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「必要以上の怖がり」
そう見られることを気にしながら、若い「それ」は息を潜めるように人の街を歩いていた。濡羽のように青みがかった黒い外套をしっかりと掴み、できるだけ誰とも目を合わせず。異質なほどに黒を纏った「それ」は、この国の者ではない。
強い風に「それ」が身につけている外套がよく靡く。その身から黒を絶やさないように「それ」は風に合わせてぎこちなく歩く速度を調整している。大きな烏が街中を闊歩しているようである。その歩幅はかなり大きめで、風に戦(そよ)いで外套のフードなどすぐに外れてしまいそうであった。しかし、どういうわけだかフードは「それ」の頭を離れることはなく風を受けて膨らみ、猫の耳のように尖った部分が不自然に前後するだけであった。
その日は際立って寒いわけではないにもかかわらず、「それ」は外套を手放さず、外套の内にはフェルトの白い人形をいくつか携えている。「それ」は特別寒がりではない。しかし人形を撫でる手は、歩き続ける足は、怯えて丸まった小さな体は震えていた。時折左手を腰に持っていき、人形の頭を撫でてはキョロキョロと辺りを見回す。
あたりは行き交う人だらけ。楽しげな談笑に子供の燥ぐ声。「誰かといる」「人と人とが笑っている」、若い「それ」はそんな光景を見つけると、ぴたりと歩みを止め、誰にも悟られないほど小さく唇の両端をあげて微笑む。その光景に立ち会うたび微笑んだかと思うと、ふと我に帰るように「それ」はいっそうひどく怯え、ある時は顔を両手で覆い、ある時はそっとその場を離れ、そしてある時は逃げ出すように走った。走るのは得意ではない「それ」は、逃げながら頭をぐわんぐわんと歪に揺らし、もつれた足取りに幾度かこけそうになっていた。
人があまりいない場所まで逃げ込んだ時には、「それ」の目からは涙が流れていた。血の気のないようであった白い顔はいつの間にか醜い赤になり、いくら涙を手で拭おうと、先程までに見た微笑ましい光景を思い出せば思い出すほど、「それ」の目は涙を溢れさせるばかりであった。
「それ」は一旦先ほどの光景を隅に置こうと、連れていた白猫の人形を取り出した。人形の額を撫で、「それ」は人形に思いつく限りの幸せなことをした。抱っこしたり、肩に乗せてやったり、該当の胸元から覗かせて温めながら街を見せてやったり。その行為が人形を喜ばせるためではなく、ただ自分がその幸せを欲しているだけだということに「それ」は気づいていた。
「……ここなら、いるかな?」
頼りない様子で「それ」は人形に声をかけた。その言葉は人形遊びにしては真の通った、まるで親しい者に投げかけるものだった。しばらく黙った後で「それ」は人形を抱きしめた。その後、人形を腰に戻し、フードの両端の尖りに手を当てた。「それ」は尖りの内側に隠した何かに触れているらしく、「それ」の両腕から生える形の良い手は、何かを確かめるようにしばらくかざされたままだった。
「ぼくでも、やさしくしてくれるひと。ぼくにも、おはなししてくれるひと。ぼくとも、あそんでくれるひと」
呪文のように「それ」は呟いた。不安はぬぐい切れておらず、所々声が小さくなっている。
空は真っ昼間であった。日が暮れるまではまだ時間はありそうなほど日は高かった。下を向いていて気がつかなかったが、冷えた風の上を太陽が暖かく照らす柔らかい空気が、なんだか心地よかった。
「おひさま……」
疎むような羨むような声で言った。なんとなく嫌になって、「それ」はできるだけ日向を避けて歩くことにした。
日陰なら多少景観は劣っても、人はあまりいない。「それ」にとっては幾らか寂しいことではあったが、人を見るたびに気が動転するよりはましであった。おそらく、日の当たらない場所は人の住むところではない。どこか適当にお気に入りを見つけて夜は過ごそう。そう考えてその場に腰をかけた。
「おい」
知らない声がした。すっかり一休みするつもりでいた「それ」は慌てて飛び上がった。咄嗟に跳ねた弾みで外れそうになったフードを押さえていた。
「見ないなりだな。この国のもんじゃないだろ?」
「それ」の頭上にいたのは紛れもなく人であった。
所謂路地裏。陽光を背に立つ少年。彼もまた「それ」と似た銀色の髪を持っていた。この国にその髪色を持つ者はいなくはないが、滅多に生まれるものではない。「それ」が暮らしていた異国でも、見かけることはついぞない。
