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李香蘭~蘇州夜曲、夜来香、行かないで


はじめに

こんにちは。セバスチヤンです。
今回は蘇州夜曲を切り口に李香蘭(以下このブログに出る人名はすべて敬称略)について取り上げたいと思います。
本ブログの曲解説の主旨は中国語による記事のザッピングですが、今回のテーマは日本語でも様々な情報にたどり着けます。このテーマはこのブログでは取り扱わなくてもよいのではないか、と悩みましたが、二胡弾きにとってはやはり切っても切れないものかと思いますので私の視点でこれらの情報を要約することにしました。もうこんなこと知ってるよ、という方は今回のブログはご期待に添えなくてすみません。次回にぜひご期待ください。
主な情報ソースは、中国語は「百度」、日本語は山口淑子著書「李香蘭を生きて」とフジテレビドラマ「さよなら李香蘭」になります。

取扱注意の蘇州夜曲

蘇州夜曲。この曲の二胡演奏に魅了されて二胡を始めた方も多いと思います。二胡の市販の教材にも掲載され、二胡教室のレッスン曲として取り上げられることも多いと思われますので、二胡弾きさんでこの曲を知らない、という方は少ないのではないか、と想像します。
中国的なメロディーで、タイトルにも蘇州とあるし、この曲を中国の曲と思っている方もいらっしゃるかもしれません。でも、この曲は日本が誇る音楽家服部良一の作品です。
NHKの朝ドラでも取り上げられた東京ブギウギの作曲者、と言ったほうがピンとくるかもしれません。二胡の音色にも合うメロディーだし、この曲を人前での演奏のレパートリーにしている方も多いでしょう。
日本で日本人を前に演奏する分には全く問題ありません。人気がある曲なので喜ばれることでしょう。ただ、中国をテーマにした曲だからと言って、中華系の人の前、特に日本ではなく中国で演奏する場合はこの曲は要注意です。この曲は第二次世界大戦中に東映が製作、公開した映画「支那の夜」の劇中歌だったからです。
支那、というのは中国のことを指しますが、この支那の由来が諸説あり、差別用語だと主張する説の言い分はこの言葉の由来が中国は日本の属国であることを意味するから、であり、差別用語ではないと主張する説の言い分は、「シナ」は秦が由来だから差別とは全く関係ない、というものです。
ただ中国の人の中には、シナという言葉に差別的意味合いを感じている人が少なくないようです。
そしてシナという語感以外に中国の人がこの映画を快く思わない理由がもう1つあります。それはこの映画の内容です。上海を舞台にした日本人男性と中国人女性のロマンスなのですが、反日的だった中国人女性を日本人男性が改心させ、やがて二人は恋に落ちるというストーリーが中国は日本の言うことを聞いたら守ってやるぞ、というメッセージと捉えられるからだ、と。
特に日本人男性が、反抗的な態度をとる中国人女性を平手打ちするシーンがあり、本気で自分を叱ってくれたことで中国人女性が自分の過ちに気づき、叱ってくれた日本人男性に次第に心を許していく、という展開になるのですが、これが中国人を侮辱している、暴力を振るわれた上にその暴力をふるった相手の言いなりになる、なんてあり得ない!と中国人の怒りを買っているのです。そしてその映画で中国人女性を演じたのが女優であり歌手である李香蘭でした。

終戦後、日本も差別用語と捉えられるものを避ける風潮にありましたので、映画支那の夜は蘇州夜曲とタイトルを変え、放映されたようです。こちらで見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=gMQQEeJJCto

蘇州夜曲はこの映画のクライマックスで流れる曲ですので、映画が嫌われているのと同じ理由でこの曲を嫌う人も少なくないようです。諸説あるにせよ、そういう一面もあるんだということは、知っておけば中国で無用の誤解を招かなくて済むと思います。

