頭のつぶやきを文章にまとめる効用
松葉舎での授業の時に塾長の江本さんがふと言われたことが非常に興味深かった。
どんな話の流れであったか忘れたが、江本さんが「頭の中にモヤモヤした思いとか思考がずっと浮かんでいて、それで良いアイデアなどが思いついたり、良い文章が書けるようになるか、というとそんなことはなくて、一旦頭に浮かんでいるそのモヤモヤを形にしてアウトプットすることが大事」という趣旨のことを言われた。
江本さんのこの発言は、今私がnoteで書いて実感することだったので非常に納得した。
私がnoteで投稿している記事は、私の頭に浮かんできた思いや思考やつぶやきと言ったものに対して、自分でそれらを客観的に見つめて整理し、筋道をつけて、他の人が一応読めるような形にまとめたものが多い。つまり、基本的に頭に湧いてきたアブクのようないわば「雑念」が元だ。
この私の頭に浮かぶアブクのような「雑念」は、もちろんnoteを書くようになる前もずっと浮かんでいた。ただ、それをアウトプットする機会がなかった。強烈に印象に残った出来事があったり、衝撃的な出来事に出会った場合は日記に書いていたが、日記に書くほどではない他愛もない雑念はそのまま放置されていた。
ところで、頭の中のアブクのように湧く雑念というのは放置されていたらどうなるだろう。今改めて自分の頭の状況を点検してみると、文章としてまとまるほどでないブツブツとしたつぶやきとしてずっと私の頭を占拠し続けていた。ちょっとした空白時間に、そのアブクのような雑念がまとまることなくブクブク湧き続けていて、湧くごとにその雑念に瞬間瞬間気を取られるので、エネルギーの無駄遣いが起こっていた。気が散りやすかったと言っても良いかもしれない。
しかし、今はそうしたアブクのような雑念もこうしてnoteの記事という形でまとめてアウトプットしている。一旦そうした雑念がじっくり私に観察され、一つの形を与えられてアウトプットすると、もうその雑念は湧いてこなくなるのだ。すると、いつもアブクのように湧いていた雑念が一つ減り、意識を取られる頻度が下がり、結果としてエネルギーの無駄遣いが少し収まるのだ。
私の頭にブクブク浮かぶ雑念は、親や大人に構って欲しがる子どもに例えられるかもしれない。
子どもは親に構って欲しい時、わざと怒られるようなことをしたり、騒いで注目を浴びようとする。
それと同じように、ブクブク浮かぶ雑念は私の「構って欲しい」という心の表れで、構って欲しいからこそアブクのように次々と湧いてくる。だからその雑念を放置したところで収まることは無く、ずっと湧き続けてしまう。
しかし、一度その雑念としっかり向き合い、その雑念の言わんとすることを汲み取り、整理し、文章という形にすれば、その雑念は湧いてこなくなる。ちゃんと構ってもらえたから、もう私の頭の中で騒ぐ必要が無くなるのだ。子どもがちゃんと構ってもらえたら満足して大人しくなるように、雑念もそれ以上悪さをしなくなるのだろう。
実際、私はnoteを書くようになってから以前より心が落ち着きやすくなっているように思う。もちろん突然の出来事で取り乱してしまったこともあるが、日常生活において感情のアップダウンは緩やかになったように思う。今までアブクのように湧く雑念に振り回されていたストレスがマシになったからかもしれない。
ここまで考えると、私の頭にブクブク浮かんでくる雑念が可愛らしいものに思えてきた。「構って構ってー」とじゃれついてくる子どものように思えてくる。
構って欲しくてじゃれついてくる子どもを邪険にすることはあるまい。
私はこれからもアブクのように湧く雑念ちゃんと向き合ってnoteを書いていくこととしよう。
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