諧謔日記その43:2023年12月9日(土)のきろく

ちょっと遅くなっちゃったけど、神楽坂THE GLEEで開催された詩央里brothersとELLYバンドのツーマンライブの日のことを振り返るよ。

・白石の視点で振り返る詩央里brothersのあゆみ
2014年の夏にドラマーの馬部真也の紹介で詩央里と知り合い、彼女の歌と馬部のパーカッションと白石のピアノの3人でライブをやるようになったのだが、編成的にすべての曲のアレンジを司ることになってしまっていた白石は楽がしたくて人妻ベーシストの渡部かをりを召喚した。2015年の春、いま振り返っても「あれほんと怖いもの知らずだったよ」と感じるような箱で大きなライブをやることが決まったタイミングで、詩央里の昔のバイト仲間というだけの繋がりでギタリストの町田雄崇が仲間に加わり、『詩央里brothers』が誕生した。いろんな偶然が重なって出会った年齢も性別も経歴も好きなものも将来の夢もみんなばらばらな5人だけど、きょうだいのような一体感があるよね~みたいなかんじでテキトウに名付けられたものだったとおもう。命名主はもちろん詩央里だ。
2017年になって、詩央里ははじめてのアルバムの制作に取り掛かる。そのきっかけは白石が「もうオリジナルだけでそこそこ持ち曲できてきてるしアルバム作ってみれば?」みたいなことを言ったかららしいのだが、白石にはその記憶がないのだった。無責任な奴。夏になって完成したのが記念すべき詩央里のさいしょのアルバム『To my brothers』だった。そしてそこから2年後には2枚目のアルバム『咲く意味は』をリリース。どちらも詩央里brothersの5人で作った、当時の最新が記録されたアルバムだった。
その後は詩央里のものづくりや演奏活動はバンドから離れていく。詩央里の表現の手段のひとつとしてbrothersというバンド形式があるだけだということをみんなも分かっていたし、みんなも一生この5人でやってくとか売れるとかいうことは考えてなかったとおもう。でも、たまには5人で集まって最近どうしてるか聞いてよ聞かせてよ、というような具合でライブをすることがあった。今回もそんなチャンスが巡ってきたのだった。

・昔話はしない
同窓会など嘗ての仲間たちと会う場面であるあるなのが「昔話に花を咲かせること」だ。白石はこれが大嫌いで、時間の無駄とすらおもっている。振り返ることで前を向くことができる地点があったならそれは素敵なことだとはおもうが、少なくともぼくにとっては今現在やこれからの人生そのもののほうがよっぽどたいせつだ。また多くの人は過去のことを「青春の1ページ」のように言うが、ぼくはノートに書かれた日記やアルバムに貼られた写真のような切り取られた一時ではなく、巻子本のように地の続いた日々の連続であるように考えている。これはまぁ、ひとり寂しい学生生活を送っていたことや、いまのほうがよっぽど充実している実感があることに起因する考えだとはおもうのだが、ともかく、昔の仲間と会ったところで話すべきは最近どうしてるかなのだ。先が長いかもしれない人生をどう過ごそうとしているのかを話し合いたい。ぼくはこれができない知人を友人とは呼べない。
ジブン語りが得意なので前置きが長くなってしまったが、これは「たまに集まっていっしょに演奏する奴」でも全く同じことが言えるとぼくはおもっている。詩央里brothersのみんなと初めていっしょに舞台に立ってから8年半が経っていて、かつここ4年は年に1回も集まっておらず、その上で何年も前に録音した曲を演奏するわけだが、ぼくはここで昔話をしたくはない。みんなでアルバムを作っていたころのジブンから一切の成長をしていないのならば一生昔話ができる(というかそれしかできない)のだが、ぼくたちはそうではないのだから、常に最新のジブンを見せつけて過去のジブンを超えていかなければならぬ。成仏させてやねばならぬ。
ひょっとすると、アルバムを聴いてライブを見に来てくださるお客様のなかには、アルバムでやってることをそのまま生で聴かせてほしいという方もいらっしゃるかもしれない。でもぼくたちは音楽家だし、いまを生きる人間だ。日々変わらずに変わり続けている。当時の最新を再現することに価値があるとは考え辛いのだ。
そんなわけで今回はライブで演奏した曲をセットリストに沿って、録音当時と何を変えたのかとかいうようなところを中心に記録していこうとおもう。やれやれ、ようやく本題だ。

