいるけれど、そんなの、無理。
今代の、13インチのProが、まだまだ元気なうえ、他のデバイスたちもいる。
資金も乏しく、決してむちゃはできない。
14インチのMacBook Proは、僕には、ふさわしくない。
…というのが、無条件で、正しいかどうか。
例えば、潤沢な資産があったら。
例えば、今代に何かあったら。
今こそその時と、14インチのProを、即買いする?
にちにちにちにち。にちにちにちにち。
…しないな。
なんだかんだ、理由をつけて、先延ばしにしそう。
ということは、周辺条件がどうであれ、僕は、14インチのProを、買うことはないのでは?
少なくとも、あらゆる混乱を収める伝家の宝刀的には、その手段を行使しないのでは?
そうであれば、逆に、迷うことはない。
14インチのProは、買わない。
単純に、それだけで、理由とか、根拠とか、余分を追加しなくていい。
なんだ…。
そうだったのか。
拍子抜けして、思わず、膝の上。
一心に、おやつのするめをかじる愛猫の、大きなおしりを、取り落としそうになり。
慌てて抱き直して、姿勢を正し、炬燵の上、五台並んだ愛機たちを見やります。
14インチのProを買わないとなると、では、次代は?
13インチのAir。
15インチのAir。
16インチのPro。
…三番目は、ないな。
シリーズは、Airで。
13インチだと、完全に、今代を、見た目だけ、踏襲することになる。
単に、シリーズを取り替えただけで、今代と、ほとんど変わらない。
それで、いいのでは?
…ここで、いつも、詰まる。
13インチのProから、13インチのAirへ、という流れは、なんとも、おかしい気がして。
行くのなら、13インチのProから、14インチのProへ。
あるいは、13インチのProから、15インチのAirへ。
もしくは、13インチのProから、15インチのAirを経て、14インチのProへ。
…今度は、三番目が、良さそうに思えるな。
13インチから14インチへ、では、やや窮屈。
13インチ→15インチ→14インチ、であれば、ふわっとふくらんで、しゅっと収まる。
その場合、はっきり言って、14インチに着地する必要は、ほとんどない。
おそらく、現在のMacBook問題の根幹をなす不具合は、ちょっと小さいね、ということ。
これまでに使ったことのあるWindowsは、三台あって、今思えば、いずれも、大サイズ。
昔のモデルなので、本体も分厚く、キーボードも幅広く。
デスクトップ型に至っては、テレビにもなる、が売りで、文字通り、眼前に屹立する迫力。
それに慣れきってから、先代の、IntelのAirを買ったので、拍子抜けするほど、薄くて、軽い。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
満腹で、寝落ちした愛猫を、ひよこの毛布でくるんで。
食べ残しのするめを口に、天井を仰ぎます。
15インチのAirを迎えた場合、今代の、13インチのProは、どうなる?
先代として、炬燵に君臨し続けるのか。
潔く、引退して、IntelのAirとともに、クローゼットに眠るのか。
…MacBookは、一台でいいな。
二台同時稼働では、とても使いきれない。
となると、もし、OSの期限内に、次代が来たら。
今代は、そこでおしまい。
iPhone12 miniや、無印の第九世代のiPadのように、道半ばにして、試合終了の憂き目に。
そうしたい?
…三度、同じことはできない。
どんなに使いづらかろうが、13インチのProには、期限を全うしていただく。
じゃあ、今はまだ、次代については、保留でいいのでは?
今から決めておくことで、何か、メリットでも?
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
…次代もProだ、と思うと、なんとなく、今代を、使いにくくなる。
が、次代はAirだ、と思うと、なんとなく、今代を、安心して使える。
しかも、13インチではなく、15インチのAirだ、と思うと、なんとなく、さらに気が軽くなる。
不思議なことで、自分でも、説明がつかないのだけれど、確かに、そう感じるので、…仕方ない。
実際に、何を買うかはさておき、次代は15インチのAir、と決めておいた方が、世のため人のため己のため。
よっぽど、今代が、重かったんだね。
二度と同じラインを購入したくない、と思ってしまうほど、きつかった。
過去形?
もう、終わったのか。
いやいや、ここが、正念場。
人も、物も、終わりが見えてからが、真髄です。それでは、また。