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別室登校の次男が学校の宿泊行事に参加し、母は涙した(不登校児の兄弟問題)

うれしくて泣いた。一昨日、次男が小5の宿泊行事に参加するために、家を出ることができた。ドアを開けて出て、私の目をじっと見たので、笑顔で「行ってらっしゃい!」というと、ドアを放して歩き始めた。

かれこれ、ちょうど丸3年になる。私の次男は長男の不登校につられて、心が不安定になり、学校に行くリズムも崩れた。

ある日の朝、長男が起きて学校に行けなくなった。長男が小6の7月、次男が小2の7月のことだ。

次男が小学校に入学した年は、コロナが発生したため、入学式が6月に延期。その後も、いろんな制約がある中、子どもが子どもらしく学校生活を楽しめないまま、月日が過ぎていた。

少しずつ通常モードに変わりつつある小2の7月のこと。今まで兄弟で学校に行くのが当たり前だったのに、急にひとりで学校に行かなくてはならなくなった。調子が狂うのも無理ないだろう。

長男の不登校は長期化すると予測していたので、私が次男の性格や人間性を踏まえて、次男のゴールを決める必要があると思った。「長男が不登校だから、次男もつられて家にいても仕方がない」ではなく、「それぞれにとってエネルギーがたまる時間の使い方」「心がハッピーな状態」を目指すことに決めた。

長男のゴール:
家で必要なだけ過ごし、エネルギーがたまって、自分から前に動き出せるようになる。それまで無理させない。(周りの大人が強引に引っぱらない)
※うつの症状がみられた

次男のゴール:
①まずは「こころの安定」を目指す。そのために、家で楽しい時間を過ごして満たされるようにする。母親の私と過ごす時間を増やす。
②生活リズムが崩れないように、「別室登校」で学校と母親が連携。
③少しずつ先生とクラスの友達とのかかわりを増やしていき、最終的に本人にあったタイミングでクラスに合流する。

長男が不登校になると、次男は「お兄ちゃんだけズルい」と言って、学校を行き渋るようになり、それがしばらく続いた。

小2の7月以降、学校への行き渋り。
小3の3学期は完全不登校。
小4は1年間ずっと別室登校。
小5は別室登校からスタートで、最近は教室でみんなと一緒に授業を受けられるようになり、宿泊行事に参加できた。

ふりかえると、息子たちを出産する前から出産後も会社員で、常に仕事が頭にある感じで子育てをしていた。時短がとれる職場や会社には感謝していたが。

長男が小3のときに、学校に行けない日も出てきたので、その年度いっぱいで仕事をやめることにした。たまたま、2人の祖母がその年に亡くなり、棺に入った祖母たちを見て、私が棺桶に入っている姿を想像した。死ぬときに何か後悔することはないか……

子ども達の顔が思い浮かぶ。日常で息子たちとちゃんと向き合えていないと思った。そこで、フリーランスに転向し、時間の自由が利く生き方を選んだ。その2年後に長男が完全に学校に行けなくなる。

神様がくれた最後のチャンスだ。私は親になって初めて「この子は本当は何を思い、何を望んでいるんだろう」と考えるようになった。

長男の不登校がなければ、私がフリーランスになっても、私は「息子たちの本当の気持ちを知りたい」と思ったり、その気持ちをしっかり受けとめたりすることなく、棺桶に入っていただろう。

「セーフ!!セーフ!!」と心の中で大きく叫んだ。
心底、長男の不登校に感謝している。

ところで、次男の方が長男より、育てるのがものすごく難しい。なぜなら、長男は私と似ているので、今まで私の感覚でコミュニケーションすればいいが、次男は私とはかけ離れた性格なので、想像と工夫で毎日が試行錯誤だ。

・次男は右脳人間(長男と私は左脳人間)
・義理人情で動く(正論では動かない)
・超マイペース
・自分の調子が狂うとすぐに萎える
・超照れやさん
・尽くされるとうれしいし、尽くそうとする
・ラクな道を選ぶ

頭ではなく気持ちで動く人なので、絶対に言葉で追いつめてはいけない。そもそもペースや時間の感覚が違うから、こちらの感覚で話をしてはいけない。本人のことを他の人に話すと恥ずかしがって調子が狂うので、本人のいないところで話した方がいい。今まで私が数えきれない地雷を踏んできて、自分の中に取扱説明書ができた感じだ。

