生き様は、死に様
生き様は死に様。
この言葉は、先日なんとなく見ていた動画の中である
インフルエンサーが使っていた。
瀬戸内寂聴さんのことを語っていた。
この言葉を聴いて、まさにその通りなんだなあと心に染みわたるのを感じた。
私にとって、実の母親がそれを反面教師となって教えてくれた。
母親についてはのちのち書いていこうと思っているのだが、如何せん振り切った毒親であったため、私の中には根深い憎悪や怒りなどがあって、自分の負の感情と向き合うにはかなり勇気と労力がいる。
簡単に説明すると母親は徳のまったくない人だった。
いつもどこかで人を見下しているようでもあり、自分のためならなんでもするし、他人がどんな感情を持とうがお構いなしで、人というよりは人の形をしている小汚い獣。
と、まあこんな感じで品のかけらもないただ思いつくままに生きていた人だった。
そんな母親でも友達は一人だけいたようだった。
昔住んでいた団地のママ友。
死ぬほんの少し前まで会っていたようだ。
その人は、私の幼馴染のお母さまで、私が中学生のころ学校へ行くのを拒んだときに、涙をこぼして心配してくれた人だった。
その時は、「こんな人がお母さんだったら幸せだろうな~。」と薄っすら思ったことがある。
この人は、母親が死んだことを知らせると涙をこぼしお悔やみをくださった。
あんな母親でも「素敵な友達」がいたんだなぁ。と単純に思った。
母親が死んで、これから私は「汚物処理」しなければいけない。と本気で思った。
普通の人からしたら、自分を生んでくれた人が死んでも悲しまず、それを汚物処理だと感じている私のことなど理解できないと思う。
でも、よく考えてほしい。想像してほしい。
自分が大好きで大切で、その人がいなければ死んでしまうかもしれなかったこともあったのに、
自分がもうこの先生きていけないと本気で思うくらいつらいことがあったのに助けるどころか、さらにどん底へ突き落としさらにそれを笑いものにしたり、自分の存在を迷惑そうにしたり、
自分が精いっぱいを尽くし育ててきたものを、当たり前のようにさらっと平気な顔して横取りしてむさぼり食ったり、
そんな人がこの世から消えたらどう思う?
母親は最高の敵だった。
私は、普通がわからなかった。喜びはしないけれど、うっとおしい気持ちしかなかった。時間がとられるのも嫌だった。
そんな時、主人の叔母が私の話を聴いてくださり
「私たちが必要にしている私さんを生んでくれた人だから、こちらの家の代表として感謝をお伝えしてきて欲しい。」
と話してくれて、この時初めて母親が死んでから泣いた。
母親は葬儀もなく、近い親戚数名で花を一番安い棺桶にいれ、
とくに死に化粧などもなく、
遺影もなく位牌もない、お悔やみの食事会もなく、火葬して父の墓に叔父が入れて線香あげておしまい・・・・
親が死んで悲しくない人もいるんだなぁとまるで他人事だった。
数か月前に義母さまがお亡くなりになったが、母親のそれとはまったく違った。手厚く盛大にそして感謝と涙で大勢の身内の人たちでおくった。
義母様は、25年間車いすの生活でずっと施設で暮らしていた。
気持ちの優しい方で、嫁の私のことも労わる言葉をくれた。
そんな義母様が、心肺停止ときけば、20人ほどが深夜の病院へかけつけ、
納棺の時は、みんなで何度も髪の毛をセットし、着物や棺桶は白くてフワフワの最高のものにして、アルバムをつくり写真を貼り付け思い出を飾ったりした。
最期のお別れはみんなで号泣した。なんなら葬儀屋さんもうるうるしていた。
位牌は私の勝手な好みで可愛らしい水色の花が描かれているものにした。
遺影は、息子のお宮参りの時に撮ったものを加工してもらった。
ここに来て10年以上が過ぎて、私もこちら側の人たちの仲間にようやくなれたんだと思う。
生き様は死に様。
こんな貴重な体験できた私は本当にラッキーだと思う。
感謝です。
これからどう自分が生きていけば良いのかを
先にテストの答えを見せてもらったようなそんな体験でした。
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