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(6)法/主用について-竹簡孫子 計篇第一

法とは、曲制(きょくせい)・官道(かんどう)・主用(しゅよう)なり。

次は、「法」とは何かついて解説していきたい。
「法」で挙げられる三つの項目「曲制」「官道」「主用」は、訳者によって解釈が分かれるので、読む孫子本によっては大きく変わってくる。特に「主用」は意味がまったく違っているのが特徴です。

私は、「主用」を「君命・マネジメント(統治)」であると解釈したい。その理由は三つあります。

一つは、君主の命令、マネジメント(統治)については孫子の本文の中で説明しているからです。

例えば、謀攻篇第三では、君主による将軍への干渉を戒める次のように述べる箇所があります。
【書き下し文】
故に君の軍を患わす所以の者は三あり。軍の以て進む可(べ)からざるを知らずして、之れに進めと謂い、軍の以て退く可からざるを知らずして、之れに退けと謂う。是れ軍を縻(つな)ぐと謂う。三軍(さんぐん)の事を知らずして、三軍の政(せい)をじゅうすれば、則ち軍士惑(まど)う。三軍の権を知らずして、三軍の任を同じゅうすれば、則ち軍士疑(うたが)う。三軍既(すで)に惑い疑わば、諸侯の難(なん)至る。是(こ)れを軍を乱して勝(かち)を引くと謂う。(謀攻篇第三)

【現代訳】
そこで君主が軍隊を弱くさせる行為に次の三つがあります。
 一つ目は、軍隊が進んではいけない時に進軍の命令をし、退いではいけない時に退却の命令をすることです。これは軍を縛り拘束する行為です。
 二つ目は、君主が軍隊内の状況や事情を知りもせずに、無配慮に将軍の管轄内に入って統治を行うことで、兵士達に将軍と君主のどちらの命令を聞けばよいのか迷わせてしまいます。
 三つ目は、君主が軍隊の職責や職権を知りもせずに、将軍の管轄内に入って命令を出してしまうことで、兵士達に将軍が君主から信任されていないと疑わせてしまうことです。
 このように軍隊内で将軍が兵士から迷いや疑いを持たれてしまうことで、国の守り手として実行力を失い、諸侯たちが野心をあらわにして襲いかかってくるのです。
 これを「軍隊を混乱させて、戦力の消耗を避ける理想的な勝利の可能性を自ら失う」と言います。

また火攻篇第十三では、

利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず。主は怒りを以て師(し)を興(おこ)す可からず。将は慍(いきどお)りを以て戦う可からず。利に合わば而ち用い、合わざれば而ち止む。怒りは復た喜ぶ可く、慍りは復た悦ぶ可きも、亡国は以て復た存す可からず、死者は以て復た生く可からず。故に明主は之れを慎み、良将は之れを警(いまし)む。此れ国を安んじ軍を全うするの道なり。(火攻篇第十三)

【現代訳】
合理的に判断して、利益がなければ軍事行動を起こさず、獲得できるものがなければ兵を用いず、危機的な状況にならなければ戦争を起こさないのです。だから君主は、一時の怒りの感情に身を任せて、軍隊を動かしてはいけません。将軍は、一時の興奮に駆られて戦闘を仕掛けてはならないのです。国家の利益に合えば軍隊を動かし、合わなければ挙兵を取り下げるのです。激しい怒りを発しても時間が経てば再び喜ぶ日が訪れますし、激しく興奮しても時間が経てば穏やかな心に戻るものですが、軽はずみに戦争を起こした結果で国が滅んでしまえば、再び再興することはできないのです。人が死んでしまえば、再び蘇ることはないのです。だから英邁な君主は、軽はずみに軍事行動を起こす事を慎み、良将は、軽はずみに戦いをはじめることを強く戒めるのです。これこそが国を長期にわたって安定させ、軍事力を保全するための原則なのです。

これらの記事から、「主用」とは、君主の将軍や軍隊の用いること、つまり君命やマネジメント(統治)であるとするのが自然だと考えます。

二つ目の理由は、孫子の中で「主」という文字は、「君主/国王」という意味で使われることがほとんどだからです。素直に読むと「君主の●●」というように読めます。

三つ目の理由は、この後に続く「七計」の冒頭で、五事を明らかにするために七計があると述べています。つまり五事の項目と七計の項目は一致しなければなりません。

凡(おおよ)そ此(こ)の五者は、将(しょう)は聞かざること莫(な)きも、之れを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。故に之れを効(あきら)らかにするに計を以ってし、以て其の情を索(もと)む。

「七計」の一番目に「主いずれか賢なるか」とあり、この「主」は五事のどの部分を指しているのか不明になります。

「君主の英邁さ」を比較事項にしているのは、五事の「法」の実行度合いを比較するためにです。君主の「賢」(英邁さ)を比較する場合、何を持って比較するかというと君主の言動、部下の使い方や組織の動かし方、命令の出し方で判断する。

このように考えると、「主用」を「君命やマネジメント(統治)」と解釈しなければ繋がらないと考えるわけです。

参考のために、ここでいくつか研究者の解釈を紹介します。

軍事専門家である杉之尾宣生氏の「現代語訳孫子」では、「後方兵站、ロジスティクス」と解釈しています。

同じく軍事専門家である武岡敦彦氏は、「新訳孫子」の中で「兵站の管理、運営と兵員および軍需品に対する国家の供給力」としている。
(軍事専門家は、フランシス・ワン氏の孫子研究から影響を受けている)

竹簡孫子を底本にし、本書でも参考にしている浅野裕一氏は、「軍の運用につて、君主と将軍との間に取り決められた、指揮命令系統上の軍法」としています。

新釈漢文体系の「孫子呉子」では、曲制(制度)と官道(地位や職務の規定)に対して「主用」、その運用としています。

森田吉彦氏の「吉田松陰「孫子評注」を読む」では、「主用」を「管理・経理」と訳しています。江戸時代末期に生まれ、江戸時代の軍学者・儒学者を研究した江戸時代の集大成、吉田松蔭の解説は、「按ずるに主用とは、実用を主とするなりとしています」としており、曲制や官道などの制度と、その実際の運用こそが大切であると読み取れる。

上記の書物では、浅野裕一氏だけが竹簡孫子を底本をしており、竹簡孫子でなければ、全文の繋がりを詳細に検討できないことを考えると江戸時代の軍学者が、東洋思想の根幹である「易」の陰陽相対原理や老子「道タオ」との関連性を研究できなかったことは致し方ない。

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日本では旧日本軍の将校であって兵法経営の大橋武夫氏、その弟子の武岡敦彦氏が緻密な孫子研究をされていますが、軍事専門家であるがために、軍事理論、軍事の常識と整合性をとった先人の研究に準拠したのではあるまいか。戦争で使う、軍事で使うという場合、軍事専門家の研究を無視してはいけないとだけ付け加えておきたい。



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