レイクスクールは、前日の晩は行かないモードだった。それまで楽しみにしていたのに。

なぜか、次男は部屋の班長だった。彼は班長に自分からなるタイプではないので、そこはあえて触れない方がよいとみる。プレッシャーになるといけないから。

3日くらい前から「先生にしおりを5回読むように言われた」と言って、2日くらい前から真剣に読みだす。

「どこか分からん」としおりの館内案内図が見にくいことにストレスを表わす。班長会議の場所が地図で確認できない。親としては、当日その場で先生たちが声をかけてくれると分かっているが、自分で行くつもりのようだ。ある意味、責任感が強いし、地図が読める人にとって見にくい地図は気持ち悪いのは理解できる。

前日の細かい準備で服が1セット足りないことが原因か、班長のことでスッキリしないのか、「行かない」と言う。琵琶湖でのレイクスクールということもあり、全部で4セット服を用意する必要がある。洗濯中の服を翌朝足すと、数はそろう。

私はここで「行かない」から空気を変える必要がある。ふと、過去の日々がよみがえった。小4は学校に行く日は毎日電動自転車の後ろに乗せて一緒に学校に行き、別室では雑談して気持ちを和らげたり、オンライン接続がうまくいくのを見届けて帰っていた。あの、日々の延長に今がある。簡単には引けない。

何より、次男はたまたま長男の不登校の玉突き事故のような感じで、調子が狂っただけなので、子どもらしい経験をして、子どもらしい学校生活を送ってほしい。何を言おうか……

私「あとから振り返ったら、レイクスクールが小学校で一番楽しかった!になるかもしれないから、行った方がいいんじゃない?いかだを作れるねんで」

次男「つまらんかもしれないで。行くのめんどくさいし」

私「つまらないか、楽しいかは行ってみないと分からないで。親としては子どもにレイクスクールを経験してもらえたらうれしい」

次男「行かへんで」

私「行ったら好きなものを食べさせてあげるから行き」(次男は料理に興味があり、食べることが大好きなので、今までも食べもので釣ったことはある)

次男「食べもので、行かへんで」

とりあえず、明日もって行くお弁当の中身を確認して寝る。

朝6時に起きた時点では形勢は不利だ。でも、最後まであきらめない。
私は7時までにお弁当を作る必要があるけど、30分でできるのは分かっている。朝の声かけと1時間をどのように過ごすかで、「行く」可能性はわずかでも上がる。明るいトーンで声をかけよう。

私「おはよう!6時やで」

次男「行かへんで……」

私「荷物の再確認を一緒にする?洗濯物も乾いたし、これでズボンもパンツも数がそろったよ」

次男「あ、かばんこっち」

私「じゃあ、しおりに書いてある持ち物が入っているか確認する?一緒にする?」

次男「うん」

私はしおりの持ち物を読み上げ、次男は入っているかを確認。そのペースで10分ほどかけてひとつずつ確認し、荷物が完璧にそろうと、次男の表情が明るくなる。恐らく、行くと行かないが五分五分か……

その後は、あえて話しかけないようにした。私の言葉が原因で、行かないことになるリスクは避けたい。

次男は体操服に着替え、お弁当をリュックに入れると、玄関に向かった。ドアを開けて私の目を見た。

「いってらっしゃい!」

超マイペースな次男の性格を考えると、何かモヤモヤすることがあったら、ストを起こす可能性もある。バスが学校を出発したという連絡が保護者全員にメールで入ったとき、うれしくて泣いた。今回は9回裏に逆転さよならホームランを打った気分だ。

1泊2日の宿泊行事から帰宅。「どうやった?」と聞くと「楽しかった!」とのこと。ほらみってん。

・グループでのいかだづくりは、最初のやり方では浮かばないと分かっていたけど、口を出さず見ていたこと(事前に動画で研究していたらしい)

・作り直したいかだは、ちゃんと琵琶湖に浮いたこと

・みんなでレースをしたら5組中4位だったこと

・晩ご飯に出たトマトは嫌いだけど残したくなかったら一番に食べたこと

・夜は怖くて3人がくっついて寝たこと

・帰りのバスではトイストーリー3を観たこと

いろいろ教えてくれたね。
今朝は「家にいるより学校に行った方がいいと思う」「ずっと教室にいると思う」とつぶやき、登校。

子育てはマニュアルがないから、すべてが未知数。親が、目の前の子どものことを信じる。そして、その子の人生の中で今をどう過ごすことが将来のためになるかを考えて、今の子どもの気持ちを大切にしながら伴走する。子育てはぶっつけ本番。言うほど簡単じゃないけど、生きてる感が半端ない。

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