「できなかった」感も前に進むためには必要かもね

 「大地の再生呉講座2」を先日無事終えることができました。

 私にとってこの講座の開催は非常に重いものでした。重要度という意味でも、作業強度という意味でも。
 2日間で30名以上の参加者に来ていただくことができました。中には県庁の都市整備課の方や、市議会議員の方もいらっしゃいました。私の広報をシェアしてくださった方々や、広報用のチラシを頒布してくださった方々には御礼申し上げます。

 講座の後のシェアリングの時の参加者の方々の話や作業中の皆さんの様子からは満足していただいている様子をうかがえたので、講座自体は成功したのではないかと思っています。
 しかし、私個人としては非常に不完全燃焼というか、「できなかった」という思いが強く残った講座でした。


 講座の概要は、1日目の午前は現場の溜め池の周辺を講師の矢野智徳氏とともに参加者全員で見て回る「見立て」作業を行いました。現場がどういう状況で、どこに不具合があり、どう改善していくのかを共有するためです。

見立ての様子


 午後は座学で大地の再生の理論的な説明がありました。

研修室にて座学


 2日目は実際の溜め池の改善活動で、午前中に溜め池周辺の草刈り(大地の再生では「風の草刈り」と呼びます)、午後は溜め池の水脈を開くために泥かきを行いました。

溜め池への水脈掘り

 
 私は作業にスタッフとして参加していたのですが、正直ずっと「分からないなぁ」と思いながら参加していました。
 講師の矢野氏の説明されている内容は理論的には分かっているつもりなのですが、それが体感として分からないのです。
 今回の講座で矢野氏はたびたび「脈をつなぐ」という表現をされました。脈とは、風の流れ道や地表の水の流れ道や地下の水脈といったものです。それらを現場で感じ取り(矢野氏はしばしば「五感で感じる」と言われます)、その脈同士をつないでいくように草刈りをしたり、溝を掘ったりするのが実際の作業になります。
 しかし、私にはその脈が全く分かりませんでした。どこに脈があり、どう草刈りや溝堀をしたらその脈がつながるのかが全く分かりませんでした。なので、矢野氏やスタッフで技術力のあるメンバーの指示に従って作業するだけになりました。
 
 スタッフなので参加者の方々への声掛けや全体的な作業の進行管理などを本来ならばすべきなのですが、私は自分自身が作業の流れが全く見えなかったのでそうしたことは一切できませんでした。
 あるタイミングで別のスタッフが参加者の方々も含めて全体に声掛けをしたことで、それ以降は全員でまとまりのある作業になることはでき、私もその中で出来ることをしましたが、やはりスタッフとしての動きではなく、一参加者の動きでしかありませんでした。


 この講座が終って資材などの片づけをしている間、私はこのメンバーから降りようかとずっと考えていました。理由は端的に力不足だからです。
 作業中は完全に一参加者としての動きしかできませんでした。矢野氏の解説も理論としては分かりますが、実際の作業で何をしたらいいかは私には全く分かりませんでした。こんな状態でスタッフを名乗るのは無理だから、降りようと思っていたのでした。

 片付けも終わった後の反省会でこの発言をしたところ、他のメンバーも私と同じような力不足感を感じていた者もいたり、私もやれていたことがあったと励ましてくれた方もいたので、とりあえずメンバーから降りるのは辞めることにしました。しかし不全感は残ったままです。


 この野土ぬづちでやっていること、やろうとしていることは、私がずっと苦手だったことです。
 頭でっかちの私には感覚で現場の状態を読み取って、適切に措置を施すのは非常に苦手です。
 団体行動が苦手な私は、野土という団体で役割を決めてやることもとても苦手です。
 そうした苦手なことに取り組んでいるんだから、まあそりゃ失敗ばかりだよな、とも思い直しました。
 たぶん、今までの私の人生で取りこぼしていたものを、今少しずつ拾っているところなのだと思います。だから、今回のように不全感、できなかった感が強く心に残ってしまうのでしょう。

 最近はいろんなところで、私は学び直し、生き直しをしているなと感じます。いままで避けていたものにようやく取り組んでいます。そのため、それらの分野では私はまだまだ赤ちゃん状態で、失敗ばかりです。
 それでも、少しずつでもマシな人間になりたいという思いだけで、なんとか進んでいる状態です。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!