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プペルの感想が絶賛ばっかりでモヤモヤする話

「えんとつ町のプペル」観ましたか?

12月に公開された「プペル」ですが、割と上映館数も多くて、まだ上映されていると思うので気になる方はぜひ。


私は以前から観ようと思っていた「ポケットモンスター ココ」と公開日が同じだったのでついでに観ました。原作はほとんど未読ですが。

原作絵本の雰囲気がとても生かされていて、飛び出す絵本のような美しさと立体感を感じました。

冒頭のダンスシーンも良かったですね。音楽とハロウィン仮装をしたキャラたちのコミカルなダンスは、つかみとしては大成功だと思います。

主人公ルビッチとゴミ人間プペルの初顔合わせのシーンと、そのあとのゴミ処理場(?)でのアクションは観ていてとても楽しいです。

制作がStudio4℃ということで、画作りに関しては問題ないだろうと思って観に行きましたが、さすがの出来ですね。特にプペルというキャラは手描きよりは3Dで作って正解だと思います。立体で見て良いキャラですよね。

そろそろ本題

「プペル」を観た方の感想記事はこのnoteにたくさん投稿されてます。普通のアニメ映画のレビューと比べてかなり多い印象です。

おそらくアニメファンのみならず、製作総指揮の西野亮廣氏のファンの方と思われますが(むしろそっちの方が多いかな)、実際劇場に来ていた人を見ましても、親子連れやそこそこの大人が多かったと思います。

しかし、少し気になる点があります。タイトルにも書きましたが、その感想記事については「プペル」を絶賛するもの、西野氏の言葉に感動した話などが多いです。

それ自体はまったく結構なのですが、「プペル」という映画に対する純粋な評価や感想を書いた記事が、母数のわりに案外少ないのでは?と感じました。あくまで比較的少ないという意味で。Twitterなどではファンアートなどもあまり見かけません。

私個人としては、先述したように映像に関してはだいぶ好印象であるものの、ことシナリオについては手放しで褒められないところがあります。

原作とそこそこ違うストーリーになっているようなので、アニメに絞って話します。

端折って設定を言いますと、
まず主人公たちの住むえんとつ町は大きな壁(崖)によって周囲を囲まれており、外には危ないから出てはいけない、ということになっています。
空は煙突から出る黒煙によって厚く覆われてしまい見えません。
見えなさ過ぎて街の人々が星を知らないくらいには見えません。

というのも、昔この街を治めていたレターという人物は、あるとき「腐るお金」を作り出します。そのお金は腐りますから、皆がどんどんそれを使うことで経済を回し、豊かに暮らすようになりました。しかし、あるとき権力者の人々と対立してしまいます。そこでレターは、外界との交流を一切断った街を作り、自分たちの街の中だけで腐るお金を流通させることで平和を守り、問題を解決しようとしたのです。そして大きな壁のなかに民と共に移住し、交流を断つために煙突を立てまくり煙で空を覆い「外には怪物がいる」とかいろいろ迷信を広めて町民が外に出ないようにしました。

つまり、外の世界を無かったことにすることで街を守っていたのです。

主人公が幼いころ、親父のブルーノは「空の奥には星があるんだ」という、夢というかロマンのある話をよくしてくれました。また紙芝居を作り、街中で披露していました。

街の皆が誰もその話を信じない中、馬鹿にされながらもルビッチだけはそれを信じて星を見ようとしていました。

映画のラスト、ルビッチは迷信を解いて街のみんなに星があることを伝えようと頑張ります。そして、大量の火薬を上空で爆発させることで雲(煙)を吹き飛ばし、星空をみんなと共に見上げるのです。

主人公のルビッチ自体はもう西野氏と言ってもいいです。西野氏がルビッチのお面を被ってCV.芦田愛菜で出演しています。仲間たちはサロンメンバーなどの協力者で、異端審問官や街の人は今まで西野氏をバッシングしていた人々でしょう。

「夢を諦めないことで、世界は変えられる」

閉じた世界の天井に風穴を開けました。さながら「天元突破グレンラガン」ですね

大団円!ブラボー!パチパチパチ!!

って、いやいやちょっと待ってくれよと

たしかにルビッチ(と親父)の夢は叶い、街の誤解も解けましたが、せっかく外と交流を断ってきたレター一族(統治者)の努力はどうなるのでしょう

また、作中では「煙突から出る煙によって喘息の患者が増えている」という公害の影響が指摘されており、煙に関する問題は解決せねばならない課題となっていますが、

これを見て「外と交流したい」「壁を壊したほうがいいんじゃないか」と言い出す人が出てきたらどうなってしまうでしょうか、せっかく街を閉じて平和を作り上げたのに、街全体が危険にさらされかねません。

諦めないことで「不可能だ」「無理だ」と言われていたことに挑戦し新たな道を切り開く、世の中を変えていく、これはテーマとして王道で正しいです。

ただですよ、外の世界がバレた今、街の今後はどうなるのか。それとも何も変化せず、ルビッチたちは日常に帰っていくのでしょうか。

前者なら街存続の危機です。後者ならルビッチは幸せですが、世界は何も変わっていません、自己満足で終わってしまいます。

グレンラガンの話を出しましたが、グレンラガンではアンチスパイラルを倒さねば、地球生命滅亡の危機だったのです。星が見えなくともえんとつ町が滅ぶわけではありません。また最終決戦後、螺旋族であるシモンたちは地球外生命体とも協力しながら宇宙を守っていく、という結末になっています。シモンたちはもう大人でしたが、ルビッチはまだ子供で、街の統治まではできません。

つまるところ、実は街が閉じられてしまった原因や、主人公たちの未来について、明るい結果が導かれたわけではない、というオチになっているのです。

原作の名誉のために言いますと、原作ではルビッチとプペルは飛行船に乗って二人で星を見て終わります、街を巻き込むわけではなく、あくまで個人の物語に収束しています。

ある意味では、

「俺たちは世界を変えようと必死に行動して、何かを達成してきたように見えるかもしれないけど、実際には世界はほとんど変わっていない」

という制作陣の自らに対する悲しいメタファーと捉えることもできます。廣田監督の「プペル」に対する答えなのか、それとも西野氏がこの現状を憂いた裏テーマなのでしょう。え?深読みすぎ?

そんなわけで、私の個人的「プペル」の感想としては、映像は抜群に良いが、オチはちょっと気になる点がある、といったところです。
全体としては楽しめましたので、気になる人は見に行ってみてください。


参考

トップ画像引用元:『「映画 えんとつ町のプペル」公式サイト』


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