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役割ベースの考え方で、目的や多様性の呪縛から解放される

地球を一つの生命体と捉える、ガイア理論について知ったり、小林先生の著書などを読んでからというもの、目的ベースではなく役割ベースで生きることで、いろんな衝突や生きづらさが解消されるのではないかという、考え方に惹かれている。(小林先生は一言もそんなこと言ってないが)

おそらく、そんなのつまらないし倫理的な観点からも、メジャーな考えに発展するとは思えないのだけど、きちんと機能すれば、生物として矛盾なく、幸福感に包まれて生きれるのではないかと妄想が止まらない。

小林先生は、事例でよくハダカデバネズミの話を挙げる。
ハダカデバネズミは、子供を産む役割、育てる役割、のように、それぞれ個体ごとに役割が分担されていて、与えられた役割以上のことはそれぞれせずに、余った時間はのんびりと寝ている時間が多いのだそうだ。
女王蜂や女王蟻にしてもそうだ。
子を産む役割と、働く役割は明確に分類され、生物の機能としてもそもそも備えられていない。

本能レベルで適材適所が備え付けられており、社会性のある役割のもと不満や不安を感じることなく、各々がその役割を全うして、組織がうまく機能している。

で。

人間も、社会性のもと、役割を持って生きよう。
産みたい人は産んで、育てたい人は育てて、働きたい人は働いて・・というように、それぞれの得意分野でやって協力して生きてこうよ、という、福祉系の話ではなくて。。。

それをもっと本能レベルに発展させて考えてみる。

そもそも、体の中に備わっている細胞やDNA・RNA、あるいはそれぞれの器官などは、与えられている役割が違う。

胃が
「何で私は食べ物消化ばっかりしないといけないんだよ、私だって赤ちゃんを育てたいよ」
とか言わないし、
反対に
子宮が
「私だって、毎月毎月、意味もなく生理の処理したくないよ」
とか言ったりしない。

だって、そもそもできないんだから。

それをそっくりそのまま人間に持ってくると

「私だって頑張れば、〇〇みたいにすごい人になれるかもしれないじゃん、そんなふうに所詮お前はこうなんだって決めつけるなんて酷い!」

みたいな話になってしまうのだけど、そうじゃない。

私が言いたいのはまったくその逆で。

その人がやりたいこと(そもそもやりたいことがあるだけですごいが)
を否定するわけでなくて、
その人が、全体から求められている役割を全うできる状態を探りましょう。
その適材適所で役割を果たしましょうという話だ。

そうすることで地球という一個の生命体として、健康で完全な状態になれるのではないかと思うのだ。(やりたくないのにみんなのために頑張る自己犠牲の話ではなくて、ピースがカチッとハマる状態)


我々は、一人残らず、今ここに存在してしまっている以上、役割があるのだと思う。

わかってないだけで、(わからないまま死ぬ可能性も大だが)必ずあるはずだ。
なぜなら・・・

DNAの98%はその役割が謎だという。https://amzn.to/3DCWtEt


だけど、その謎の部分すべてに、役割がある(らしい)。

だとしたら、我々も、地球に誕生してしまった時点で役割が付与されているのではないか。

臓器が生命を維持することに「目的」がないように、そこにあるのは「役割」だけだ。

そうするととても話はとてもシンプルになる。

脳は脳の役割を果たし
胃は胃の役割を果たし
肝臓は肝臓の役割を果たし
子宮は子宮の役割を果たす。

嫌なことを無理やりさせるでもなく
やりたかったことを諦めさせるでもなく
ただ、存在しているだけで、労せず最大限に全体にとってプラスに作用するのだ。

多様性を受け入れるとか、受け入れないとか、そもそもそんな議論がおかしい。
だって全員が胃でいいわけないではないか。
受け入れるもクソもなく、そうしないと生命は維持できないのだから。

同様に、尊敬も尊重もないだろう。
それぞれの臓器や細胞がそれぞれ機能して、生命を維持することに、損も得もない。
それぞれが、与えられた役割でベストを尽くすことが、唯一の「目的」というえば、目的かもしれない。(インサイド・ヘッドや働く細胞の世界観)

で、地球にこれも当てはめるのだ。

ここに存在してしまった、すべての天然の有機物・無機物。
一つも残らず、地球のお腹の中に取り込まれた、機能の一部だ。
何かしら役割が与えられている。
それ位以上でもそれ以下でもない。ただ、地球の一部なのだ。


癌やウイルス、病原菌など、宿主を攻撃するような存在、地球にとってもそういう存在が無数にある。

そうした存在は、取り除くしかない。

体は一個しかないのだ。我々が、できる限り長く、健康状態を保つためにできることは、与えられた役割を全うすることだけだ。

そもそも存在しない「目的」という幻想に囚われていることから、さまざまな捩れや矛盾、苦しみが発生する。

目的に惑わされることなく、役割を果たすことのみに集中することで、もっとシンプルに頑張れるのではないだろうか。

目的がないこと。それは、悲しいことでも、酷いことでも、虚しいことでもなく、誰もが
心地よく生きやすい世の中になるのではないだろうか、という考えが頭から離れない。

人類全体の一つの大きな脳みそとしてAIを活用し、その延長線上で、身体的・精神的な機能としても、生き物にそれぞれ役割を付与し、できないことは任せ、できること(やるべきこと)のみに集中して、あとは楽しく過ごせばいいんじゃないだろうか。

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