コンプレックスを掘り返す。【リレー形式エッセイ⑦】 by なさじ
コンプレックスというのは、「他人の目の中に、もう一つの世界がある」という思い込みなのだと思う。
その虚構が、ありありと、カラフルな映像として、自分の中で放映されることによって、それは、まるで実際に起こることよりも現実のように感じてしまう。
他人の中でも、私の人生が放映されている と思い込んでしまっているということなんだと思う。
歳をとると、それが"虚構"だと理解するからか、"映像化力"が衰えてくるからか、コンプレックスは威力を失っていく。
このたび、noteのリレー企画で『コンプレックス』について書く機会をいただいた。七番手として、翠乃尚さんからバトンを引き継いだ。
コンプレックス…
正直、思い付かない。
コンプレックスとは、一般的に以下を指すようだ。
他者と比較した結果、自分が劣っているという感情が生じ、これに関する様々な考えが絡み合った状態。
45年も生きてくると、他人と比較しようとしたり、わざわざ、他人より自分が劣っていることを探して、悲しむようなことは、めっきりしなくなっている。そのせいだろうか。今はコンプレックスが思い付かない。
でも、当然、昔はあった。
私にだってあった。
よし、さかのぼって、あの頃に探しに行こうと思う。
コンプレックスが入っているあたりの、あの頃のタイムカプセルを見つけにいく。
掘り返して、開けてみる。
どんどん出てくる。
タイムカプセルの中からコンプレックスが、どんどん出てくる。
天パーのくるくる頭だったり、眉骨が出てて横から見ると、おでこが斜めだったり、体が硬くて笑われたり、一方、心は柔軟なせいで「おめーには自分が無いのか!」と揶揄されたり。
それらをすごく気にしている。
私は高校生だ。
私はコンプレックスのかたまりだ。
たしかに、おでこ斜め問題などは、だいぶ深刻だった。高校生の私はできるだけ横から見られないように気にしている。「大人になって、車を運転するようになったら、助手席に好きな女性が座るなんてありえない。それは最悪のシチュエーションだ。一貫の終わりだ!」と本気で想像している。
あれから、30年が経った。
今も当然、変わらず、天パーのくるくるヘアーだし、眉骨が出てて横から見るとおでこが斜めだし、体はもっと硬いし、心は柔軟というか、何でも受け入れちゃうから、妻からも同僚からも「よく許せるね。いいの?ほんとに。ちゃんと考えな」と呆れられたりする。
でも、おでこ斜め問題なんて、そんな人いくらでもいることがわかったし、他人はそんなところ見ていない。くるくるヘアーだって同じ。もしも見ていたとしても、どう思われようが今はまるで問題ない。ずいぶんちっぽけなことに、エネルギーを注いでいたもんだ。
ちょっと笑えてくる。
昔のコンプレックスエピソードを思い出したら、なんだか今の自分がとても強くなったと思えてきた。今の私が幸せだと再認識させられた。
コンプレックスさん、ありがとう。なんだか元気が出るドリンクを一本飲んだような、そんな気持ちになっている。また、いつか、掘り返して、飲んでみたい。今度はまた違う味わいが広がるかもしれない。忘れた頃にまた掘り返そう。
さて、タイムカプセルをそっと埋めよう。
コンプレックスさん、ありがとう。また。
なさじ
1973年10月1日生まれ。
2018年11月に受けた頚椎手術の後遺症で左腕が上がらない状態。完治に向けリハビリに励み、最近、急激に回復が進んでいる。完全復活まで、あと少し。
IT系企業勤務。約50名の組織の管理者。たまに"なさじ課長"として自らのリーダーシップ論を投稿している。
札幌在住。妻と息子(野球少年)2人の4人家族。
2018/10/21 note開始。
毎日投稿を目指していますが、だいたい週5投稿。短くて読みやすい文章を心がけていますので、ぜひ気軽にお立ち寄りください。
さて!
次にバトンを受け取ってくださった方をお知らせします。
バトンを受け取ってくださったのは
椿さんです!
私がこの『あぁ愛しのコンプレックス』のバトンをもらったとき、まず「椿さんが書いたら、どんな感じかな」というのが、浮かびました。
先ほどのnoteで、椿さんオススメ入りですって!
椿さん、快諾いただき、ありがとうございます!
楽しみにしています。
みなさん、お楽しみに。
いつも読んでいただきありがとうございます。