与えてばかりの家族関係に疲れてしまった話

 私はAとBという条件を出され、それに適した折衷案あるいはどちらも叶える案としてのCを提示するのが得意。
 気づいたのは就活生のとき。周りの友達からすごいねといわれた。普通は間に挟まれて困ってしまうか、自分の思いに応じてA/Bのどちらかに加担するらしい。
 でも私にとっては日常茶飯事のことだった。父がいて、母がいて、私はその間のバランスをとるか、中立の立場で皆が納得する方向に持っていくのが当たり前だと思っていたから。

 どんな長所も裏返せば短所になるけれど、私の場合は自分がやりたいことがわからないというのが短所だったかもしれない。私のやりたいことや私の立場を示すより先に、父は父、母は母で強烈な色を出してくるので、今までは自分がどうありたいか考えることがなかった。毎日毎日二人で喧嘩をしているし、母は反抗期の娘のように父に暴言を吐きまくるので、反抗期を母に取られてしまった私は、どうしたら家族が崩壊せず無難に対立を乗り越えられるのか、そればかり。

 加えて、子供のころに将来の夢を否定されたり、話を聞いてもらえなかったりした経験があって、私のやりたいことというものが消え失せてしまった。ていうか、自分の気持ちがわからない。
 父も母もよくしゃべるので、私が話す隙間がないし、ふたりとも自分の話したいことを話すばかりで、相手の興味だとか相手の話したいことにおかまいなし。あと、母は私の気持ちを勝手に憶測して決めつけるので、そういうことでいいよ、と受け流している。
 だったら自分から話せばいいでしょうと言われるかもしれないけれど、私の興味のあることにはふたりとも興味がないので、すぐに自分の話に引き戻したり、流されたりしてしまうものだから、もう話す気が失せてしまった。加えて、ようやく気づいたのだけれど、母は正直頭がよくない。文章に主語がないし、「あれ」「これ」ばかり使って話すので何のことか確認しないといけないし、何より話に脈絡がない。私の周りにこんな人は母以外にいないので、一緒にいるだけでとても疲れてしまう。

 母は精神年齢が幼く私が小学生の頃から私に甘えてきて母娘が逆転していたし、父は父で借金まみれで大学生の頃から私が援助をしている状態。何かあったら家族を支えられるのは私だけ。変な話だけど、なんだか頼れる人とか相談できる人とか信頼できる人がいなくて、ひとりぼっちな感じ。会社の繋がりや友達はいるから助かっているんだけれど、なんか、私のお父さんお母さんはどこにいるんだろうって、思っちゃった。

 与えてばかりの家族関係にすっかり疲れてしまった。いや、私が与えすぎているのかもしれない。一人暮らしは始めたけれど、ものの移動とかもあってまだ週に1回くらいは実家に顔を出している。自分が幸せになることや両親にNOと言うことに罪悪感をもたない状態になるのが、私の今の目標かな。

 それから、一人暮らしを始めてから両親と自分の関係を客観的に見られるようになったかもしれない。両親フィルターを通さずに祖父母や叔父・叔母とコミュニケーションを取れるようになったことで、子供のころは両親からの圧で自由に話せなかったこともオープンにできて援助をしてもらえたり、自分の認知の歪みに気づけたりした。
 いとこは私と同じで一人っ子だけれど、私と違って毎週末家族で出かけたり、好きなものは我慢することなく買ってもらえたりしていて(世間的には甘やかされているほうかも)、子どもってこういうことなのかと思った。私は子どものころ自分から自立を求めていたということもあるけれど、子どもでいさせてもらえなかったんだなあということに気づけた。

 AとB、人と人の間をとろうとするのでなく、私は私を出していくこと。そのためにも、自分の満たされなかった気持ちや、両親に対する恨み・つらみ・その先にある感謝(?)を整理していかないといけないなあ、、。

 …という、独り言でした。

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