(49)「天」の一節の解読-竹簡孫子 地形篇第十
私の「孫子の兵法」研究の一つの成果は、地形篇の結文が「天」の解説であることを解明し、全体の内容の中で整合性のある説明ができる事です。
解読方法について説明したいと思います。
まず本文を見てみましょう。
【書き下し文】
吾が卒の以て撃つ可(べ)きを知るも、而も敵の撃つ可からざるを知らざるは、勝の半(なか)ばなり。敵の撃つ可きを知るも、而も吾が卒の以て撃つ可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。
敵の撃つ可きを知り、吾が卒の以て撃つ可きを知るも、而も地形の以て戦う可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。
故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。故に曰く、彼を知りて己を知れば、勝乃ち殆(あや)うからず。
地を知りて天を知れば、勝乃ち全(まっと)うす可しと。
【現代訳】
我が軍の兵士が敵軍を攻撃するのに相応しいタイミングを得ていることを知っていても、敵軍が我が軍を攻撃するに相応しいタイミングを失っていることを知らなければ、仮に勝利しても兵力の半数を失ってしまいます。
また敵軍が我が軍を攻撃するのに相応しいタイミングを得ていることを知っていても、我が軍が敵を攻撃するのに相応しいタイミングを失っていることを知らなければ、仮に勝利しても兵力の半数を失ってしまいます。
敵が好機であることを知り、我が軍も好機であることを知っていても、地形によって戦ってはいけない状況であることを知らなければ、仮に勝利しても兵力の半数を失ってしまいます。
したがって軍事に精通している者は、季節や天候などタイミングに応じた戦い方を知っているために行動に迷いがなく、挙兵した後で、食料の確保などの計画に失敗して困窮することもないのです。
だからこのように言われるのです。「(天の観点から)敵情を察知し、自軍の実情も正確に把握していれば、危なげなく勝利できるのである。地形の原則を理解し、さらに天の時を把握することができれば、敵味方の戦力を保全するような完全な勝利を手に入れることができるのである」と。
私の新解釈は、「吾が卒の以て撃つべき」を、「タイミング、天の時(機)」であるとしている事です。これまでの歴史上で積み上げられた解釈は、「軍隊の体勢」であるとしています。軍隊の体勢であるとすると、なぜ地形篇に、この一説があるのか説明がつきません。
この一節が「天」の解説、七計の3つ目、「天地を得たるか」であるとすると、「地形篇」が「計篇」の補足であること、我が軍の有利な状況を積み上げて、その優位性を失わないという正の兵法の解説であるという体系化ができるようになります。
ではなぜ、私がこの事実に気がついたのか、その経緯を説明たしたいと思います。
その一つは、漢文を読んでいると、「吾卒」と「敵」とでは、続く助詞(てにをは)の使い方が違うため、非常に読みにくいのです。「吾卒」の場合は、「が」「は」の助詞が続きますが、「敵」の場合は、「を」が続きます。
当時の中国の言語(漢文)が、現代のような表現能力があるのだろうかという疑問が湧きます。「● は ■である」というようなシンプルが文法で書かれていると考える方が、書いた孫武も読んだ人も、スムーズに内容を伝えられると思ったのです。
二つ目の理由は、本節の結文に「地を知りて天を知れば」とあることです。つまり文の構成的にここは「地」及び「天」について言及していることが想像できます。「地」については篇の前半部分で述べておりますので、「天」について述べているのではないかという仮説が成り立ちます。
三つ目の理由は、「軍の体勢」では、意味がわかりにくいということです。
「自軍が攻撃できる体勢であることを、自分で理解できる」のはわかります。しかしそれ以降の文章が意味がわかりません。
「敵軍を攻撃できない体勢であることを知らない(敵が迎撃体勢にある)」とはどういうことなのでしょうか。
というのは敵軍が消耗していない、戦力が充実して迎撃体勢であることは、いわば我が軍の将軍であれば想定している内容で、それを確実にわかっていなければ「勝の半ばなり」というであろうかという疑問が湧いてきます。
さらに次の文は、わかりにくくなります。
「敵軍を攻撃できる体勢(敵が迎撃体制にない)であることを知る」でありながら、「自軍が攻撃できる体勢にないことを知らない」と述べている訳です。
「知る」と申しましても、戦場では仮説でしかないはずで、確実に相手を攻撃できると言い切るようなことを言うだろうかと感じるのです。確実性を重んじる「孫子」の兵法理論の中で浮いてしまう感があります。
もしこの文が、「我卒」「敵」の両方に続く助詞が、「は」であるとするとパッと読んだ感じではわかりにくくなります。「吾卒の攻撃可能状況」を知らず「敵の攻撃不可状況」を知らないという最初の文と、「敵の攻撃可能状況」を知り「吾卒の攻撃不可状況」を知らないとなり、これまでの軍隊や地形の状況について述べてきた内容からするとイメージがしにくくなります。
しかし、二つ目の理由である「天」についての説明であるという仮説で読むと、もっと大きい視点で述べていることに気が付きます。
吾卒の攻撃可能状況は、自国が好天候であることで、敵の攻撃不可状況は、悪天候であるということ。敵の攻撃可能状況は、敵国が好天候であるということで、自軍が攻撃不可状況であるということは自国が悪天候であるということだとわかります。
ここで重要なことは、知らないことがいけないのであって、好天候であっても悪天候であっても問題にしていないということです。
そうすると「竹簡孫子」の計篇の「天」の説明にある、「順逆にして兵勝なり」の主張と合致するのです。
このように考えると、この一節は「天」についての説明であり、孫子の兵法には「天」の解説が存在していたという大発見であると思う訳です。
さて最後に孫子の兵法の重要なテーマ「全き」について説明します。
謀攻篇をはじめ「孫子」では、「全き」、つまり敵と味方の戦力を保全した勝利を重視しています。というか「全きによる勝利」を得ることを目的として戦略書です。
「天の時」を得ていなければ、「半」の勝利、戦力を消耗する勝利になってしまいます。「天の時」を得ていても「地の利」を得ていなければ、戦力を消耗する勝利になってしまいます。
「故に曰く、彼を知りて己を知れば、勝乃ち殆(あや)うからず」というのは、彼我の天地についてということです。
孫子の兵法では「勝」は、「全きによる勝利」と「破るによる勝利」の使い方があり、多くの場合、「全きによる勝利」の使い方をしています。本箇所はその傾向が大きい場所ですので、「天地」こそが「全き」の最重要項目の一つであると理解できるのです。七計では、「主」、「将」、についで3番目でした。
今までの解説では「天」は重要視されていませんでしたが、このように解釈すると非常に重要であると、位置づけが大きく変わるのです。