反省をせずに後悔をしているから苦しんでいる
めちゃくちゃ心に刺さった動画を見てしまいました。
この動画はプロ格闘ゲーマーの梅原氏が人生相談の投稿を受け、それに答えた内容の動画です。
投稿の内容は、投稿主が過去に犯した犯罪で逮捕され、勾留後に執行猶予の判決を受けて釈放されたが、釈放後は逮捕前に築いていた人間関係なども壊れてしまい、逮捕されるまでの幸せな人生に未練が捨てきれないのでアドバイスが欲しい、というものでした。
この投稿を読んで梅原さんは、この人は後悔はしているけど反省はしていないのではないか、と答えていました。そして後悔と反省の違いについて以下のように述べていました。
後悔と反省の違いについて「これは極端な例だけど」という前置きの後に述べていた例え話が非常に分かりやすかったので、長いですが引用します。
私はこの例えが非常に分かりやすかったです。「後悔は意味がない」ということが非常に腑に落ちました。
確かに丁に賭けて半が出た時、「なんで丁に賭けちゃったんだろう」と残念がっても何の意味もありません。過去は変えられないし、丁に賭けたことから学習できること、自分を改められることが何もないからです。要するに得るものがありません。
ただ、「なぜそもそも博打に頼ったのか」と、自分の心を探っていけば、例えば楽をしてお金を稼ぎたかったとか、博打のスリルを味わいたかったとか、自分の心の弱さの原因が見つかるかもしれません。その原因が見つかれば、自分の心の弱さについて何らかのアプローチができます。
丁半ばくちで全財産を失ってしまったとしても、反省によって自分の心の弱さについて自覚的になれた、という収穫があったなら、意味があったと言えるでしょう。
「丁半ばくちで全財産を失った」という事実は変わらなくても、「なんで丁に賭けちゃったんだろう」という後悔では何の得るものもありませんが、「なぜそもそも博打に頼ったのか」という反省をすれば、収穫がある。後悔と反省の違いが分かりやすく示されていました。
さらにこの後、梅原さんはこの例を元に投稿者へアドバイスをされました。
この言葉は投稿者に向けての言葉だったのですが、私に見事に刺さりました。「なんか自分のこと言われてる~」と思ってしまったのでした。
なんで自分のこと言われたように思ったのかなぁと振り返ると、自分にまさに心当たりがあることだったからです。
私は以前、上記の記事で書いたように仲の良かった女友達に勘違いして告白したことがありました。そしてこの時のことを私は「後悔」しているのだと思い至りました。
つまり「告白しなければ良かったな、なんで告白しちゃったんだろう」と思っているだけで、梅原さんの言葉を借りれば「ただただ残念がっている」だけだったなと思いました。
この時のことを「反省」せずに「後悔」しているから、梅原さんの最後のアドバイスがまるで私に言われているように感じて刺さったのだと思いました。
今改めて後悔ではなく反省するとしたら、私はこのことからどういう教訓を得ることができるでしょう。
自分の中に「ありのままの自分を受け入れてほしい」という渇きがあることに自覚的になれたことは、一つの収穫であったと思います。
私が仲良くなった女性に好意を持つのは、そもそも「ありのままの自分を受け入れてほしい」という渇きがあるからです。その渇きがあるから、好意的な女性に自分の「受け入れてくれる女性」という理想を押し付け、それを恋と勘違いしてしまう、ということをしてしまいます。
当時の私は自分にその渇きがあることに気づいていませんでしたが、こうした経験から自分の渇きに自覚的になれたので、それは一つの反省による収穫だと思います。
まだ何か反省して得られるものがありそうな気もしますが、現時点ではこれくらいしか思い浮かびません。もう少し時間をかけて考えたいと思います。
何気なく見た動画で、思わず知れず刺されてしまったので、言語化して自分の肥やしにしようと文章にしてみました。
本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました!