校長室通信HAPPINESS ~人の行動を変える「ナッジ理論」とは…
1年生の「目的意識」は教師と同じか?
1年生が体育で「ぴょんぴょんランド」という授業をやっていました。「走・跳の運動遊び」の領域です。砂場とその周りにある6か所のステージひとつひとつに動物の名前がついています。
①イルカ…5台の小さなハードルを、片足、両足、速く…といろいろな跳び方でチャレンジ!
②カンガルー…台の上から砂場にある3つのフラフープに向かって高く、遠くにジャンプ!
③うさぎ…踏切の位置にある2つのフラフープに、足をうまく合わせてリズミカルにジャンプ!
④ワニ…踏切版を強く踏み切って、ワニが描いてある箱にひっかからないように、高くジャンプ!
⑤うま …砂場に向かって走り幅跳び。カンガルーやうさぎのように上手に跳べるかな?
⑥カエル …グラウンドにおいてあるフラフープを使ってステップ練習!リズムよくできるかな?
こんな場があるだけで、1年生はワクワクです。でもこの「ぴょんぴょんランド」、最初のうちはローテンションがうまく回らなかったり、動きがぎこちなかったりして、なかなかうまく流れませんでした。しかし、改良に改良を重ねて、数時間後には素晴らしい学習の場となりました。とにかく子どもたちが楽しんで何回もチャレンジしています。だから自然と運動量が増え体力がつきます。しかも「走・跳」の技能も高まります。担任の先生方によると、最初のうちはぎこちなかった子も、時間を重ねるに従ってだんだん身体を巧みに動かせるようになってきたそうです。つまり、教師サイドの最重要目的である「技能や体力をつける」ことはおおむね達成されたわけです。
では、1年生の子どもたちにその「目的意識」はあったのでしょうか?「今日の体育で技能と体力をつけるぞー」って意識してやっている子は、0とは言いませんが、ほとんどいなかったはずです。子どもたちが何回も何回もチャレンジしていた理由は、まぎれもなく「楽しかった」からです。
「感じさせずに、いかに行動させるか」…ナッジ理論で人を動かす!
アメリカの経済学者リチャード・セイラーは、行動経済学の知見から「ナッジ理論」を提唱しました。「ナッジ理論」とは、「そこにあることを感じさせずに、いかに人を主体的に動かすか」を可能にする理論です。ナッジ理論を活用した経済政策を「太陽政策」と呼びます。これはイソップ物語の「北風と太陽」に由来します。旅人のコートを脱がすためには強引な「北風政策」より、温かい日差しによって旅人が主体的にコートを脱ぐように仕向ける「太陽政策」のほうが、人の行動を無理なく変えられるという意味です。
ある国で「国民の健康のために野菜をたくさん食べさせよう」という政策を考えました。最初は国民に向かって「皆さん、健康のために野菜をたくさん食べましょう!」と訴えましたが、国民がそれまでより、野菜を好んでたくさん食べるようなことは起きませんでした。そこで国中のレストランに呼びかけ、入り口から入ったすぐの場所に、お替り自由のサラダバーを設置することを奨励しました。そのサラダバーにはいつも新鮮な野菜が置かれ、多種類のドレッシングが用意され、明るくライトアップされています。すると、お客さんは何回もサラダバーに足を運び、野菜をたくさん食べるようになったそうです。これが「ナッジ理論」を活用した「太陽政策」です。
1年生の「ぴょんぴょんランド」は、まさにこの「太陽政策」です。子どもたちは楽しみながら運動をしているだけなのに、知らないうちに「技能と体力」を習得させられていました。このように「ナッジ」をうまく活用して子どもたちの行動を変えていく場面は、学校教育の中には意外と多く見受けられます。
負の行動から正の行動へ
逆に、行動が正の方向に変容しないときというのは、教師が子どもたちの意識の変化に期待しすぎているときが多いと言えます。「ナッジ理論」の逆ですね。例えば教師は子どもたちの意識を高めるために、「廊下は走ってはいけません」というメッセージを繰り返し発します。でもうまくいきません。先生がいくら意識づけしても、普通の学校では子どもは廊下を走り続けます。御多忙にもれずうちの学校でも、休み時間になると全力疾走で廊下を駆け抜けていく子がいます。そこである日、子どもたちの多くが走ってしまう場所に、いくつかの椅子をジグザグに置いてみました。するとかなりの数の子が椅子の間を歩いて下駄箱に向かっていました。「廊下を走ってはいけない!」と注意せず、子どもたちを歩かせることに成功したわけです。
サッカーの指導場面でもそんなことは起こりがちです。「顔を上げてドリブルしなさい!」と言っても、経験が少なければ自らやってみようとは思いません。そんなときは、「ドリブルしながら前にいる人とじゃんけんする」というトレーニングを試みます。最初はぎこちなくやっている子も、何回か繰り返すと自然とできるようになってきます。大切なのは「自然と顔を上げてドリブルしている」という経験をたくさん積ませること。そのあとに「顔を上げてドリブルしてごらん」と声をかけても遅くありません。
「そんなんでいいの?」と思う人もいるかもしれません。もちろん大人になっていけばいくほど目的意識をしっかり持たせる教育も必要になるかもしれません。でも、「人の意識というのはそう簡単に変わらない」ということも知っておくべきです。変えられるのは「行動」です。「宿題をいつも忘れちゃう」「学習の準備がいつも遅い」…こんな負の行動を、正の行動に変える「ナッジ」…ちょっとチャレンジしてみませんか?
※参考文献 「脳のアクセルとブレーキの取扱説明書」 白秋社
著者 真壁昭夫(行動経済学者)・中野信子(脳科学者)
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