「どうせなら利他主義で」終身譲路、不枉百歩
終身路を譲るも、百歩を枉げず
―終身譲路、不枉百歩―
[原文](新唐書 朱敬則傳)
終身譲路、不枉百歩。
[書き下し文]
終身路を譲るも、百歩を枉(ま)げず。
[原文の語訳]
生涯において道を譲り続けても、曲げた距離の合計は百歩にも満たない。
[解釈]
生涯、他人に道を譲り続けたところで、その遠回りした距離は百歩にもならないほどのことということです。
一歩譲ることで、大局が見えてくることもあります。「急がば回れ」です。ガツガツいかずに譲る余裕を持ちたいですね。
「百歩譲る」ということばもあります。これを考慮すると「相手の道理(意見)を尊重することはしても百歩譲ることまではしない」ともなります。相手を否定はしないけど自分の道理は曲げないということになります。
「利他主義の信念を曲げなくても大したことではない」ということもでもよいかもしれませんね。