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EO・鈴木崩残氏との思い出#1
私は氏の弟子でもなく、またお会いしたことも、連絡を取った事も一度もありません。
何冊かの著作と無明庵のサイトを見ただけの者ですが、それでも、どうしても、 氏に対する想いを綴りたいという気持ちが消えないので書いてみたいと思います。
私が初めて彼の存在を知ったのは約15年前ぐらい前、神保町にある書泉グランデという大きな本屋でした。
精神世界の書籍があるコーナーに、彼の書籍が何種類か平積みで置かれており、 本のデザインとタイトルを一目見て「なんだかすごく変わった本」と感じたことをとても憶えています。
先ずインパクトが大きかったのは著者名で、「EOって誰?何者?なんでアルファベット2文字なんだろう?」と心の中で思いました。
本のタイトルも強烈な印象があった、昨今の「精神世界」本にありがちなポジティブな売れそうなタイトルでは無かった。
「ひきつりながら読む精神世界」とか「廃墟のブッダたち」といったもので、いずれも軽く読める本ではないのだろうなと思った。
にもかかわらず、私はそれらの本を手に取ってパラパラ読んでみた。
斜め読みしての感想は、「辛辣な表現や意見に満ちているものの、深い洞察力からの意見や講話集で、これを書いたEOという人は本物の覚者なのかもしれない、なんだかすごい人だ」と思い、もっと読んでみたくて2冊ほど購入して家に帰ったことを憶えている。
それから月日は流れ、国内や海外への引っ越しなどに伴って多くのモノを処分したり、持っていくものを何にするか迷うことがあったものの、無明庵の本は必ず持っていくようにしていた。
完読はしていなかったものの、心のどこかでいつも忘れられない存在であり、「これだけは手放せない」というものの一つであった。
あるとき、かなり久しぶりに、無明庵のホームページを訪れ、その中をサーフィンしていた時に、運営者のお一人でEOの初期からの弟子である鈴木崩残氏が「ちょっとしたお知らせ」と題して自分が亡くなったことを告げているのを目にした。
崩残氏がHPで掲載する記事は軽妙なジョークやユーモアに包まれている印象があったので、「ちょっとしたお知らせ」という訃報も、「氏の新しい旅立ちにあたっての別れのご挨拶」ぐらいにしか、私は捉えておらず、あまり気にも留めなかったのを記憶している。
無明庵というグループにどのくらい人がいたのか、私は全く知らなかったので、一番古くからのお弟子さんが一人亡くなったという程度の認識だった。
当時の自分にとって優先すべき重要な情報は崩残氏の考えではなく、EO氏の書籍に残されている講話やそこに残された言葉であると思っていた。
その為、無明庵のスタッフの一人が亡くなっても、「残された方が運営されるであろうから、今後も書籍の購入は影響ないだろう」と考えていた。
「欲しい書籍が自分の中に生まれたら、また神保町のグランデに行けばいいや」ぐらいにしか思っていなかった。
その後、購入したい書籍が自分の中に浮上して来たのは、それから1年半ほど経ってからだった。
そしてそれは、ある日のある出来事がきっかけとなった。