私のはじまりとは
寒くなってきました。私の気持ちも寒空の下にあるような…ごめんなさい。かっこいいこと言いたかっただけ。
こんばんは。皆さま風邪やインフルエンザ、コロナウイルスなどにかかってはおりませんでしょうか? 手洗いうがいはしっかりしましょう。なるっぺです。ちなみに風邪気味です。
皆様、唐突ではありますが 小、中、高校生時代はどのように過ごされましたか?また、現在 小、中、高校生の方。どのように過ごされていますか??
今日は私が学生時代あったこと、いじめや友人関係など、語っていけたらなと思っております。
何から言えばいいか悩みますが、私の小・中学生時代を一言で言わせていただければ、まさしく「暗黒時代」でしたね。カッコ良く言いましたが、いわゆる「いじめ」ですね。
ちなみに、去年のいじめに関する数値が50万件越えだったそうです。(気になって調べてみました。)内8割り近くが小学校でのいじめだったようです。私自身も小、中といじめを受けた時期がありましたし、正直不登校気味になった瞬間もありました。
ここで、じゃあなぜいじめはなくならないんだろう。なぜいじめが起きてしまうのか…。など、考察したり、語れるほど私もいじめが起きてしまう原因も、いじめっ子たちの心情も分かりません。そういう事を深く考えられる脳みそを持ち合わせてないのです。どうも、なるっぺです。(なるっぺはおつむが弱いのであります。)
私のいじめられた時期は2つありまして、1つは小学生時代。次に中学生時代です。社会人になってからも、いじめという程のことでは無いですが、心情的にはいじめを受けた時くらい胸が苦しかった出来事が最近ありましたので後々機会がありましたら語らせていただければなと思っております。
私へのいじめ その① 小学校
私が初めて、「あれ、これいじめられてるんじゃないか?やばくない??!!!」となった時期は小学校3年~4年の頃でした。申し訳ないことに、嫌な記憶すぎて何年生かは定かではないのです。記憶から抹消したいッ!!!!!という気持ちの現れですねきっと。ふふふ、私ったら。
私の代の同級生は、大人からしたら手のつけようがないほど、荒れていて。同級生はまだしも、先生まで虐められるような、そんな時代でした。さすがにいじめる対象も弱い人や、太った子、注意して来る子、真面目な子といった感じでしたが、まさか先生まで虐めるなんて…。と、当時小学生だった私ですら絶望を感じた程、いじめっ子たちの先生への罵倒は酷いものでした。
最初、私も関わらないよう知らんぷりを決めていた頃、いじめっ子グループの子たちが掃除もせず、遊んでばかりいたため、我慢の限界が来た私は先生に思わず「Aさんたちが掃除せずにサボってます」と言ってしまいました。
その時は、「私言ったよ、言っちゃったよ。これでちょっとは収まるんじゃない?」なんて甘い考えをしておりました。まさかこの後自分がいじめの標的にされるなんて、小3、4の子どもが思うとおもいます?否、私は思いませんでした。
掃除の時間終わり間際、各担当の掃除場所(私の小学校は昼休み後に掃除があり、教室や理科室や美術室、階段、校庭や校門近く等、それぞれ担当が分けられておりました。)からみんながぞろぞろと帰ってきた時、いじめっ子だった女子2人が私の元へきて、唐突に「お前チクっただろ!まじウザイんですけど。死ねよ!」なんて言葉を言われ、フリーズしてしまいました。
当時私は、「死ね」なんて言葉言われたことがなかった為、初めてクラスメイト、しかもいじめっ子に「死ね」と言われて、心臓がギューーッと締め付けられる思いでした。息もできず、「怖い」という感情と、何より大声でそんなことを言うもんだから、圧とほかのクラスメイトからの視線が怖かったでした。
ここで私の体型についてなのですが、私は学生時代ずっとぽっちゃり系女子でした。ダイエットしようと思っても、家の食事は大量で、何より親は過保護だったので、小、中時代はちょっと丸いくらい大丈夫よ!なんて言われていました。
そんな感じだったので、小学生の時は高身長(成長期)かつ、ニキビ(皮膚アレルギー)かつ、頭皮の皮(乾燥で皮が向けてしまい肩や髪に…)など、虐められそうポイント4点セットもあった私は、次の日からちょっとしたいじめを受けるようになりました。
