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千文小説 その1212:家庭料理
こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。
寄稿先のウェブマガジンの経営陣に、数年後、正式に所属することが、決定し。
会社が倒産して、五年にわたる、ほぼフリーター暮らしに、ようやく、終わりが見えました。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
共同経営なので、がっつり自己責任というわけではなく、そのぶん、拘束時間も少ない。
逆に、そのことによって、まとまった空き時間が取れて、執筆に回せる。
完全フリーライター、だと、原理的には、四六時中依頼原稿を作成していなくては、生計が立てられないということになり。
結局、よそ様のご意向をうかがい続ける、依存型の業務形態に。
どこかで、自分で、利益を生み出せるような仕組みを、開発する必要がある。
物書きであれば、売り込みとか、自作販売とか。
しかし、それをするには、そもそもの作品というものが、ある程度、量産できる体制が整っていないと、話にならない。
その作品をこしらえるだけの時間が取れない、というのが、フリーランスの根本矛盾。
会社なり、パトロンなり、店舗なり、固定給を確保できる生活を確立して始めて、創作に、専念できる。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
…ということが、勤め先の倒産で、突然、フリーになったものだから、全く、わかっていなかった。
アルバイトで、生きていくことはできても、書いていくことはできない。
よほどの才能があり、つてがあり、安定して作品を発表できる場があっても、いずれ、本人の気力体力が保たなくなる。
物書きになりたかったら、就職しなさい。
もしくは、店舗や法人を、経営しなさい。
若い作家志望の方に、口をすっぱくして、お伝えしたい。
というわけで、どうにかこうにか、物書きとして、経済基盤が、整いつつあるところで。
年収一千万円、にはほど遠いにせよ、少なくとも、ぬいぐるみの猫とふたり、ほそぼそと食べていけるだけには、持っていけそう。
ここで、浮かれてはいけない。
あくまでも、現時点では、持っていけそう、という見込みのみ。
何が起こるかわからない、実際に、持っていけました、と断言できるまでは、これまでの執筆ペースを、極力、変えない。
なので、千文小説は、当面、この分量で、この頻度で、続行になる。
毎日公開、という形だと、余計なことを言うな。
自分を戒めていないと、すぐに、崩れる。
深過ぎたり、濃過ぎたり、度を越した内容だと、読者もついてこられないし、作者も続けられない。
かと言って、じゃあ、適当な思いつきを、並べますか。
気軽な発想では、毎日は、とても無理。
つくづく、家庭料理は偉大だ、と思います。
とにかく、毎日、食べさせなくてはならない。
とにかく、毎日、読んでいただかなくてはならない。
もはや、食べ盛りのお子さんのいるお宅の、台所を預かる方のような気持ちで、書いております。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
実際に、食べてもらえる/読んでもらえるかどうかとは、また、別の話。
せっかく作ったのに、いらない。
せっかく書いたのに、いらない。
そんなのは、しょっちゅうで、そこで、いかに、モチベーションを途切らせないかが、肝心。
いらない、が、たまになら、気にすることはない。
しかし、毎日毎日、いらない、と言われるようであれば、根本的に、料理や作品の内容を、見直さなくてはならない。
相手が、個人であれば、その人の体調や、精神状態が良くないのかもしれない。
相手が、不特定多数の、見知らぬ方の場合は?
…不思議なことに、ああ、ここが駄目なんだな、という、失敗の理由は、容易に突き止められる。
わからないのは、成功の理由。
なんで、この作品だけ、突出して、読まれているのか?
首を傾げざるを得ないことが、ほとんどで、そこは、作者にも、手が出せない。
たまたま、美味しかったんだね。
良かった、良かった。
これまでは、そうして、流していた。
でも、これから、さらに本腰を入れて、執筆にいそしむとなると。
最低でも、失敗してはならない。
美味しさを、上乗せできれば、上出来ですが、それ以前に、不味くて食べられない、みたいなものを提供することは、許されなくなる。
となると、必然的に、味を決めるラインを、心身で、習得しなくては。
これ以下のものは、どんなに頑張って書いたものであっても、公開しない。
つまり、何がなんでも毎日出す、から、出せない時は出さない、に、変えていく必要が出てくる。
ぴーぷす、ぴーぷす。
ぽわ。ぽわ。
今日は、疲れちゃったから、みんなで、食べに行こうか。
それも含めての、家庭料理であり、その臨機応変さこそが、続いていく秘訣。
では、物書きにとっての、食べに行く、とは、何か。
じっくりと、考えたいです。それでは、また。