電話帳に並んでいるこの先もう出会うことのないであろう人たちのこととか
会話の中で生じる定型の質問の中に「あなたは何恐怖症ですか」というものがある。言いながらそこまで定型じゃない気がしてきたけれど、まぁ、ある。そうして反射で返してしまうので、やや形骸化しているきらいもあるけれど、私はずっとそれに「閉所恐怖症」と答えてきた。
その恐怖はどちらかというと「閉ざされていること」よりも「狭いこと」に起因していて、とりわけ「身動きができないことを自覚した瞬間」に一際大きな恐怖に襲われる。子どもの時分に床とローテーブルの間のわずかな隙間に身を滑り込ませたことがあって(理由や動機は不明である)、そこに入れはする(し、出ることもできる)ものの体の向きを返るほどのスペースはなく、明らかに動作の自由が奪われていることがわかったときに「この状態はとても嫌だな」と思った記憶がある。そこまで冷静だったかは定かではないけれど。
後に『ローワンと魔法の地図』という児童小説を読んだときに似たような状況が出てきた。というのも、勇者一行が魔の山に挑んでいく中で、一人ひとりの弱点や恐怖症を狙い撃ちしたかのような試練が行く手を阻み、仲間が次々と脱落していくのである。山の頂に至る洞窟はどんどん狭くなっていく構造をしていて、閉所恐怖症の仲間はそこで引き返すことになる。その洞窟を抜ける際、自由に体を動かせない仲間の一人が、体の小さいローワンに水を飲ませてくれるよう頼むシーンをとてもよく覚えている。「水を飲みたいのに自分でそれを取ることすらできない」のが怖かったのだ。
これは比較的ポピュラーな恐怖であるらしく、他にも、伊藤潤二『阿彌殻断層の怪』は突如出現した謎の人型の穴に入ると自分とぴったりのサイズになって二度と帰ることができない、という話だったし、異常存在を研究する架空の報告書を創作する「SCP」の中の「SCP-1562」は腹ばいになって滑り降りるとその人物が消失するという滑り台を扱っていて、消失した先は暗闇で身動きがとれない、という事象だった。消失しているのに何故それがわかるのかという向きもあろうが、それを探るための実験がなされたということであり、その音声記録の詳細がひたすらに最悪なのだ。
さて、時間はすっかりと経ってしまってまた月の瀬である。上記の文章を書いていたのは半月ほど前の自分であり、月イチ投稿を逃さんがための涙ぐましい下準備をしていたわけなのだけれども、結局何の話をしたかったかというと、それとはちょっと違うけれどなんか名前のついてなさそうな恐怖症が自分の中にありそうだな、みたいなことだったはずだ。
それをひとまず何も整えずに出力すると「どう足掻いても自分はそこにはアクセスできないんだという絶望」という感じになる。
例えば。いつだったか「にじさんじ」のイベントか何かがあって、その前日に出演予定のライバー数名が同じ部屋に集まってツイキャス(そう言えば、ツイキャスの"ツイ"は今も生きているのか?)をしていたことがあった。状況だけ見れば普段の配信、それこそオフコラボみたいなシチュエーションとあまり変わらないと言えるのだけれど、ツイキャスだったからなのか、そこに集まっているという「質感」があり、「自分はその空間をどう足掻いても観測できない」と認識した瞬間、どうにも苦しく落ち着かない気持ちになってしまった。「そもそもそこに行けるわけないだろ」みたいな話ではなくて、その「場所」は自分と地続きのどこかに必ず存在しているはずなのに、バーチャルという特性上その裏側を見ることは決してできないのだ、という事実そのものが怖くなったのだ。その「こちらから伸ばそうとする第三の手が見えない壁に阻まれているような感じ」が閉所恐怖症と似たような気持ち悪さを煽ってくる。どうにもならなすぎて。
例えば。ネクライトーキーの『ランバダ・ワンダラン』を聴いたとき、サビ頭の音程が昔よく聴いていた何らかの曲を想起させるように引っかかった。頭の中で必死でリピートする度に、そこに懐かしさが潜んでいると脳が痛痒く主張する。朝起きて思い出そうとするたびに指の隙間からこぼれ落ちていく夢の内容みたいに、追いかければ追いかけるだけ届かなくなる。「もう一生その正解に辿り着くことはないんだ」と半ば確信めいて諦める刹那。引っかかりの正体がブラックホールに吸い込まれてしまうだとか、「死のアーチ」をくぐってしまってベールがただ波打っているだとかいうイメージが頭に浮かび、絶望感に苛まれるのだった。どうにもならなすぎて。
ちなみに、その正体はC-999『月とピエロと青い星』であることが判明している。判明してるんかい。いや、むしろ、判明した安堵感の裏返しで恐怖が浮き彫りになっていて、なんとかこの感覚を伝えようと逆算していった結果が冒頭の導入なのである。この恐怖症にいい感じの名前をつけてタイトルにでもしようと思ったけれど、上手くまとまりそうにない。