1.ただ在るだけ
詩央里の2枚目のアルバム『咲く意味は』に収録されたナンバー。レコーディングした2019年の時点で演奏もアレンジも最新のつもりだったが、1年以内に歌とピアノのデュオの編成でリアレンジすることになり、テンポと和音と構成が見直された、という歴史的背景のある曲だ。今回はその2バージョンを踏まえてまた少しアレンジを直すつもりでリハに臨んだ。ひとまず1回オリジナルと同じ構成同じ小節数同じコード進行でテキトウにやってみようと言って合わせた段階で、ギタリスト町田がどういうわけかいきなりE-BOWを使って音を出しやがるので、それなら今回はピアノがメインでコード出すよ~という具合でアレンジの方向性が決まった。ついでに曲の構成に応じて鳴らす楽器の数の調整をして、アウトロにデュオのアレンジで採用した半音上がって半音下がる仕掛けを流用して、ついでにこっそり2か所だけベース主導のリハモを施したりした。リハモは白石が得意なところで、自分自身が「いつもと違う和音の響きが聞こえると楽しい」という気持ちだけでやってます。お客様に気付いてほしいとは全く考えていないし、そういう気持ちはオリジナルのレコーディングのときから常にあります。いまジブンが面白いとおもうものの記録のようなかんじでしょうか。

2.愛なき場所
これも『咲く意味は』収録のナンバー。収録する時点でかなりごった煮なアレンジになっていたので、正直これ以上いじる必要はないかなというかんじでした。よりメリハリを付けるためにピアノもベースもドラムも前半丸々休みにしようか、みたいなことはした。この手の思い付きは詩央里が「それだと寂しいんですけどw」とか言わない限りは勝手に即採用にしています。編成が大きくなればなるほどダイナミクスレンジは広く持たせたいですよね。
こういう、アレンジが既に完成している類のものは久々に演奏するとベーシスト渡部の技術の向上がよく見えます。フレージングよりも音を鳴らすタイミングの話ですかね、ドラムとのコンビネーションの話になるんだけど、まぁチョーざっくり言うとベースとバスドラの発音のタイミングが合うようになってきてるよね~とかいうかんじのやつです。ま、まだまだやとおもいますがな!ほな。

3.確かに進んだ道
さいしょのアルバム『To my brothers』収録曲。1枚目の収録曲はとりわけ好き勝手に深く悩まずにアレンジを担当していました。アレンジと言ってもコード進行を好きに設定して構成を決めるくらいで音符を一切書いてないんですよ。メロディラインの代わりに歌詞が書いてあるリードシートのような譜面を作って、各々がそこにメモを記入するような形。サウンドの方針だけ見て具体的に弾く内容はひとりひとりがジブンで決めます。この作り方をするとメンバーの誰かがBossyにならずに済むので気に入ってます。もちろんある程度のディレクションは必要になってきますが、演奏家それぞれの自主性と作家性を尊重できるし、何よりジブンの発想にないものが出てくることに期待ができて面白い!それから(当時は意識していなかったのですが)弾くべき音が指定されていないということは、やるたびに違ったアプローチができるということなので、今回のように「久しぶりの演奏」をするときに新しいことを試しやすいんです。誰かがいつもと違うことをすると他の誰かも「おっあいつなんかやってるな」と気付いて便乗しますよね。それが連鎖すると本当に一期一会の演奏になります。今回のライブで演奏した曲のなかで最も演奏家各人の最新が現われたのはこの曲だったんじゃないかなぁ。アウトロのギターソロがオリジナルの4倍くらいの尺になったりして燃えたね。

4.このゆびとまれ
2022年の年末にリリースされた詩央里4枚目のアルバム『Lighting in the dark』に収録された曲で、詩央里brothersは制作に関わっていません。アルバムとは全然違う、brothersじゃなきゃできないアレンジにしてやるぞ~って気合い入れてアレンジしてます。まず拍節を倍に引き伸ばしたんだったかな、12341234って数えるとき2と4で手拍子してたのを3だけで手拍子するようなリズムにして、そこから和音を見直してリコンストラクションしました。ぼくは原曲のような1番と2番で全く同じ伴奏をつけたり落ちサビは楽器の数が減るだけみたいなアレンジはマジで絶対にやりたくないとおもっているので、とくにリハモは丁寧にやりました。そしたらみんなよくそのアレンジの意図を汲んでくれて、トライ&エラーを繰り返すリハーサルができたのをよく覚えています。結果、想像以上に我々らしいクール&リフレッシング&ハッピーなアレンジに仕上がったよ!
・・・というのが今年の春の話。5月にベーシスト渡部が企画したライブに詩央里brothersで出演する機会があって、そのときにアレンジしたものでした。(ちなみにそのときのライブがbrothersでは2年半ぶりだった!)一夜限りの演奏だったのでアレンジの内容はすっかり忘れており、今回それからおよそ半年ぶりに会ってこの曲を合わせたときに「えっこの曲こんなアレンジになってるの?!すご!誰?」ってなったので、ほぼそのまま演奏しました。それでも「いまのジブンならここの和音はこっちにしたいなー」とか「ここギター入れたい」とかいうのがちょいちょいあったので人の欲って無尽蔵なんだなっておもいました(?)

5.犠牲の海
2枚目の『咲く意味は』収録のラテンパンクロックナンバーです。ラテンパンクロックって何?
この曲はギターがじゃかじゃかコードを掻き鳴らすところに、ピアノベースドラムのラテン風味(ジャズマンが言うアフロキューバンのパターン。本場キューバには存在しない似非ラテンのリズムです。)をがっちゃんこする、というコンセプトのアレンジです。とりわけドラマー馬部とピアニスト白石はジャズ系ラテン系は好みのジャンルなので日々引き出しを増やしている部類です。したがって毎度チャレンジのし甲斐があるわけです。今回けっこう白熱したし歓声も大きかったよな。ドヤ顔ですよね。

6.ここにいるよ
これも『咲く意味は』収録のバラードだ。
そういえば『咲く意味は』はアレンジャーとしてもプレイヤーとしてもかなり満足のいくものづくりができた自覚があってお気に入りだったのですが、今回ライブが決まったときに久々に聴き返したら「ぜんたいてきに満遍なく惜しい」などと感じて驚きました。とくに初めてちゃんとハモンドの音が入れられて手応えを感じていたはずだったのに、そのハモンドの音を聞いて「もっと倍音出していいだろ」とか「いやそのパーカッションはいらない」とか「なぜここでロータリーを切らない?」とか言いたくなるところが多くて、これはつまり正しく成長できてる証なんですが、当時最高だとおもっていたはずなのになぁと不思議だったり悔しかったり恥ずかしかったりしました。むずかしいね。
けどこの曲はアレンジャーとしてはいい働きができてるといまでもおもいますね。たぶん詩央里の原案と比較しないと分からないことだとは思いますが、サビのコード進行なんかはとてもよくできてるとおもいます。ギターのフレーズに合わせて細かく調整したコードとか、最後のサビの仕掛けなんかもていねいで良いです。まぁこの曲の一番いいところは最後のサビとアウトロのギターだとおもいますけど!!ほんとうにこの曲は町田雄崇のギターがバンドサウンドの個性を決定付けているとおもう。
これも2曲目に演奏した『愛なき場所』と同様にドラムベースの一体感が増してたようにおもいます。あいつらがしっかりしてればピアノやギターなんて何やっても大丈夫ですからね。ほんまに。ほな。

