5/23雑記 ~「好き」の対象と解像度~

何かを「好き」であることに対しては幾度となく自戒を繰り返していて、できるだけフラットに対象と向き合う、ということを何度も何度も言い聞かせて、そうして、できるだけ誰かの「好き」を踏み躙らないようにして、自分の「好き」を守っている。

あるものを好きな人がいたとして、だとしたら、その人は、当然その対象のすぐ側にいて、その質感から僅かな凹凸までを十全に感じながら、熱狂の渦中さながらにして、全てを余すことなく楽しんでいるはずだ。

「興味を失くす」「飽きる」という状態は、対象との距離が開いていくということで、離れていくほどに、当然細部がよく見えなくなっていく。

それだけならまだマシなのだけれど、その荒い画像を以て、何か別の対象と比較したり、短所をあげつらい始めたら、いよいよマズい。

「○○の曲は全部同じに聴こえる」なんて使い古された例えを挙げるまでもなく、いつだって近くで楽しんでいる人が圧倒的に正しく対象を捉えているに違いなく。

少なくとも、本人にとってのその正しさは尊重されるべきなのだ。


あらゆるものから距離を取って、冷静に俯瞰している自分を信じているのかもしれませんが。

いつのまにか、視力が落ちてるんじゃあ、ないですか。


と、そうやって、たまに言い聞かせている。

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