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(43)必取/敵の討ち取り方-竹簡孫子 行軍篇第九

行軍篇の最後まで来ました。この箇所は、あっさり読み流してしまいますが、非常に高度な戦術論が書いてある場所です。

というのは、この箇所は、書かれたのは2500年前でありながら、近代戦術の理論に近い内容が書いてあります。

兵法経営の大橋武夫先生の「名将の演出―号令・命令・訓令をどう使い分けるか」という本で紹介されている「訓令戦法」ではないかということが書いてあります。

大橋武夫先生の本を読むと、先方は「号令戦法」→「命令戦法」→「訓令戦法」といった順番で進化していきます。

号令戦法とは将軍が「突撃〜!」と叫んで、敵に向かっていくような戦い方です。兵士への指示では、目的(理由)と行動の内容の二つで言うと、内容しか伝えていません。上司が部下に、●日●時のどこどこ行きの新幹線のチケットを買うように指示をするようなものです。

二つ目の命令戦法は、兵士に目的(理由)と行動の内容の両方を伝えます。●日●時から東京でセミナーで講演する、●日●時の東京行きの新幹線のチケットを買うように指示します。この場合、目的(理由)が伝わっているので、チケットが売り切れている場合など、少し早めのチケットを買うなど状況に応じた判断ができます。

三つ目の訓令戦法は、●日●時から東京でセミナーで講演するため間に合うように東京行きのチケットを買うように指示をします。これは目的だけを伝えていて、内容は部下に任せています。

先方においては、命令戦法は、将軍が細かく指示を出し続けなけれな組織は動きません。目まぐるしく変わる戦場に応じて新しい指示を出す。

訓令戦法は、そうでななく、敵軍に対して接触と退却を繰り返しながら、牽制し、疲弊し連携が崩れたら、全軍で敵の本体に攻撃を仕掛けるという方針を伝えておき、味方の部隊は各々臨機応援に動くという訳です。

それでは本文を見てみましょう。

【書き下し文】
兵は多益に非ざるも、武進(ぶしん)すること毋ければ、以て力を併せ敵を料るに足りて、人を取らんのみ。
夫れ惟(た)だ慮り無くして敵を易(あなど)る者は、必ず人に擒にせらる。卒未だ槫親ならざるに而も之れを罰すれば、則ち服せず。服せざれば則ち用い難きなり。卒已に槫親なるに而も罰行われざれば、則ち用ならず。

故に之れを合するに交を以てし、之れを済(ひとし)くするに武を以てするは、是れを必取と謂う。
令(れい)の素(もと)より行なわれて、以て其の民を教うる者は、民服す。令素より行われずして、以て其の民を教うれば則ち民服せず。令の素より信なる者は衆と相い得るなり。


【現代訳】
たとえ全体の兵力数が敵に劣っていても、軽率に猛進することがなく、戦力を集中させて敵情をしっかりと把握することに努めていれば、敵部隊を討ち取ることができるものです。周到な考えも持っていないのに、ただただ敵を侮っていれば、必ず敵の虜になってしまうのです。
兵士達が、まだ将軍に親しまずに心を合わせていない段階で、厳しく処罰すれば兵士達は服従しません。兵士達が服従しなければ、思うように働かす事は出来ません。
反対に兵士達が将軍に親しんで心を合わせているにも関わらず、罰則など決め事を適用するのに甘ければ、命令を下しても思うように働かせません。

そういう訳で敵軍と戦う時は、仲間と連携して取り囲むようにし、決着をつける時に武力を使います、これを「必取」、つまり「必ず虜にする」と言うのです。
軍律が普段から厳しく守られている状態で、兵士達を教え導けば、兵士達は将軍に心服します。反対に普段から軍令が守られていない状態で、兵士達を教え導こうとしても、心服させることはできません。
軍律を守る事に信用のある将軍は、普段から兵士達と互いに信頼関係を築くことに努めるのです。

この文章は二つの内容が二段構成になっているのが特徴です。「兵は多益に非ざるも」の文章は、故に之れを合するに交を以てし」にかかり、夫れ惟だ慮り無くして敵を易る者は」の文章は令の素より行なわれてにかかています。

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最初の段では、自軍が軽率な猛進をせず、戦力を集中し、敵情をしっかりと把握していれば、早々負けることはない。しかし敵を侮ると捕虜になってしまうという。
これらを踏まえて二段目では、「之れを合するに交を以てし、之れを済(ひとし)くするに武を以てする」と述べています。
「之れ」とは敵軍のことであり、「合す」とは、「正で持って合し」「合す」である。つまり戦い始めるという意味です。
「交」とは、外交という意味ですが、これは国や軍隊、部隊の位置関係をいっており、関係性のことです。
このように読むと戦い初めは、仲間と連携しながら囲んでいくことだと読み取れます。「之れを済くするに武を以てする」済」とは成就させるという意味で、ここでは「決着する」という意味です。

武力を決着をつけるときに使う。というのは、「非戦屈敵」を掲げる孫子の軍事力の使い方として最も相応しい解釈だと思います。

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さて次は、二つの内容のうちの二つ目は、組織マネジメントについてです。どうやって軍隊を思い通りに動かすのかという内容です。

将軍が信頼される前に厳しい処罰を行えば、兵士はいうことを聞かなくなります。また信頼されているのにしっかりとルールを適用しなければ、同じように兵士たちを動かすことはできません。

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そこで「孫子」では、普段からしっかりとルールを守る、軍律を守る規律がある状態で、しっかりと教える。そうすると兵士たちは将軍を将軍を信服する様になるというのです。

上に書いた「訓令戦法」は、上司と部下の信頼関係のもとでなければ実行できません。

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行軍篇の内容を整理しましょう。
地形を見極め、適切な行動を行い自軍の戦力を維持します。

その上で、敵軍の状況や意図を些細な変化の兆しから読み取り、敵を討ち取る敵を討ち取るチャンスを待ちます。

我が軍の内部では、規律を守り、しっかりと教育し、将軍との信頼関係を築いていく。そうすることで「交で合する」戦法ができる様になります。

最後にこの箇所は、現行孫子と竹簡孫子で内容が大きく違う箇所です。

現行孫子では、「令するに文をもってし、斉うるに武をもってす」という有名な文章に変更されています。「暖かさで指導し、命令には厳しさを持ってする」という意味になります。「文」は暖かさ、「武」は厳しさという解釈です。

竹簡孫子であっても、私の解釈のように「交」を部隊の関係性や連携としていません。ただ行軍篇まで兵法理論がどんどん詳細に深まっていくことを考えると私の解釈は、兵法理論として整合性が取れているのではないかと思っております。

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