彼は「それ」と外見だけは近い世代のように見える。流暢なこの国の言葉に気が動転して、先ほどは「人」と認識したが、若い姿を見れば見るほど、それが時の流れに付随した物であるかと不安になってくる。「それ」は彼のうちから湧き出るような健やかなで確固とした気のようなものにいつしか怯えていた。
「……」
「それ」は会話を繋ぎ止めるように軽く頷いた。
「ァ……。ぼくは、ええと……」
「いい。場所を変えよう。ここは人が多すぎる」
そう言って彼は左手を暗闇に翳し、手のひらから幾許か離れたところに碧い炎を発生させた。炎は手のひらの高さで浮かんでおり、まるで糸で吊るされているかのように高さを保っている。
「何をしている?行くぞ」
若い「それ」が炎に見惚れていると、紺の着物に身を包んだ彼が急かした。彼は「それ」の腕を掴み、みるみるうちに大きくなっていく炎に頭から飛び込んでいった。飛び込む彼の頭上に「それ」は長い一対の耳を見たような気がした——
眩しい炎を抜け、転がるように投げ出されたのは知らない一室であった。嗅ぎ慣れない、何とも言えない匂いがする。この匂いの正体であり、今「それ」が倒れている地面でもある規則正しい床が「タタミ」と呼ばれるものであることを知ったのは、一通り彼との話が済んでからであった。まだそうとは知らない「それ」は地面の波打つような感覚が物珍しく、指先を這わせて行ったり来たりさせていた。
大きな紙の扉には綺麗な花の絵が描かれており、薄暗いこの場所をぼんやりと天井からの明かりが照らしている。
「何故、此処に来た?」
いつの間にか靴を脱いでいた彼が突然問いかけた。「それ」はどきりとしたがそれを悟られないように体を震わさずに彼の方を見た。しかし、警戒の念は彼にも伝わったらしく、彼はため息を吐いて付け足した。
「此処は島国だ。お前がどこから来たかは知らないが、わざわざ此処に来ると言うことは、何かしらの目的があるんじゃないかと思った。見たところ、お前は西洋の者だな。差し詰めいいところの坊やと言ったところか。そんなお前が何しに此処に来た?」
彼の言葉に怒りや軽蔑はなかった。寧ろ遠回しな優しさがあった。
「……ニホンに、きたくて。ここ、ニホンなんだよね?」
辿々しく「それ」が尋ねると、彼は目を少し大きく開いた。
「そうだな」
「じゃあ、ぼく、みたいもの……あいたいひとたちがいるの!!」
「知り合いか?」
「しらないひと。……でも、しってる」
一言で言い表せないもどかしさに「それ」は俯き、大きなカラスのような外套の中で手足が落ち着きなく動いている。連れている人形のフェルトの肌に触れているようだ。
「なんていったっけ?ヒャキ……とにかく、いっぱい、ヨウカイがあるいてる!!まえに「え」をみたんだ。あれは、ニホンにいるんでしょう?」
「ほう……?」
彼はそれだけ言うと、クスリと笑って濁ったように真っ黒な右目で見つめた。
「その、ヨウカイと言うのは、こんなか?」
彼の言葉に人形を撫でる手を止め、彼の方を見上げると、先ほど見たような大きな狐の耳が頭に生えていた。腰の方に目を下ろすと筆先のような豊かに毛のある狐の尾も生えている。彼の姿は青い火に照らされ狐の影を作っていた。紙の仕切りの白が彼の光の青を受けて美しく透き通っている。忍(しのび)のような紺の着物に青白い背景が浮かび上がった妖狐の姿を見て「それ」は息を呑んだ。
「!!……そう!」
「……クフフフッ、此処は怖がるとこだぞ?けれどまぁ、妖怪に会いたくて海の向こうから来客とは。珍しいこともあるものだ。おっと、ボクは夜天(やてん)と言う。そして此処はボクの家。此処にいる間は安心して欲しい。」
夜天と名乗った彼はにやけた視線を見せながら「それ」を観察した。いかにも秘密主義な出立ちから、「それ」が訳ありであることは疾うに見抜いていた。
「お前、名は何と言う?」
「ぼくは……、ぼく、は……」
何かを言おうとして止まっているようであった。と言うよりは名前を言い出すことを戸惑っているようで、しばらく言い淀んだ後で「それ」は夜天を鋭く睨みつけた。獣のように爪の伸びた手を地面に付け、猫のような碧い瞳は爛々と光らせ、小さく伸びた牙が口元から覗いている。
「もしや、失礼な真似をしたか?すまない……そうだよな。名前には魔力が宿ると言うからな。もしや、迂闊にも名前を明かしてしまったボクは、お前に食われてしまうのか?」