時代に翻弄された歌手、李香蘭の誕生

この方ほど時代に翻弄された方はいないでしょう。
ご自身曰く、そこに個人としての政治的なイデオロギーはなく、その時々に与えられたものをこなしていくのに精一杯だっただけ、とのこと。
李香蘭は山口淑子として日本人の両親のもとに奉天(中国東北部、のちの満州)で生まれます。純粋な日本人です。
中国語教師だった父の影響を受け、学校に通うようになると中国語を熱心に勉強し、すぐにネイティブなみに話せるようになったと言います。肺を患って学校に通えなくなったときには近所に住むロシア人の親友、リューバとの交流が唯一の楽しみだったと言います。肺の病気が治ると医師から再発防止のために呼吸器を鍛えるように言われますが、大の運動嫌い。そのことを知ったリューバが、自分の母の知り合いにオペラ歌手の先生がいるので、声楽を習ってみたら、と勧めます。呼吸器を鍛える目的からつながった、音楽との出会いです。レッスンを重ね、歌の技術が上達すると、オペラの先生から先生のリサイタルの前座で歌うように命じられます。そして、そこで数曲歌うと割れんばかりの拍手喝采。淑子にとっての歌手デビューでした。

そのころ、淑子の父と、父の学友の李際春の間で、淑子を李際春の義理の娘にするという話がまとまります。中国では、親しい家族同士が儀礼的に養子縁組をする風習が(現代でも)あるのです。
義理の娘といっても形式的なものであり、法律的には生みの親との関係が解消される訳ではありませんし、義理の親と子の間に法律的に家族関係が成立するわけではありません。あくまでも精神的なつながりです。
それで李家の義理の娘になるのだから、と中国語の名前もつけることとなりました。李際春のアイデアで、李香蘭という名前がつけられました。

先のオペラコンサート終了後、そのコンサートを聴いていた奉天ラジオ局の企画課長が淑子のもとを訪ねます。そのころに成立した満州国と日本の親善のために「満州新歌曲」というものをラジオ局で作ることになり日本語、北京語に長けて、譜面も読めて、歌える中国人少女歌手を探しているが条件に合う人がいない、その時に淑子の歌を聴き、中国人少女、ということ以外のすべてを満たす子がが見つかったと淑子を訪ねてきたのです。ただ、ラジオ局としての企画はあくまでも中国人少女による歌唱。では、芸名をどうするか、という話になった時に山口淑子はもう1つ名前を持っていました。李香蘭。中国人になりすますという意図ではなかったが芸名ということで、ラジオだし顔も見えないのでという軽い気持ちで話がどんどん進んでいきました。歌手、李香蘭はこうして誕生しました。

祖国日本と母国中国のはざまでの葛藤

北京の学校に進学することになった淑子でしたが、日中関係は悪化する一方。反日の雰囲気で溢れている北京では自分の身を守るために自分が日本人であることは周囲に明かせず、中国人になりきっていたそうです。同級生たちが反日のスローガンや反日活動に参加するのを見るにつき、胸が裂ける思いだったそうです。そんな中、満州映画協会という日本の国策会社が設立されます。満州映画協会では、主演女優が歌いながら演技する音楽映画を作りたいが、協会所属の女優で歌える人がいない、そこで満州新歌曲を製作した淑子に話が回ってきます。主演女優の歌の部分の吹き替え歌手として協力してほしいと。吹き替えなら、ということで引き受けますが、これは映画協会の作戦で、最初から淑子、いや李香蘭を主演女優として出演させる気でした。そこで半ば騙されながらも映画は完成します。女優李香蘭の誕生です。
その後も映画協会の作品に次々と出演していった李香蘭ですが、李香蘭をさらに売り出したいという映画協会の意向で、日本の東映に売り込み、大陸三部作と呼ばれる作品に日本の大スターと共演することになります。
映画はどれも大ヒットし、李香蘭の名が一気に日本に広がります。
映画と同時にそこで彼女が歌った主題歌や挿入歌も大ヒットします。その大陸三部作の一つが冒頭に紹介した「支那の夜」であり、ヒットした曲が「蘇州夜曲」でした。あくまでも日本と日本人が住む地域で、のヒットです。

