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言語化の限界

モヤモヤした気持ちが溜まって落ち着かない時、
自分を俯瞰して
感情を可視化して、ラベルをつけて整理するといい
と、いうのはよくあるアドバイスだ。

確かに。これはとても有効な方法で、
言語化した途端に、何にそんなに執着していたんだろう?
と、すっと、そのこと自体がどうでもよくなってしまう。

けど、それはそれで、言語化の限界も感じる。

たとえば、
あとで、この気持ち、整理して振り返ってみよう。
と、メモを取ったとする。

その時点で私の気持ちは落ち着いていて、後から振り返ってメモを見返してみても

なんでこんなこと書いたんだっけ?
と、その時、鮮烈に思ってた感情はすっかりと消えてしまっている。

言語化された時点で、気持ちも消化されて、どっかへ行ってしまうようだ。

まあ、それは負の感情の時はとても良いことだと思う。

けれども、ちゃんと考えないといけなかったこととかも、すっかり忘れてしまう自分の記憶力の無さが、恐ろしい・・・

だとしたら、後からこのメモを読んだ自分がちゃんと気持ちを汲み取れるように、もっと親切にメモを取ったらいいんだろうけど。

言語化した途端に、自分の感情や思いが、とてもチープなものに下がった感じがしたり、どう表現しても、なんか違う・・・としっくりこなくて、色々こねくり回して考えているうちに、全然違うことに思考が移ってしまい、結局その時感じていた課題がどこかへ行ってしまったりする。

だから

やっぱ、言語化って限界あるよなーって。

こうすればうまくいく、という
なんとかの法則とか、秘訣とか。

そういうのはとてもわかりやすくて、ずばっときて、納得するんだけど。

やっぱそういう、誰がみても解釈が一致しやすい、親切な言語化は、飲み込みやすいぶん消化も早い。

何回読んでもよくわからなかったものを
何度めかに読んだ時に、

ああ、そういうことか。

とメッセージを受け取った時。

本当に心の中に響いて、奥まで浸透していく。
消化される前に、体の中にしっかりと取り込まれ、力になっていく。

どっちも大事で。代謝よくたくさん入れることで、循環されるうちに、大事なところだけ濾過されて取り入れられていく場合もある。

本当に伝えたいメッセージは、そのまま渡すんじゃなくて、物語にして、相手に解釈させて、そこから汲み取らせる。
そうすることで、自分の言葉であったかのように伝わっていく。
托卵方式。
悪い方に作用すると、独裁者
良い方に作用すると、メンター

自分の頭で考えさせる、は、単純な言語化からはできないことである。

言葉にしちゃって、教えるのは簡単だけど、それを取り込めるかどうかはまた別の話ということだ。

文脈、ストーリー、積み重ねた経験からしか得られないものは、どう足掻いたって言語化なんてできない。

言語化できる、すべては生成AIにプロントを渡して、どうにでもしてもらえる。

だからこそ、価値があるのは要約・言い切りじゃなくて、言語化したそのさきの何か。という考えに至ったという話。

感情だって、アイデンティティだって、倫理的には問題ないかもしれないが技術的にはAIに与えることができる。

しかし、その場合、こっちが選んで与えた人格に沿ったもので。修正やカスタマイズだってできる。
その時点で、やっぱ、本当のアイデンティティじゃないと思う。

たくさんの人の集合体でできたアイデンティティなら、赤ちゃんが生まれて、育ってきた環境で出来上がったものと変わらないのかもしれないけれど・・・

だけど、技術的にも、フロシネスを、言語化して、丸っと渡すことはできない。

それは、実践が伴わないとついてこないし、時勢や環境によっても、異なるもので、データのように同じ質量で受け渡しすることは不可能だ。

簡単に受け渡しできない教訓?のような、言語化した先の価値が今後さらに高まってくるんだろうな。

インターネットが情報を無価値化したみたいに
(誰もが平等に情報を受け取れるようになったため、情報自体に意味は無くなった)
AIが要約を無価値化していくんだろう。
(平均値を取って、つまりこういうこと、と一言でまとめること自体は価値がなくなってくる気がする)


というのをいろんなAIを試して使っている中で感じる。

全然使いこなせてないので、AI使いの人からしたら、今更そんなわかりきったこと何言ってんだって感じかもしれないけれど・・・。

怖いとか、ダメとかじゃなくて、言語化できないものをAIが生み出すことは、できないと思う・・・。

なので、言語化には限界があり、だからこそ、思考を続け、その中で、白黒はっきりつけて無理やり結論づけるのではなく、その時のベストがすとんと落ちてくるまで辛抱強くなれるかが大事なんだと思う。

「混沌は嫌いじゃない」と、ヒソカは言った。

だからヒソカって、めちゃめちゃ強いんだろうな。肉体的だけじゃなくて精神的にも。

ぐちゃぐちゃの状態で、それがストレスにならなくて、まったく苦にならないというのは、最強の精神状態だと思う。

まあ、いろんな立場の思惑や考え方を、受け入れてるのではなく、サイコパスで、どれにも共感できないから、わちゃわちゃしている人たちを傍観して楽しんでるっていう見方もあるけれど・・・。




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