自嘲するように夜天は言った。すると「それ」は物陰を探すように逃げ出した。しかし広い和室には何もなく、物陰を見つけられなかった「それ」は震えながらフードを引き伸ばしてその場に蹲った。
「たべ、ない……!!」
「……やはりか」
「いつから、わかってたの?」
観念したように「それ」は夜天の顔をまっすぐ見て訊いた。
「さぁ。いつの間にかだな」
夜天はそう言うと、「それ」のフードを優しく外した。フードの外れた「それ」の耳は尖っており、顳顬(こめかみ)の辺りには、黒い羊のような角が生えていた。額に手がかざされると「それ」は怯んでフードが取られるのを止められなかった。気まずそうな「それ」を見て、夜天は話を変えようとした。
「あぁそうだ、話を戻そう。君みたいな奴が何故妖怪に会いたがっている?お前がいるように、向こうには向こうの化け物がいて、化け物同士の祭りだ何だがあるんじゃないのか?」
「……だれかと、なかよくしてみたい」
「?」
「だれでもいい、っていったら、ひどい?ぼくは、「あい」がほしいの。「あい」ってさ、たぶん、じぶんだけじゃわからないから。どんなにえほんをよんでも、どんなにおにんぎょうとあそんでも、かみやかべにいっぱいハートをかいても、むこうからやってくるものじゃなかった。ぼくがでかけてもらいにいっても、みんなさける」
此処で一旦話が途切れ、「それ」は泣き出した。涙をこらえて語る様は人の子と遜色ない。
「ぼくがまえにいたところで、ひとりだけ、ぼくをかってくれたの。でも、そのひとにとってぼくはペット。やさしかったけど……、よるになるとときどきぼくをいじめる。たのしそうに」
にしては身なりが綺麗だと、夜天は「それ」の虚言を疑ったが、まだ嘘と決めつけるには情報が少なく、夜天は話を聞き続けるしかなかった。
「いたくも、こわくもなかった。よくあること。だけど、それがつづいていつか、ぼくには「なかのいいひと」がいないってきづいたんだ。それから、どうしてもだれかになかよくしてもらいたくなって……」
思っていたより深刻な客だったと夜天はため息を漏らし、懇願するように目の前で涙を流す「それ」を見つめていた。
「お前のとこで誰かに仲良くしてもらえ……っていうのは無理難題だってことはわかった。つまり、お前がお前のまま受け入れてくれる奴を探してるってことだな」
「うん。ぼく、えをみたんだ。ニホンのヨウカイたちがたのしそうにあるきまわってるの。すがたをかくさなくていいんだって。ここなら、みんなぼくのことしらないから、どうこわいかもわからないでしょ?」
「……じゃあ簡単だ。ボクが君の友達になってやろう」
「ともだち……?」
「そうさ。遠路遥々一人旅というのも、心細いだろう?」
「ひとりじゃない」
「それ」は外套を広げてみせた。外套の内側には人形がいくつかと、お気に入りの絵本が並んでいた。
「まぁまぁまぁまぁ。そいつらに心はあるのか?」
ガクリ、「それ」の肩が落ち、人形たちは外套の中に隠れた。
「ない……たぶん」
「だから、ボクが君の知り合い第一号となろうと言っている。不満はあるか?」
「ないよ」
いつの間にか「それ」は泣き止んでいた。夜天はペースを掴んだとばかりに「それ」を受け入れていた。
「少し、意地悪なことを聞くが、いいか?もしもお前の会いたい奴らに会えたら、その後はどうするんだ?」
「かえる」
「虐げられにか?」
「そこはだいじょうぶ。よくあるから。なにかあったらあいにいけるんだっておもえるだけで、うれしくなるから」
「逆に会えなかったら?」
「ほんとうはしってるくせに」
試すように「それ」は言った。「は?」と言って夜天が「それ」を見ると、「それ」は期待を込めて笑った。
「あなたはニホンのこだから、ぼくのあいたいひとたちのこと、しってるんでしょ?」
「それがだな。最近はめっきり見かけないんだ。人間がこの国の中心になったからな。恐らく、どこかで細々と集まっているとは思うが」
「じゃあ……さがす。それでなくなってたらみんなでやる。そのヒャキヤコ」
百鬼夜行。「それ」がそう言いたがっていたのを夜天は理解していた。
「そう来るか……。だが、挑み甲斐はありそうだ」
夜天の言葉に「それ」は目を輝かせていた。夜天もまた、「それ」の熱意と人騒がせな願望に退屈が紛れそうだと期待していた。