抗わない自分を正当化する日々。(Tさん最後の日)
私は、システムエンジニアとして、お客様のシステムセンターに常駐している。
お客様企業から仕事をお願いされて、そこに何人も籍を置かせてもらい、チームで仕事をしている。
私は、そのチームの責任者として、チームのクオリティを意識しつつ、メンバーのモチベーションと成長と、たまに自社の利益を考えながら、日々を送っている。
お客様の方針転換で、私たちが任されている担当の一部を、他社に切り替える計画が発表され、四月から、いくつか席を失うこととなった。
ここの席を失ったとしても、他の職場も含めて何とかやりくりすることができると信じ、私は奔走した。奔走したが、Tさんの行き先だけは調整することができなかった。
本社にも掛け合ったが、上司や営業部長から「契約終了という決断をするしかないね」と言われ…。私から本人に、終わりを告げることとなった。
Tさんは、まもなく65歳を迎えるが、働きたい意思があり、告げたとき、大きなショックを受けていた。告げている最中も「本当にどうにかならないか」と、私の心の中で、あきらめ切れない感情がよぎったが、ただただ頭を下げながら、決意を固めることにした。
その後、Tさんは熱心に、精力的に、後任者への引継ぎに尽力してくださった。その姿に感動しながら、あらためて三月末でお別れするという覚悟を決めた。
離任の一週間前、他部で退職者が出る話があり、うちのメンバーがその後任に入る計画が持ち上がった。それが実現すると、チーム内に空席が出来る。私は、即戦力でコストが高くない技術者の調達に動き出した。Tさんは、空席となるその業務経験は無く、なんとか玉突きで収めることもよぎったが、スキル的にもクオリティ的にもバランス的にも大きく損なうことになるため、その空想はすぐに消えた。
直後、要員調達に動いてくれていた営業部長から電話があった。「Tさんを延ばしたら、解決しない?」
「そりゃ、私も考えたけど、それでは、上手く、はまりません」と返した。
腹がたった。気軽に言ってくれるなよ!と思った。そして、もう一度私から発せられたTさんを終わらせる言葉に、なんだか腹がたった。
「Tさんだって既に次の人生を描いているだろうし、次の仕事が決まっているかもしれない」
私は、そんな空想を持ち出しては、三月末で終わる事実を、そして、それに抗わない自分を、正当化しようとした。
3月31日。Tさん離任の日。
みんなの前で、Tさんから離任の言葉をいただいた。
その後、お客様の責任者からもひとこといただいた。
「今回、私の力が及ばず…、このような形で…、終わることになってしまい…、本当に、申し訳ない…」
言葉を詰まらせながら、涙を流した。
グッときた。でも、すぐに、イラッとした。ずるいと思った。
確かに、その責任者の方は、その上には掛け合ってくれていたし「席を減らさなくても良い策は無いか」頭を悩ませてくれていた。でも、泣くことはあるだろうか。もしかしたら、先に泣かれたことに腹がたったのかもしれない。
Tさんは、退室する前に私の元へ立ち寄ってくれた。
ニッコリと
「お世話になりました。何か仕事出てきたら…ね。連絡待ってます」
そう言って、頭を下げた。
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