7.PEAK OUT
どのアルバムにも収録されていないくらい新しい曲です。まだ詩央里の弾き語りでしか披露されていなかったのですが、今回brothersでライブをやるにあたってこれをやってみたいと詩央里から相談を受け、ぼくは彼女のライブの記録映像を見て耳コピしてアレンジを考えて譜面を書いてみんなに送って、というのを半日でやりました。すごい勢いだったよなぁ。
アレンジの考え方なんですけど、この曲に関しては原曲を1回聴いた時点でざっくり方向性が決まってました。こういうイントロを付け足そう、サビのトップノートがテンションになるようにしよう、ここはブレイクにしよう、間奏はギターソロに変えちゃおう、ギターにはシンプルな和音を弾いてもらってピアノがテンションを積もう、みたいなかんじで、この曲で「やりたいこと」を考えながら採譜して、実際にそれらを当てはめていくような作り方でした。ぼくは原曲を聴いてビビッときたものに関してはアレンジを書くのがはやいのですが、この曲はとくにスピード感があったとおもいます。それはもちろん原曲の良さのおかげなのですが、それと同じくらい「あいつらといっしょに新曲をやれるのかぁ」みたいな想いがありました。みんなが演奏している姿をイメージしたらすらすら書けた!おぉ、おれ、アレンジャーっぽいじゃないか、なんて感じたものでしたわ。でスタジオに集まって実際に鳴らしてみて歌ってみて、いつものようにそれぞれができることやりたいことをどんどん投げてくれて、いい作品になったとおもいます。
アレンジを書くのも、新しい曲を演奏するのも、当然「引き出し」が必要になってきます。「手札」とか言うこともありますが、まぁようするにたくさんの「パクリ元」をみんな持ってるわけですよ。今回この曲をアレンジするにあたってかなり明確にパクったバンドやアーティストが4つくらいあるので、もしアルバムになるとかいう類の機会があれば紹介したいですね。いや紹介するよりはバレたいかな~どうかな~。マジでこういうのってどんな作曲家編曲家演奏家にもあるとおもうんだけど、たぶん幅広く音楽を聴いてる音楽ファンってそういうのを見抜く楽しみを持ってるとおもうんですよ。

8.chance
1枚目『To my brothers』収録のイケイケナンバー。3曲目『確かに進んだ道』の項でもすこし触れましたが、1枚目のアルバムはとくに悩まずにアレンジしてます。なんというかもう、その「パクリ元」まんまでもいいじゃん!みたいな、ほとんど悪ふざけのような面もあるんですわ。この曲はその最たる例と言えます。なんてったって原曲が彼女の10代のころのド直球な歌詞になんかよくわかんねぇ3コードがくっついてるようなものだったので、みんなで「こってこてなかんじにしようよ」とか言ってさ、「ベタだなぁ~」「うわっ、だっせぇ!」とか爆笑しながらやってました。それはやっぱり手抜きじゃなくて、これまで散々語ってきたように「そのときジブンたちが面白いとおもったから」ということだけでそういうことを大真面目にやってるだけなんです。少なくともぼくには、これを大勢のひとに伝えたいとか受け入れられたいといった想いは一切なかった。(もちろん詩央里はまだ見ぬ人々に届けたいという想いを背負って作っていただろうが。)
ところが今回、初めて詩央里のライブを見に来たという方から「詩央里の曲で一番聴いてるのがchance」「ランニングするときに必ず聴いてパワーを貰っている」という話を聞いた。作ってる当時はまさかそんなふうに、誰かの生活に影響を与えるようなものを作っているとはさ、まるで想像できてないわけじゃん、でもそれがこうやって実際に何年も経ってから届いてるんだよ、これってすごいことだよ、ありがたいのはもちろんなんだけど、届くものが作れてたってことなんだよ!とかいう話を打ち上げでメンバーとしました。嬉しかったなぁ。
実は今回この曲をマジ久々に演奏するにあたって、あのアレンジのままやるのってもう無理じゃない?おれめちゃくちゃハモンド弾くとかしたほうがよくない?とかいう話し合いがあった。やはりあのアレンジは現在の我々からすると稚拙だったり恥ずかしかったりする部分があったのだ。しかし我々は思い直す、「chanceはあのアレンジじゃなきゃ意味がない!」と。恥ずかしい?ざっけんな、堂々とやればええのよ!いま持てる技術で全力で演奏しろ!となった。それで大正解だったんやなって・・・。

