与えられたもの
高3の4月、わたしは「漢詩」の授業を選択した。
1200年も前の中国の詩人、李白や杜甫などが世の中の憂いを酒に溺れながら嘆き、詩にしている。
とにかく漢字一文字の圧倒的なインパクトがおもしろく、例えば「碧」なら深い緑がかった青、かもしれないし、透明な底抜けの空の青かもしれない、という人それぞれに想像ができるところが興味を引かれた理由である。
その選択授業の先生は、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースのような風貌で、ほっぺがリンゴのように赤く、学校では「アップル先生」とよばれていた。
選択授業は、複数のクラスが混合になり、違うクラスの人と隣合わせだ。
アップル先生は配席のとき「あなた、ここに座ってくれる?」と目が合ったわたしを指差し、教壇の真ん前の席に、と指示した。
え?ここですか?
部活が厳しくてどれだけ頑張っても授業中は睡魔に襲われる。
できれば後ろの方の席がいいんだけど…
でも、仕方ない。
既に隣に座っている人は初めて会う人だった。
落ち着いた、もの静かな感じの人だった。
天然パーマなのか、緩やかに髪にウェーブがかかり、色が白く、しぐさも控えめだった。
わたしといえば、常に話し声、笑い声が大きく、いかにも体育会系で日焼けで真っ黒な顔をして、いわゆるガサツな感じだったから、となりのその人に「よろしくお願いしまーす!」とドカっと腰掛けながら挨拶をした。
………
返事がない。
ん?と思っていると、アップル先生が
「Aさんはね、ろうあの方なの。あなた、授業中もよろしくね」
何だ?何だ?
どういうことだ?
ちょっと混乱していると、Aさんがこちらを見てニコッとしながら「よろしくお願いします」と口を動かした。
アップル先生はそれ以上、Aさんについて説明もせず、
授業は『新唐詩選』を利用します、テキストはこれだけです、と話を始めた。
Aさんはじっと先生の口元を見つめている。
どうしたらいい?
こんなことに対応することは初めてだ。
とにかく、Aさんの『耳』にならなきゃいけないのか!
ノートの端に先生の言葉を書いてAさんに見せる。
Aさんはそれを読んでから、ニコッと笑い、アリガトウと口を動かした。
さぁ、寝ている場合でなくなった!
アップル先生の言葉をひとつひとつ聞き漏らさないように、その言葉を忘れないうちにノートに書き、Aさんに伝える。
Aさんは、うんうんと頷き、わたしとアイコンタクトをする。
わたし自身がきちんと授業を理解しないとAさんに伝わらないようだ。
そういう時、Aさんは、?というような顔をする。
理解してもらうための説明って難しい。
四苦八苦しながら、わかってもらえるように説明を書く。
そうしているうちに、うん、うんと、Aさんは頷いてくれる。
漢詩の授業は、全く眠くなくなった。
アップル先生は特にAさんを気遣うわけでもなく、淡々と授業を進めた。
静かな教室で、わたしの心だけが忙しく動いているような感覚だった。
わかってくれた?
うん。
よかった!
面白いね、この詩の解釈、昔の人も今と変わらないんだね。
そうだね!
言語は行き交わないけれど、だんだん彼女とのコミュニケーションが取れていくようだった。
わたしはあまり成績がいいほうではなかったが、漢詩は自分にしてはテストでいい点を取ることができた。
アップル先生がテストの解答用紙をみんなに返却し、解説をした。
となりのAさんの用紙をふと見ると、ほとんど満点に近い様子。
え??
わたしは先生のテストの解説をAさんに説明する。否応なしに、彼女の点数のほうがいい、ということに気付かされる。
負けた、という質の低い気持ちではなく、心から、すごいなぁと驚かされた。
アップル先生の授業をわたしを通して学んだはずだから、わたしより高い集中力で彼女は漢詩を習得していたわけだ。
わたしから得られた情報を決して忘れず、身につけたのだ。
聞こえる、話せるという当たり前と思われる状態が彼女にはない。
それでも、目から入った情報を見逃すまい、忘れまいと健常者の数倍努力した結果だ。
その後のテストもほとんど彼女のほうが点数は良くて、わたしはいちいちそれに感心した。
卒業まで、アップル先生の授業は楽しかったし、その内容をAさんに伝えることは、わたしの任務としての大変さより、うれしさのほうが勝っていった。
Aさんは、大学に進み、その後は公務員になった。
そして定年まで勤め上げた。
彼女とはその間も年賀状のやり取りや、何度か会ったりした。
やはり、物静かで、丁寧で
優しい微笑みをたたえている人だ。
わたしが彼女へ与えたものより、与えられたもののほうが大きかった。