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三つ子の魂百まで

価値と意義について考えた時、人間はどのように歴史と物語を創っていけるのか。
人の美意識や感受性は常に変わっていきます。美しいと思っていたものを醜いと、醜いと思っていたものを美しいと思うように変わります。
変わっていくものは何なのか、ということに常に興味があります。

羽生善治

ジジから殴られた時、本当はその前に何か悪いことをしていなかったか?
小学校の墨汁事件も、無理矢理やらせていたんじゃないか?
先生への暴行事件。あれは本当に殴っていなかったのか?
詐欺と決めつけたテレアポだって、実は真っ当な会社だったのかもしれない。
俺の思い出は、都合よく書き換えられている可能性がある。
全てに過去の映像として残されていない。
1秒前の思い出は、事実ではなく、不確かな記憶の一部でしかないんだ。
自分を加害者だと認めることで、被害者面を作るのももう充分。
人は被害者だと強く思った時、加害者になり得るんだ。

兼近大樹/『むき出し』

気が利く子というのがいる。

常に全体のことが見えていて、自分がその場において何をすべきがわかっていて、なんの迷いもなく助けてくれる。

常に楽しそうで、笑っている。

そういう子が少し悪さをしたり、空気を読めない行動をしてしまったとしても簡単で、軽く注意するだけで、もうしなくなる。
そういった素振りも見せない。
すぐに進化する。

どんな遊びをしたとしても楽しそうで、ルールを守るし、下級生がいればわかるまで説明し続けてくれる。

迷惑をかけまくる子もいる。

常にうるさくて、汚い言葉を迷い無く発し、周囲を威圧しコントロールしようとする。

ルールは破るし、マナーに関してはそもそもそういった概念がない。
自分が出したものを片付けないし、何なら整理されたものを壊し次の興味へ移行する。

平気で人の容姿を貶すような言葉を吐くし、こちらの胸がざわざわするような笑い方をする。

溢れ出て来る。止まることが出来ない。

不安が根底にあり、人を嘲笑したり、ルールを一緒に犯すことで以外での人のつながり方を知らない。

本人が一番損をしているのだけれど、それは自覚できない。

教育がなされていないというくらいならまだ救いようがあるのだけれど、『ラリっている』みたいな子もいる。

同じ空間にいても、『気が利く子』は驚くほど『迷惑をかけまくる子』の影響を受けない。

僕は最善を尽くす。
どれだけ聞き入れてくれないとしても頑張る。
でも、知っている。三つ子の魂百までということを。


僕は迷惑をかけまくる子だった。
今思えば、『わからなかった』。

常にイライラしてきて、不安で、人の目ばかり気にしていた。

『いい子』を演じるか
その反動で『悪い子』になるか
その2択しかなかった。

紆余曲折を経て、7年くらい身体的なアプローチをやった。
色々とあり過ぎて書ききれないけれど身体はほぼほぼ整った。

パッと鏡を見た時、『整っている』ということを感じる。

左右差がほぼなく、頭が小さく、頭がバランスをとっており崩れない。
快便で、地に足がついており、よく見える。

余裕余力がある。

身体のアプローチの効果は絶大だった。
ただ、何もかもが完璧になるわけでもなかった。


精神的な部分でもだいぶ楽になれた。
ただ、やはり抱えているものもあるというのが現状だ。

ここ数ヶ月家族と関わることが多かった。

確認をしない。
報告をしない。
こちらもエネルギーを割いたのに勝手に決定されている。
事前に相談するみたいな概念がない。
ナチュラルに子どもは『下』であり、こちら側の機嫌をとるものだと認識している。

少しでも粗相をすれば、鬼の首をとったかのように、責めてくる。

人の心がないとか
あんたを殺してあたしも死のうと思っていた
みたいなことを平気で言ってくる。

事前に決定しておきたいことを相談しても、後回しにされる。

一緒にゴミのクリーンセンターに行こうと日時の決定をしたいと提案しても、とにかく決定することを嫌がる。

決定しなければずるずる後回しにそなり、ゴミがずっとそこにあることを僕は知っている。

そして、「決定をしたい」と伝えたらヒステリックを起こす。
冷静にヒステリックを起こさないでほしい、ヒステリックを起こすということはしんどいということだから、しんどさを一緒に治していきたいと主張しても通らない。

後日、もちろん連絡はないので、いつにするの?と強めに言えば、自室に返り、大声で泣き叫ぶ。


普通だと思っていたけれど、そうではないみたいだ。

幼少期もそうだった。

三つ子の魂百までなのだ。

親のヒステリックが
約束を守ってくれないことが
掃除をされていない部屋で吸い込んだ空気が
いくつも賞味期限が切れた食べ物が発する匂いが僕を形成している。

親もその当時はそれが精一杯だったのだろうし、そういった運命だったのだ。

お金で困ったことはないし
遊んでくれたし
時々ディズニーなんかにも連れて行ってくれた。

そういった点については感謝している。
それらもまた僕を形成している。


凄く整って、解決された。
しかし、究極生まれ持ったカラダや育ちは変えることができない。

また、ここから進化するために最善を尽くしていく。

僕は大人になり、両親やこの心をニュートラルに見れるようになった。

運が良かったとしか言いようがない。

この不安感をないものとすることはできない。
そして、この気持ちを次世代に持ち越すことを望まない。

ひとつひとつ対応していくしかない。

僕は何を選んできたのだろう?
僕は何を選べなかったのだろう?
僕は何が選べないのだろう?
僕は何を選べるのだろう?

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