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草原情歌の謎
今年初の投稿になります。
いつもこの記事をお読みくださりありがとうございます。もう新年のご挨拶のタイミングを逃してしまいましたが今年もよろしくお願いいたします。
今回は草原情歌を取り上げたいと思います。
中国人がよく知らない中国曲「草原情歌」
私が今から二十年以上前、二胡を習い始めた時に、最初に弾けるようになりたいと思った曲がこの草原情歌でした。見渡す限り連綿と続く緑の景色。目をつぶると風の音しか聞こえない。そんな情景を思い起こさせる少し寂し気で哀愁ただようメロディー。二胡の音色に合いますよね。
日本の二胡の教本にも必ずと言っていいほど載っていると思います。
ところが仕事で中国に行くようになり、中国の人に草原情歌が好きです、と言っても通じないことが多かったんです。日本では有名なのに中国では有名ではないのか?
それで、どんな曲?と聞かれ口ずさんでみると、あ、知ってる、でもそれは草原情歌という曲ではなく「在那遥遠的地方」という曲ですよ、と言われました。歌詞も同じですが、ところどころ微妙にメロディーが違う。
在那遥遠的地方と草原情歌という別の曲が存在するのか。それとも中国では在那遥遠的地方という曲名だが日本に伝わった時に草原情歌と名前が変わったのか。ずっと気になっていたその答えを今回は探しに行きたいと思います。まずは日本語による草原情歌と中国語による在那遥遠地方をお聞きください。微妙なメロディーの違い、分かりましたか?
日本語版「草原情歌」 (NHKみんなの歌より)
https://www.youtube.com/watch?v=N1Ya4juSi6g
中国語版「在那遥遠的地方」(王洛賓本人による歌)
https://www.youtube.com/watch?v=qXJna4nCDYs
ほとんどを獄中で過ごした西部歌王
まずは中国で有名な「在那遥遠地方」の曲の背景を探っていきたいと思います。この曲の作者は西部歌王と呼ばれた北京の音楽家「王洛賓」さん。この方は中国西部に住む少数民族の間で歌われていた曲を採譜(楽譜になっていないものを耳で聞いて楽譜にする)することをライフワークとされていた方
です。彼の簡単な履歴を百度からピックアップして紹介します。
1913年北京生まれ、祖父も父も画家で、父は音楽もこよなく愛しどんな楽器や歌も得意としていた。その影響で王洛賓も子供のころから音楽に慣れ親しんで育ちます。
1931年北京師範大学の音楽科に入り、ドイツ人やロシア人の先生、ならびにフランス留学経験のある中国人の先生よりピアノ、声楽、作曲を学びました。
1937年に日中戦争が勃発すると、抗日活動に没頭するようになり、数々の抗戦ソングを作曲します。八路軍に参加するも、国民党にとらえられ、投獄されます。獄中でも作曲活動は続けました。
1949年に中華人民共和国成立後は人民解放軍に参加するも、過去に国民党に音楽を教えた、という罪で再び投獄されます。その後投獄と釈放を繰り返し、長きに渡り獄中生活を強いられました。
1979年にようやく名誉が回復され、釈放。創作活動を再開するとともに、それまでに作曲した曲をまとめた曲を出版。曲とともに瞬く前に有名になり西部歌王とまで呼ばれるようになりました。
1996年に83歳で死去。生涯で7曲の歌劇、1000曲を超える曲を編纂、作曲。6冊の曲集を出版しました。
在那遥遠的地方
1940年に青海省で抗日映画「民族万歳」の中のチベット族の青年役で出演することになった王洛賓。
青海省の少数民族の中からも出演者を選び、撮影時には少数民族を招いた懇親会も行われたようで、王洛賓はそこで披露された少数民族の歌のメロディを書き留め、通訳を通じて少数民族の言葉を中国語に訳し、または新たに歌詞を付けて曲としてまとめていったそうです。
在那遥遠的地方、もそのうちの1曲だった。もとになったのは、カザフ族の民謡「羊の群れの中で寝ころび、君のことを思う」、チベット族民謡「ヤーラース」、ウイグル族の民謡「羊飼いの歌」。
それぞれのメロディーのおいしいところを抜き出して1つの曲にまとめたそうです。この曲に最初につけたタイトルは、「草原情歌」でした。
1945年、重慶の有名な歌手趙啓海が青海省を訪れた時に、王洛賓はこの草原情歌を彼に送りました。その時に曲名を草原情歌から在那遥遠的地方に改名したそうです。つまり、この時までは草原情歌も在那遥遠的地方も同じメロディーだったのです。
2つのメロディー
なぜ2つのメロディーが存在するのか、その答えがこの記事にありました。
https://www.163.com/dy/article/HD4RNR1A0514EV7Q.html
記事では王洛賓自らの説明、と書かれています。
1945年に青海省政府が何名かの学生を重慶中央音楽院に送りました。
その時に、その学生が歌った「草原情歌」を重慶中央音楽学院の教師が採譜しましたが、この時の学生が記憶違いをしていたのか音をはずしたのか、オリジナルとは一部違ったメロディーで歌ってしまったのがそのまま採譜された。こうして、メロディーがオリジナルとは微妙に違う「草原情歌」ができあがりました。一方、オリジナルメロディは「在那遥遠的地方」としてまた広がっていきました。こうして2つのメロディーが誕生したのです。
日本や東南アジアに広がった草原情歌
こんなビデオを見つけました。曲名も草原情歌、メロディーも草原情歌バージョンです。
https://www.douyin.com/search/喻宜萱的歌曲?modal_id=7449261356261412111
このレコードは四川音楽学院の教授の方が録音し、1951年に発売されたそうです。説明によると香港経由で日本に伝わり、日本でも大ヒットしたとか。
その後、東南アジア各地でもヒットしたとのこと。その後テレサテンがカバーしたり冒頭に紹介したNHKみんなのうたにも取り上げられ、日本では草原情歌というタイトルとこのメロディーが定着したのです。
一方、中国本土では、王洛賓はずっと牢屋にいましたので、彼の在那遥遠的地方が世に知れ渡るのは名誉が回復されて(投獄生活から解放されて)、自身が出版した作品集が大ヒットした後、1980年近くのことです。こうして2つのメロディーはともに淘汰されることなく違う曲名で生き残ったのです。
最後に
草原情歌は二胡で演奏する時にはいきなりポジションチェンジが出てくるので、なかなか初学者には難しいのですが、在那遥遠的地方のメロディだと第一ポジションだけで弾けます。ポジションチェンジがないので初学者には嬉しいところです。私はこの曲をステージなどで演奏する時は1番を草原情歌、2番を在那遥遠的地方、という風にミックスして弾きます。日本と中国ではメロディーが違うんです、などのMCを入れたりしながら。
さらに詳細なMCにするなら今回の記事をぜひ参考にしてくださいね。
それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
セバスチ・ヤンでした。
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