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(48)将軍の仁と厳-竹簡孫子 地形篇第十

東洋思想の特徴は、白黒をはっきりつけられないことです。正しいことは状況によって変わります。論語の孔子先生は、ある弟子には進めと言い、またある弟子には止まれとアドバイスをしたように、とても大切な能力であっても過剰であれば、害になるため抑えるように戒める訳です。

このような考え方を「中庸」と言います。この「中庸」の考え方は、相反する二つの要素のちょうど真ん中辺をとるというように考える人がいますが、それは少しだけ消極的です。本当の「中庸」は、相反する二つの要素を、両方同時に高いレベルで成立させるという方が、より難しく理想的です。

例えば、政治のイデオロギーの場合、保守と革新の真ん中、どちらの主張も中途半端でしかなければ役に立ちません。しかし片方に偏ると害もあります。理想は、保守と革新の両方の考え方を両方同時に成立させる方法を感上げることです。これは哲学者ヘーゲルの弁証法、テーゼ+アンチテーゼ→ジンテーゼの考え方に近いです。

自然法則である陰陽理論が思想のベースになる東洋思想は、相反する二つの要素を両方同時に発揮させるという考え方を得意とします。男性と女性、どちらか片方を強めるような考え方は、両方を衰退させるだけであり、男性も男性らしく、女性も女性らしくありながら、矛盾なく、ともに活性化するようなあり方を目指すのが大事です。

さて「孫子」に戻りましょう。理想的な将軍の在り方について説明が続きます。将軍にとって大事な能力の二つ目は、「愛」と「令」、計篇で述べられた「仁」と「厳」のような相反する徳目を同時に両方を持つということです。

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将軍の能力である、「智」と「勇」、「仁」と「厳」は陰陽の関係です。どちらかに偏るのではなく、両方が大事です。またこの能力は、互根の関係です。互いが互いの存在理由でもあります。「智」があるから「勇」があります。「仁」があるから「厳」があります。突き詰めると「厳」こそが「仁」であり、「智」こそが「勇」であると言えます。

このような視点で、本文を読んでみましょう。

【書き下し文】
卒を視(み)ること嬰児(えいじ)の如し、故に之れと深谿(しんけい)に赴く可し。卒を視ること愛子(あいし)の如し、故に之れと倶(とも)に死す可し。厚くするも使うこと能わず、愛するも令すること能わず、乱るるも治むること能わざれば、譬(たと)うれば驕子(きょうし)の若くにして、用う可(べ)からざるなり。

【現代訳】
将軍の兵士達を見つめる眼差しが、まるで愛おしい赤ん坊に対するようであればこそ、将軍は兵士達を深い谷底に引き連れていくことができるのです。将軍の兵士達を見つめる眼差しが、まるで我が子に対するようであればこそ、兵士達と生死を共にできるのです。
しかしながら兵士を手厚く大切にするだけで使役することができず、可愛がるだけで軍令を厳格に適用することができずに、好き勝手に振る舞う混乱状態を統制できないのであれば、例えるならば、手のつけられない駄々っ子のようなものであって、ものの役に立たないと言うのです。

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嬰児(みどりご)と愛子という言葉が出てきます。この二つは同じようなに言葉に見えますが、違います。

嬰児(みどりご)は、三歳くらいまでの子供で、色々と手取り足どり教えてやらないといけない。それどころか手厚く面倒を見ないといけない。そういう子供です。つまり面倒を見てあげることで、深い谷底まで連れて行けるということです。

愛子は、自分の子供です。自分の子供のように可愛がり大切にする。そうすることで一緒に戦い死ねるような関係になるということです。

「嬰児」と「愛子」で伝えたいことは、「愛」、つまり「仁」が大切であるということです。仁は、思いやり、慈愛であり、一体感を作り出す徳目です。この「愛」、もしくは「仁」がなければ、部下を共に戦うようにはできません。

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しかし、「愛」「仁」だけがあっても、兵士は使い物になりません。「令」つまり「命令」がなければいけません。これは計篇の述べている「厳」の徳目です。

「愛」「仁」だけでなく「令」「厳」がなければ、駄々っ子のようで使い物にならないというのです。陰陽に例えると、「愛」「仁」は「陰」であり、本質です。「令」「厳」は「陽」であり末節です。

陰陽理論では、本質てある「陰」を先に行い、後に末節である「陽」を行うのが順番です。ですから「孫子」に、「令」を行ってから「愛」を付け加えるとは言っていません。「愛」が本質で大事であり、それを活かすために「令」があるとしている訳です。

相反する能力を同時に持つという難しさ、本末順序を間違えていないあたりに「孫子」が原理原則に外れていない証拠ではないでしょうか。この矛盾する能力を両立させることがなければ、自軍の戦力を集中維持させることはできません。何かに偏って、ミスを犯してしまうからです。

現代のビジネスシーンでは、愛のあるマネージャーが付け焼き刃で厳しさを出しても機能はしますが、厳しすぎる人が付け焼き刃で愛を出しても見透かされて上手くいきません。「愛」が根底なのです。

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