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胸に宿す熱で何度でも甦れ――「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」感想

再生産総集編「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」を見てきました。「再生産総集編」とはなんぞや、という感じですが、それ即ち、「総集編」という枠組みすらも作品のテーマとして取り込んでみせた、ということです。

再生産総集編を見るにあたって、TVシリーズを見直しました。当時を振り返れば、1話時点の感想も、見終えてからの評価も一貫して高く、かなり「好きな作品」だといってよかったと思います。けれど、作品単体で向き合えず、印象が細切れに分散していたために、輪郭がぼやけてしまっていました。繰り返されるレヴュー。それを望む観客としてキリンの視線を受け止めたとき、改めて目が離せなくなりました。(この総集編でキリンがこちらに問いかけなかったのは、TVシリーズを経た我々を想定して再生産されたものだからですかね)

なので、ここでは総集編の感想というよりは、改めて「レヴュースタァライト」に向き合ってみた所感を記そうと思います。

舞台少女が目指す先に

彼女たちを取り巻く「舞台少女」や「トップスタァ」という概念は、まったく馴染みがないわけではないですが、我々の認識からは半歩ズレているように感じられます。始まりからして、学園の仲間と切磋琢磨する青春物語とも取れますが、その実、彼女たちが目指すものは明確な形を伴って示される類のものではない。

秘密裏に行われる「オーディション」、衣装と武器を纏ってぶつかり合う「レヴュー」、それらを司るキリンという存在。「理不尽な運命に翻弄される少女たち」という構図にも見えますが、舞台を構築するのは彼女たちの「思い」そのもの。常識を超えた「レヴュー」の数々を現実に繋ぎ留めるのは、歌い踊る彼女たちの動きや言葉であり、繰り返される「レヴュー」を通して彼女たちの目指す「トップスタァ」というものの輪郭がだんだんと浮かび上がるようになっています。

作中で重要な演目となる「スタァライト」についても、繰り返し繰り返し彼女たちの口からなぞられることで強度を増していきます。我々が知る由のないそのモチーフとフレーズが自然と作品世界と重ねられ、彼女たちが挑むべきテーマとして受け止めることができる。

このあたりの多重な世界を感覚で理解させるのが、アニメとしての力そのものであり、演劇という虚構を孕む題材を上手く飼い慣らしているな、と思わされます。

感情の怪物たち

TVシリーズを追っていたときは、やはり第7話「大場なな」が印象に残りがちでした。世界を捻じ曲げて「あの一年」を繰り返すほどの思いの熱量は、黒幕級といっても差し支えなく、種明かしのギミックとしても驚かされました。

しかし、改めて見直してみると、9人それぞれが「舞台少女」たる熱量を抱えていて、そして、それらに個々に迫っていく物語として受け止めることができました。印象的な(そして、作品の核となる)「アタシ再生産」という言葉と演出は主に華恋に対して示されてきましたが、総集編では改めてそれぞれに付与されていました。「レヴュー」はオーディションの一幕であると同時に、羽化を促す試練の舞台でもあったのです。

露崎まひるは特に印象が変わりました。彼女の華恋への思いを「そういうもの」として片づけてしまっていたからでしょうか。改めて見直して泣いた場面はいくつかありますが、嫉妬のレヴューで『恋の魔球』をバックに泣くとは思ってもみませんでした。

「レヴュー」で相対する二人の間を行き交う感情は、歌によって増幅され、武器となって我々に叩きつけられます。勝敗の結果に関わらず、彼女たちが踏み出す一歩はそれだけで眩しい。

そうして前を向いた彼女たちだからこそ、幕間での「舞台で待ってる」という言葉はより重く響きます。そこで流れるのが『舞台少女心得』。彼女たちが目指すものが何かを魂で理解したところで、原点に立ち返る。ラストダンジョンに挑む構図でここまでの「全部」が乗ることで、ここでも反射で泣く体になってしまいました。

総集編ではカットされていましたが、ポツンと置かれたひかりの端末に送り続けていたメッセージが受信されていく様が印象的で、「おいおい、よりもいじゃん」と思いました。(余談)

総集編という名を借りた劇場版

「総集編」と聞いて、「あのシーンは入るだろうか」「あのシーンはぜひ見たい」と思いを巡らせたと思います。そもそも、「総集編」にそのような期待が寄せられる時点で、ごく一般的なTVアニメシリーズとは一線を画しています。あまりにも、名シーンが多すぎる。

この作品には「舞台映え」という言葉がよく似合います。

所属の名乗りから、舞台登場時の口上、セリフの応酬に至るまで、演技の堺目を行き来して繰り出される言葉は強い。感情の運びが上手く、「そこでその言葉を言ってくれ」が叶えられるので、何度でも見たくなる。まさにレヴューの虜です。

文字演出が重要な位置を占める作品でもありますが、キャラ名やレヴュー名の表示の仕方がワイド仕様になっていたり、校内の説明や舞台装置名など、「そんな名前あったんかい」というような字幕が追加されていました。

絵的に見ても、「アタシ再生産」の変身バンク(総集編では一発目にぶちこんできやがった!)、各レヴューの舞台装置はもちろん、動きのカットとして明らかに「決めゴマ」と思われる個所がいくつもあり、「劇場で見るのがふさわしかったのか」と思わされました。「レヴュー」の歌の威力も増していて、「運命のレヴュー」のラストにおける体重の乗りっぷりはやはり圧巻でした。

終わりの続きの始まりへ

そして、この作品がただの「総集編」と一線を画すのは、「同じであって、同じでない」という舞台の特性を踏まえた、まったくの「別物」であるという点です。新規カットと呼んで捨てるにはあまにも中核すぎる。劇場版という続きが描かれる上で、こんなにも「らしい」繋ぎ方はないと思います。


こうして、ようやっと「レヴュースタァライト」という作品の魅力を思い出すことができました。劇場版が今から楽しみでなりません。

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