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daraz
私自身「一番嬉しい」と思えないのは、なぜなのか。
「私は、この回復を、本当に"一番に"嬉しいと思っているだろうか」
もちろん回復してきたことは嬉しいが、なんだか違和感があった。それは「私よりもっと喜んでいる人がいる」という意味ではなくて、私は回復というゴールに近づいていることを全開で「やったー!」と言うほど、ゴールばかり気にして生きてきたわけではないような気して。
私の心の中で、どんなことが起こっているんだろう。
「もしや、これかな」と思い立って、前に読んだ本を読み返してみた。
仕事の不安が夢中に変わる「加減乗除+-×÷」の法則
「結果目的的」と「プロセス目的的」という考え方がある。
「結果目的的」とは、叶えたい何かがあるからやっているということ。だいたいの活動が、この「結果目的的」になっているという。
「プロセス目的的」とは、ゴールで何かが叶うからやっているのではなくて、行く最中の事柄自体が目的になっているという考え方だ。
私は、このリハビリ生活において、プロセス目的的に取り組んできたということなんだと思う。
「水曜どうでしょう」という番組をご覧になった方もいると思う。あれがまさに「プロセス目的的」なんだそうだ。「どこか遠くの決まったゴールへ行こう」って企画は始まるのだけど、その途中で起こっていることが面白い。ゴールで何か叶えるわけでもなく、着いたらそれで「終わり!」って出るだけ。ゴールは終わりの目印ってだけ。あくまでも途中で起こっていること自体が目的。
前に書いたように、目標設定が苦手な私。目標型ではなく、展開型がしみついてるということなんだと思う。
この道のりが何より楽しかった。
なんだか、回復はおまけのようにも感じる。
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