小学生のいじめなんて、今考えれば鼻で笑えるようなものでしたが、当時は初めてのいじめ、聞こえよがしな悪口等、初めてな事ばかりで、自分の性格も内気なものだったので相当ショックが大きかったでした。
性格形成は幼い頃にできるものだと思いますが、どうやったらあんなに歪んだ性格になるんだろうと今でも考えたりします。ですが原因なんて分からないものです。いじめっ子達の心情など、虐められっ子に分かるはずもありませんからね。
そんなこんなで苦しい日々もクラス替えの時期には薄れていき、4、5年生の際の担任の先生がとても熱く、熱血教師と言う言葉が当てはまるような担任の先生でした。その先生のクラスになったおかげか、私の内気な性格も、前向きになり、ちょっとした事で泣くような性格では無くなりました。あの時、どうしてそんなふうに強くなれたのかは分かりません。思い返してみても、自分でも分からないです。不思議ですよね。
女子からの酷いいじめのようなものは無くなりましたが、男子からの見た目のいじり、罵倒のようなものはたまに頂きました。
傷つくことはありましたが、何よりも支えになったのは友人の存在でした。
弄られたりバカにされたりはしましたが、多分私の表向きの性格がひょうきんだったためか、一応友達という存在はいました。
ありがたいことに、今でも付き合いのある子には「なるっぺが話しかけてくれたからクラスに馴染めるくらい明るい性格になれた」なんてことを言ってくれる子がいたんです。
もうそれだけで自分は救われたような感覚でしたね。自分がされて嬉しかったことを知らぬ間に他の人にもしてたっていう事実が自分の人生においての自慢です。
そんな感じで小学生時代はちょっと虐められる。くらいの学生時代でした。
読んでみると「え、そんないじめられてなくない?」なんて思う方もいると思いますが…
先にも言いましたが、なるっぺは小、中時代は嫌な記憶なので、正直抹消してることの方が多いのです。絞り出して、こんな感じだったなぁ…。と振り返っている程度なのであしからず。
私へのいじめ その② 中学校
私のいじめられた時代その2は中学生の頃でした。これに関してはもうものすっっっっごく覚えてますね。ほんと思い出しても腹立たしいことばかりでした。今過去に戻れるなら中学生の頃に戻ってやり返したい気持ちでたぎっております。(チキンなので実際にそんなことはできません。)
中学生時代、そう。あれは私が2年生のときでした。1年生の時は何事もなく平和に過ごしていたのですが、2年生にあがり、新1年生が入学してきた頃。まさかこの新1年生たちがやんちゃ盛りでやばい子達とは思ってもみなかった私は、後にこう語るのです。後輩なんてクソ喰らえ。教師なんてクソ喰らえ。と……。
ちょっとカッコつけすぎてしまいましたが、私の1番の暗黒時代はこの中学2年生の時。
1年生による、通称「2年狩り」でした。
名前の通り、1年生が2年生の先輩を次々標的にしていき、いじめを受けるというものです。
基本的には廊下ですれ違ったり、1年生の階にある移動教室の際に悪口、暴言などを大声でいう。帰りに会ってしまうと石を投げてきたり、わざとぶつかってきたり。時たま足をひっかけたり、カバンを後ろから思いっきり押してきたり等、散々なものでした。
私の場合は夏頃に、なんのきっかけかはわかりません。いきなり始まったのです。1年生それぞれがいじめの対象を作っていたので、全体的にいじめられた訳でなく、1部の子限定にいじめられるといった感じでしたね。
こういう書き方をすると、1年生みんながいじめを行っていた。というふうに伝わってしまうかもしれないですが、いじめを行っていたのはいわゆる不良、素行の悪い子、先生に反抗的な子。こういう子達が行っていました。
当時美術部だった私は友人2人と一緒に美術室に向けて歩いている所、罰掃除か、美術室前にある水道などの掃除を新任の先生の監視付きでグダグダやっているところに出くわしました。
正直「うわ、最悪。通りたくないな…」と思いましたが、先生もいるし、何かあったら注意するだろ。と思い早歩きでその横を通ろうとしました。
やはりというか、1年生の(いつも私を罵倒したり石投げたりしてくる)子達がいつものように罵倒して、水をかけてきました。友人は心配そうに早く行こう、と先を促してくれましたが、私としては信じられなかったのです。だって先生が近くにいるのに、その先生は注意するでもなく「床が濡れるだろ!」なんて見当違いな注意をその子たちにして、私が何か言われたり水をかけられてる事に見向きもしたかったんです。