中国でも大スターに~飴売りの少女と夜来香 

満州以外の日本占有地対策として上海に設立された中華電影公司、満州映画協会、それから中国の映画会社による合作で、日本の国策宣伝映画ではなく中国人のためになる映画を作ろうという理念のもと、アヘン戦争をモチーフにした「萬世流芳」が製作されることになりました。李香蘭はその映画で国を救うためにアヘンはやめてこの飴を食べましょう、と飴を売り歩く少女を演じます。中国のトップスターも出演したこの映画は、その飴売りの歌とともに大ヒットし、李香蘭は中国でも一躍スターになります。
次第に中国側のメディアでも取り上げられ、インタビューを受ける機会が増えるにつれ、彼女の中の矛盾に苦しむことになります。なぜ、中国人女優が過去に日本の国策映画に出演し、中国人の気持ちを踏みにじるような中国人女性を演じたのか。どのような顔をして何を話せばいいのか。何度も自分は実は日本人です、と告白したくなりましたが、李香蘭の素性を知るスタッフに「中国人が大好きな映画「萬世流芳」で主演を張ったのは中国人のふりをした日本人でした、と知ったら多くの中国人が落胆する」と説得され思いとどまります。
李香蘭は歌手としても注目を集め、上海の音楽界に頭角を現していきます。その時に発表されたのが、李香蘭の最大のヒット曲「夜来香」です。これは正真正銘の中国人音楽家による作品です。
夜来香を作詞作曲した黎錦光によると、この曲は当時の上海の人気歌手に歌わせるつもりだったそうですが、歌手たちは音域が広いこの曲を上手に歌いこなすことができず、オペラの基礎を学んだ李香蘭に歌わせてみたらはまった、とのこと。
ちなみにこの夜来香は、戦後は日本、中国どちらでも長い間放送自粛されていた曲でした。世間から忘られかけていたこの曲を再び世に知らしめたのはテレサテンによるカバーバージョンでした。

終戦、売国奴銃殺刑からの無罪

第二次世界大戦が終わり、中国では、李香蘭は売国奴、スパイ容疑で銃殺刑となるという話が出回りました。その話を聞きつけた幼馴染のリューバが奔走し、山口淑子の出生証明となる戸籍謄本を取り寄せて淑子に届けます。
淑子は軍事法廷で李香蘭は山口淑子という日本人であることを告白します。
判決は、中国人でない限り売国奴の罪を問えない、よって無罪とする、というものでした。銃殺刑は免れました。
但し裁判長は最後に一言付け加えました。
法律的にはあなたは無罪ですが、道義的には問題が残る。意図的ではないにせよ中国人の名前を語って「支那の夜」などの映画に出演したことは、中国人民の心を大きく踏みにじったと。
李香蘭=山口淑子はただただ謝ることしかできなかったそうです。

最後に~行かないで

李香蘭の半生を描いたテレビドラマ「さよなら李香蘭」の主題歌には玉置浩二の曲「行かないで」が採用されました。このドラマが放映された後、主題歌の「行かないで」は香港のトップスター、ジャッキーチュン(張学友)により広東語の歌詞でカバーされ、香港で大ヒットします。その曲名はずばり「李香蘭」。
当時の中華圏では香港で流行した曲は、北京語のタイトルと歌詞が新たに付けられ北京語バージョンとして中国本土や台湾で歌われるというのが普通でした。この「李香蘭」は北京語版では「秋意濃」(深まる秋という意味)という曲名で歌われヒットします。広東語のタイトル李香蘭がそのまま採用されなかったのはきっと色々な大人の事情があったのでしょう。
今回は文字が多かったので、最後にここでビデオをご紹介します。
玉置浩二が香港で行ったコンサートでこの「行かないで」を歌っているシーンです。最後のサビで広東語の歌詞を交えて歌うと、香港の聴衆から大きな拍手が巻き起こります。
https://www.youtube.com/watch?v=r6iZHStxl4Q

二胡でも様々な方がこの曲を弾かれてますが、怒られる覚悟で不肖私が演奏したビデオをリンクします。
(もっと素敵な二胡演奏が聴きたい方は、秋意濃、二胡で検索してみてください)
https://youtu.be/r3mx0IFD2vM

今回も長文にお付き合いいただきありがとうございました。セバスチヤンでした。

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