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“リアタイ”のかけがえなさについて。(『イエスタデイをうたって』を読みました)

『イエスタデイをうたって』に、ぼくはいま夢中です。

(※物語序盤のネタバレが少しあります。まっさらに作品を楽しみたい人は気を付けてください。)

“49%うしろ向き、51%まえ向き”に生きる若者たちの日常を描いた、冬目景先生による青春群像劇。
一途すぎる自分の思いは向き合うのも逃げるのも痛くて、どうにもならない心の負い目にあがいて苦しんで、それでも一途にしか生きられない。そんな不器用で瑞々しいドラマがとっても魅力的な作品。

繊細にゆっくりと、実写ドラマのように静かに気持ちを紡ぐアニメの雰囲気があまりにも心地よくて、「原作者の言葉に触れずにはいられない!」とアニメの結末を待てずに原作も最後まで一息に読んでしまいました。

原作もやっぱり素晴らしくて、真摯な言葉たちが丁寧なテンポで胸に届き、何気ない日常を描いているのに続きが気になって止まらない。
揺らぐことなき大好きな作品になりました。

しかし、作品の良さとは関係ないところで(むしろ作品が良いからこそ)、僕はこの作品に大きな悔しさを抱えていて、

連載で追いかけたい作品だったな

という無念さを、いつまでも払えないでいます。

連載中の作品など“続きが残っている物語”を読むことと、完結した物語を読むことは、体験としてかなり違いがあるものだと僕は思っています。

連載中の作品を読んでいるとき、僕は読者として物語を眺めながら、僕の心自体が物語の人物たちとすごく近いところに生きているように感じている。

一方で物語には、必ず終わりがある。どんなに結末の読めない物語でも、残り何話・何ページほどで完結するか目処があれば、どのあたりで話が締めに向かっていくかはある程度読めてしまう。
○巻が最終話だからこのあたりで大きな展開が起こりそうだな、とかいう察しが頭をよぎる瞬間、僕の視点はすでに物語を完全な外から眺めていて、登場人物たちの心からは全く遠いところにいる。
大好きな物語にいつまでも浸りたい気持ちから、切り離されたような寂しさを、『イエスタデイ』を読みながら痛く感じてしまっていたのです。


また、これも『イエスタデイ』を読んで得た気付きですが、
更新されないものを想い続けるのはとても苦しいと思います。

『イエスタデイ』のヒロインの一人に森ノ目榀子という女性が登場しますが、彼女は幼馴染に片想いをしながら、想いを伝えないまま高校生の時に病気で彼を喪います。

伝えたら恋は叶ったのか、恋が叶ったとしたら気持ちはどう変わっただろうか――確かめることの出来ない問いを何千回と繰り返して、高校・大学・社会人を経ても、大きく美しくなるばかりの過去の恋に囚われたまま時を過ごします。

亡くなった人の気持ちは当然ながら、生きている人の気持ちだって、100%確かめるのはもちろん無理なこと。
100%には絶対にならない代わりに、人の言葉を聞いて、行動から感じ取って、ちょっとずつ理解を進めていくことはできる。受け取ってばかりでは確証が無いから、自分からも働きかけて、時には自分のなかの未知だった気持ちにすら気づくこともある。

だから、人の意思を理解するには、その言動を刺激や情報として新しく受け取り続けることが望ましいのだけど、終わってしまったものについてはそれらの供給が止まる瞬間が必ず来る。以降は自分独りで答えの出ない考えを膨らませるしか出来ないから、続きが無くなったものと向き合い続けるのは、生きているものと向き合う以上にしんどさを伴う。

若い頃に好きだったアーティストが引退しちゃったりとか、名作家が亡くなってしまったりとか、“新作”が生まれなくなることを寂しく思うのは、そういうリアルタイムで起こる“感情の更新”が無くなってしまうからじゃないのかな、と思います。

続きのない恋を振り返っては榀子が立ち止まっていたように、僕は『イエスタデイ』を読みながら、この愛おしいお話がすでに終わってしまったものであり、更新を望めないものであることへの寂しさを、ストーリーを楽しむ心以上に強く感じてしまっていました。


もはや作品を未読の人に紹介する文章なのか、既読の人に共感を求む文章なのか分からなくなっていますが、読み終えた僕がただ思うことは、『イエスタデイ』が恋しいということ。

物語に没入して、更新されていく人物たちの気持ちをちょっとずつ理解して、先の読めない展開と彼らの生涯にドキドキ……という楽しみ方は、連載当時リアルタイムで追いかけていたら、やはりもっと雑念なく堪能できたのではないかと、悔しく思わずにはいられなかった。

何かを好きな気持ちの度合いを、年月の長さや出逢った時期の早さだけで測ることはできませんが、やはり“リアタイ”はかけがえのない経験です。
気になってるけど今から触れるには遅いかな、と思うコンテンツもこれからは気兼ねなく追いかけていきたいし、偶然にもこれを読んでくれた皆さんにもそうしてほしい。
作品の本質とは言い切るにはおこがましいですが、『イエスタデイ』は今を噛み締める大切さを教えてくれる作品です。

そしてこの記事を書いているいま、『イエスタデイをうたって』のアニメはまだ最終回を迎えていません。
まだ“リアタイ”にギリギリ間に合うので、気になってくれた人にはぜひ追いかけて貰いたい。

出てくる人たちみんなが愛おしくて、どうにも他人事と割り切れない『イエスタデイをうたって』の物語。悔しさまみれの記事でしたが、続きが読めない寂しさでこんなにも頭がいっぱいになる作品に出会えて、僕は心底幸せです。

※記事のヘッダーはAmazon書影から流用しました。

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