こんな教師がいていいのかよ…。とさすがに悲しさや怒りを通り越して呆れしかありませんでした。
こんな教師がいるから、いじめっ子たちは調子に乗り、自分たちの行いを恥じず、被害者の子供が増えるんだと思いましたね。
見て見ぬふり。それがどれだけ子どもの気持ちをえぐるか、その教師には分からなかったんでしょう。さすがの私も友人の前で少し泣いてしまいました。(友人は小学生の頃から仲良くしてる先程も紹介した優しい友人です)
その頃から学校に行くのが嫌になり、廊下で もしすれ違ったらとか、帰りにまた何かされたら…と考えると怖くなり、学校を休みがちになりました。登校しても保健室へ逃げる日がほとんどでしたね。むしろ私の心の癒しは保健室で保健の先生とお話することでした。
そんな憩いの場もまさかいじめっ子達がサボる理由で来ることになるとは思わず、タバコを吸ってくると臭わす言動にも、保健室の先生は「火の後始末はちゃんとしなさいよー」なんて言うだけで、止めることもしませんでした。
何だこの腐った学校は、と当時は愕然としたものです。
正直、こんな生活が続いてばかりだったので、多少の影響が同級生にも行き、ちょっとしたいじりが多発するようになりました。
3年に上がった頃には、移動教室がある度にビクビクする毎日でしたね。
3年の担任の先生はどこにでも居そうな怖い、生活指導の先生でしたが、一人ひとりの生徒の話をよく聞いてくれる優しい先生でした。
親身になって話を聞いてくださり、高校は同級生があまり行かないような学校がいいと話した際、資料など集めたり、なるっぺは面倒見がいいから、保育系か福祉系はどうか。等、当時 夢もなりたい職業もなかった自分にアドバイスをしてくださった先生に、今でも感謝の気持ちでいっぱいでした。その先生は兄の担任の先生も請け負ったことがあるらしく、兄弟揃って、その先生にはお世話になりましたね。
そんな感じで、私の中学時代は下級生も先生も信じられないような、鬱になりかけた時代でしたが、3年の担任の先生と友人に救われ、なんとか卒業することが出来ました。
今だから言えることですが、子どもにとって先生の存在は最後の希望だと思います。
親に相談できる子もいますが、大半の子は相談できず、心の内に溜め込んで、悩んで悩んで、最悪の場合は鬱になったり、自殺する子が出てくるのではないかと思います。
わたしは何でもかんでも親に相談と言う名の愚痴を零していたので、鬱にならずに済みましたが、助けてあげられるだろう大人が、近くにいる大人が見て見ぬふりをした時。子供は最後の希望すら真っ暗闇にどん底に落とされた気持ちになるんじゃないかなと思います。
教師という立場に立ったことない私ですので、教師をしている方の気持ちはわかりません。もしかしたら立場だったり、上の人が触れるなとか、そういう場合ももしかしたらあるのかな、とも思いますが。
それでも話を聞くなり、味方になってあげないと子どもにとっての最後の助けは大人では無いのかと思います。
だからといって、全て大人任せも良くないですけどね。
これは、みんな言ってる事ですけど、いじめた側は覚えていなくてもいじめられた側は一生、死ぬまで覚えてます。それは人によってはトラウマにもなるし、将来自分の足枷になる人もいます。
いじめなんで格好悪い。
いじめは時に人を殺します。
皆さん犯罪者にならないよう、今一度自分の行いを見直してみましょう。
話が暗くなりましたが、長いのでこの辺で終わりたいと思います!
明るく元気に!明日も1日頑張りましょう!
自分の人生楽しんだもん勝ちです!
自分の人生は自分で決める、どう生きるかは自分次第で決まります!
他人にとやかく言われても気にしない。
あなた自身でなりたい自分作っていきましょ**
内心チキンで何事にも否定的で、やる前から無理だと決めるようなこんな私ですが、自分の人生楽しんだもん勝ちという気持ちは捨てずに生きてます。
人生一度きりですからね!
長々となりましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
色々意見あったりするかもしれませんが、疑問や、共感などありましたら教えてください( ˙꒳˙ )
それもまた新しい自分の考えになりますので!
では、また〜