全ての存在に必要な役割がある、ということ
先日、手伝いに入った草刈り作業で絶望的なほど役に立てませんでした。
具体的には笹刈刃での草刈り作業で、作業開始後すぐに石や地面に刃を当ててしまって刃が駄目になってしまい、全然草を刈れませんでした。予備の刃を用意していなかったため、その切れない刃をずっと使うことになり、全く作業になりませんでした。
手伝いに入ったのに全く役に立てず、「俺はなんて役立たずなのか……」と落ち込んでいました。
その日の夜、環境改善のグループでオンライン上での話し合いがあり、メンバー数人と話し合いを行いました。私は落ち込んだテンションのまま話し合いに臨んでいました。
話し合いは、この環境グループで活動を行う目的や基本的な考え方についてまとめようという議題で話し合っていました。
話し合いの中でメンバーの一人のKさんがこういう趣旨のことを話しました。
環境改善の作業をしていると、いろいろなものが関わり合って生きているのが分かってくる。
表面的には苦しいことや辛いことも起きるけど、そこからの学びはたくさんあるし、振り返ってみるとそうしたことも全部必要なことだったんだと気づく。
人は表面的なことで物事を評価してしまうけど、深いところでは全て意味があって、必要があって起こっている。土も木も石も、あらゆる存在は全て意味があって、必要な働きがある。それぞれが必要な機能を担っているからそこに存在している。それが分かってくる。
この話を聞いた時、不覚にもうるっとしてしまいました。ちょうど私が草刈り作業で全く役に立てず、「俺いる意味あるんかな……」という気持ちだったのでそこに刺さったのだと思います。「何の役にも立たないと思ってた俺にもできることがあるんかもな……」と思えました。
Kさんは、環境改善の活動を何年も続けていらっしゃいます。そして、環境改善活動をする中で上記のような実感を持ったそうです。
私たちのグループで環境改善活動をする時、指導的な立場にいるのがKさんです。そしてKさんから改善する現場の解説をしてもらう時、上記のような「全ては意味があってそこにある」という話は良く聞きます。
例えば、西日本においては、荒れた山の代名詞ともいえるような竹が繁茂した放棄された山林が多くあります。
竹は繁殖力が強く、人工林であるスギやヒノキの林にも浸食して植えているスギやヒノキを枯らし、竹林にしてしまうため竹は嫌われ者です。
しかしKさんに言わせれば、竹にも竹のお役目があるとのことです。
そもそも、スギやヒノキより竹が繁茂してしまうのは土壌の健康度が衰えてしまっていることが原因です。土中の水の流れが滞り、土中の水が鬱滞してしまうことが最も多い原因です。
逆に言えば、竹は土壌環境が悪くても生息できる植物と言えます。土壌環境が悪く、スギやヒノキなどの他の高木が生息できない環境でも竹は根を張り、土地の安定に寄与しているのです。
もし、スギやヒノキだけでなく、竹さえも生息できない環境になれば、すぐに土砂崩れが起きるような土地になってしまうでしょう。
しかし私たちはつい「竹が繁茂してスギやヒノキが枯れている」という結果だけを見て「竹がスギやヒノキを枯らす原因だ」という結論を下してしまいがちです。
表面的な現象だけを見るのではなく、すぐに目に見える現象よりも深いところを洞察し、そこに手を加える環境改善活動を積み重ねることによって、Kさんは「全てのものに役割がある」という実感を得たのだと思います。そのため、Kさんの言う「全てのものに役割がある」という言葉は観念的ではなく、私の心にも響いたのだと思います。
頭の中だけで考えた理念などより、体験によって積み重なった知見は説得力があります。Kさんの言葉は体験によって得られた確信がこもっていたので説得力があったのでしょう。
私もこれから体験を重ね、「全ての存在に意味がある」ということを体感していきたいと思います。
本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました!