【存在できているようで、存在していないヒトたち】
個々の理由で、特定の人を貶す・貶めるということを、匿名の場所で行う人が居る。
その人は、誰かに構って欲しいとかというより、反応してもらいたいんだと思う。
深入りすればするほど、隠された、「自分だって生きてるんだ。」「人と違う意見も言えるんだ。」が見えてくる。
反応してもらえることで、存在理由を必死に
創り出そうとしているように思う。
そんなやり方でしか存在できないその人を、
私は
可哀想に思う。
憐れに思う。
不憫に思う。
それは、何年も前の私を見ているようだから。
きっと、誰かに見つけてもらいたいのだろう。
見つからずに死ぬのが、恐いのだろう。
そう思いを馳せることで、その人のドロドロした部分が浄化されればよいが、そうはいかない。
酷なようだが、“いないもの”に振り回されるのは
滑稽なだけだ。
そして、存在している己れ自身の傷は、よくよく見える。
かまいたちのような妖怪の仕業だと思えば、
少しは気が楽になるだろうか?
これから先の世の中が安らかであって欲しいと、願うばかりだ。
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