物を伝える・事を伝える
さんざん、ずーっと教えられてもらっていたのに
「そうなんだな」と思えていなかったことって言うことはある。
知ってはいるけれど、他人事。みたいな。
写真って、「真」を「写」すって書いてて、まんま何も手を加えずに写してるのがそうだという定義がある。
アプリで加工したものは「ほんとうの写真」じゃないなんて意見もある。
近頃はスマートフォンのカメラ機能がものすごく良くなってきて、「カメラ」そのものを使わなくても手軽に「パシャ」と撮れる時代。
キレイなもの、カワイイもの、ちょっとしたオドロキ。
専用機にしかできないこともあるけど、それもだいぶ少なくなってきてる。
何よりいつも持ち歩いてるから、一瞬を切り取るのが得意。
何年か習いながら写真を撮ってきて、壁にぶつかることが何度かあった。
「気軽にただ楽しめればいいじゃん」とモヤモヤしながら過ごしたこともあった。
写真は2種類ある
「きれいなもの・すごいものを見せる」(モノ)と
「写したものを通して出来事や想いをつたえる」(コト)を伝える写真がある。
…とそう教えられた。
だからね。知ってたの。
でも言われても、ふーんって感じでしょ。
(モノ)写真はわりかし簡単に理解できた。
きれいな花とか感動した風景とか。美味しい料理とか。
(コト)写真も、まあ分かった気がしてた。
きれいな花だけじゃなくて、それを見て喜んでる人を入れて撮るような写真ってことなんじゃない・・・?って。
それはそれで、間違っているわけじゃないんだと思う。
けれど、表現ってヤツはそうは簡単な上っ面だけで作られるものばっかりじゃなかったのです、ってことに今更気づいてる。
そしてそれは、(モノ)写真のほうが簡単で(コト)写真が難しいとか・・・そういうことでもない。
何を見せて、どう感じてもらえるか。
そんな簡単な回答だけど、のぞき込めば深くて遠い果てしないもの。
やっとスタート地点のような気がしてる。
自分を知れ
技巧的なことを突き詰めたり、知らない知識を積み重ねたりするのも楽しいし、技術的に巧(うま)くなるのは愉快なことだと思う。
それを見てもらって褒めてもらったり、イイネ!ってして貰えるのだって嬉しいことだと思う。そこをゴールにするのは全然否定しないし、それで楽しいなら幸せなことだと思う。
ただ、それだけではいつか行き詰まるような気が私はしてしまった。
なぜシャッターを切るのか、自分の内側にすこし触れていかないと…って。
いまは、やっと自分の好きを味わおうって思う。
ちょっと遅い始まりだけれど。