9.忘れたくない日々
2枚目『咲く意味は』収録のハッピーなナンバー。今回演奏するにあたって、なんか元気すぎてうるせぇ印象を受けたのでファンクやソウルのようなイメージで音数を減らして、ちょっとブラックでグルービーなかんじに寄せた。たいへんだった。

・対バンの話
この日はふたつのバンドが1時間ずつくらい順番に演奏するツーマンライブという形式でした。競演はシンガーソングライターのELLYが擁するバンド『The First』だ。ELLYとはぼくが初めて詩央里といっしょにライブに出たときからの付き合いで、詩央里とELLYはもっと前から友達だったわけだ。バンド形式のELLYとの対バンは2019年の7月7日(2月3日かも)ぶりで、そのときドラムを叩いていた宮﨑征爾が今回もいるということで期待して観た。
実は彼は大学の後輩だ。ほかの短大を出てから入学した関係で年齢はぼくよりも先輩だが。という事実を知ったのはその2019年の初対面のときだったんだけどね。「耳だけ客席に置いてきたみたいなバランスで叩いててめちゃくちゃ音楽的で良いっすね~」とか話しかけて喋り合っているうちに発覚した。面識こそなかったが、共通の友達がいっぱいいたり、「礼節技食堂」「みんなの学費で光る庭」「エレベーターが狭いと感じたときはエリックミヤシロ先生が同乗してるとき」といった共通の話題で盛り上がった。そんな彼が今回のライブでは詩央里brothersに対抗すべく同期音源をひとりで作ってきたというので驚いた。ドラマーでありアレンジャーでありトラックメイカーでありバンマスという例はなかなか珍しいとおもう。
で、その同期トラックがもう、ほんとあちこちから工夫や苦労が見えて、面白かったしお疲れさまでした・・・とかいう話を打ち上げでしました。彼は「理解者現る!」と喜んでいた。そうなんです、こいつらのアレンジって大変なんです、大変だしたぶんこいつら我々のやってることの1/4も理解及んでないよ、でも歌って楽しいかどうかみたいな絶対的で単純な物差しを持ってるのはやりやすいよね~とかいう話ができたのは面白かったな。なんだこれ、対バンの話というか打ち上げの話じゃんね。

・打ち上げの話
昼過ぎ開催のライブだったので夕方には会場を出て打ち上げに行きました。詩央里のライブは毎度ほんとうに日本各地からお客様がやってくるので、打ち上げは彼ら彼女らで大盛り上がりになります。今回は我々もそこに混ぜてもらいました。まぁぼくにとっては今回「も」混ぜてもらいました、なんだけど。
でまぁbrothersの野郎どもともELLYや彼女のバンドメンバーとも反省会みてぇな内容の話ができたり、先ほど触れたように「chanceめっちゃ聞いてるんですよ」というお客様のお話を聞けたり、顔馴染みのお客様方とも話せてよかったんですけど、まだ夕方なんですよ。夕方から飲み始めるとどうなるとおもいます?ぼくはこの日は終電まで一生日本酒を飲んでいました。
まぁめちゃくちゃ酔うわけなんですけど、ぼくは舞台を降りてもミュージシャンとしての自覚があるので(酒ごときで人様に迷惑をかけるわけにはいかねぇという強い意志があるので)みんなと別れて電車に乗るまではきちんと人の形をしていたのですが、座席についたらもうなんかジブンがいまどこにいるのかとかがよくわからなくなって、ダッフルコートのフードを被って蹲って、次に気が付いたら最寄駅でした。駅から自宅までは普段の足なら10分ちょいですが、このときは25分くらいかかっていたようで、一体どうなっちゃってたんでしょうか。こわいですね。でもたぶん誰にも迷惑かけてないし?気持ち悪くなって吐いたとかいうこともないし?寝て起きたらふつうに元気だったし?ずっと楽しかったのでヨシ!「7時間日本酒を飲み続けると酔う」という発見もあったし、ぜんたいてきに楽しかったのでハッピーだったわ!またよろしくな。ほな。


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