エチオピア旅行記(3)バハルダール
アディスアベバを離れた私たちは、北へおよそ600km離れたバハルダールへ長距離バスで向かいました。タナ湖のほとりにある都市です。そこからナイル川の支流である青ナイルが始まります(青ナイルにご興味がある方は以前の記事へどうぞ)。当時エチオピアに鉄道はありませんでした。ガイドブックにはバスで一日かかると紹介されていたっけ。記憶が曖昧だけど、とにかく過酷な移動だったことは覚えています。バハルダールへ辿り着くにはナイル川が深く削った渓谷を渡らねばなりません。そのため、標高2,400メートルにあるアディスアベバから谷底まで降るのです。
私はその厳しさをまったく覚悟していませんでした。というより、谷底が1,400メートル下にあり、またそこから1,400メートル登ることを知らなかったのです。道路網が未発達な上、起伏の激しい場所を狭い悪道が延々と続きます。おまけに、私たちのバスはサスペンションが十分とは言えませんでした。肉付きの悪いお尻が早々に限界を迎えます。前の座席を常に掴んでいないと振り落とされるのではないかと思いました。ペットボトルの水も震えて泡立ちます。しかも、現地の人たちは砂埃が舞い込んでくるのを避けるため、窓を閉め切るのです。気温と人熱で咽せそうです。これ以上首を支えられる気がしません。
そのうち、向こうからやって来たミニバスとすれ違って停車しました。目をやると、私たちと同じような外国人観光客が乗っています。彼らも一様に浮かない顔でした。アンディーはなにやら言葉を交わして持参していた予備のペットボトルを差し出しました。どうやら、飲み水が尽きかけていたようです。それをよそに、私は虚空を見つめてずっとぐったりしていた気がします。その後も何度か哀れな外国人を見つけるたびに、彼は言葉を掛けていました。私とは人としての器が全然違います。
疲れた体を引きずって途中に寄ったトイレでは悲鳴が出ました。汲み取り式の和式便所と似ているのですが、ハエが竜巻のように集る汚物の山が想像を超える高さに達し、しゃがめばお尻につくのは目に見えていました。自分がどう用を足したのか覚えていません。この頃の記憶はとても曖昧で、どこかで安宿に泊まったような気もします。そのベッドはシラミだらけで、その夜は立ったまま寝るしかないと思いました。また、別の安宿のシャワーでは、水と一緒に夥しい数のボウフラを浴びるという祝福も受けました。エジプトの原風景を探すどころか、うっかり自分を見失いそうでした。
バハルダールはタナ湖の南に接しています。ようやく着いたその町は、湖周辺に点在する古い教会を訪ねる拠点でもあり、少し下ったところにある青ナイル滝(ティシサット)に行くにも便利な場所です。そう、エチオピアと言えば、千五百年以上前にキリスト教を受容した国です。巡礼者でごった返す巨大な岩窟教会から、隔世の茅葺き修道院まで、たくさんの宗教遺産が守られてきました。エジプト由来のコプト正教会、ユダヤ教徒のベタ・イスラエル、攻防を繰り広げてきたイスラームなど多様な信仰世界が共存してきたんですね。
私たちは他の旅行者たちとホテルで一緒になり湖上ツアーに参加しました。目指すはタナ湖に浮かぶデク島です。私たちのボートと並行して地元の人たちもさあ出発です。あれれ、五人も乗ったら沈みそう、大丈夫?これはタンクワスと呼ばれる伝統的な舟で、パピルスの原料となるカヤツリ草でできています。どこかで同じようなのを見たことがあるような。そうだ、いつかテレビで観たボリビアのチチカカ湖だ。私たちのボートの波紋で揺れながら、かろうじて吃水を保つ葦舟。よく見ると、お尻が濡れるのが嫌なのか皆さん中腰姿勢です。
最初に到着したのはデク島の西岸にあるナルガ・セラシエ修道院でした。石とレンガでできた列柱の外回廊と円錐の茅葺き屋根がとても素敵です。20年前と異なり、現在は屋根がトタンで覆われているそう。湖上の島は俗世から離れて宗教的実践に身を捧げるのに適しているのでしょう。欲にまみれた私ですが、お邪魔します。
案内してくれた司祭さまはカーテンを開けて壁画を見せてくれました。カーテンは日に焼けるのを防ぐためですが、なにより神聖な場面をふだん人目に晒さないためでもあるようです。色鮮やかで大切に守られてきたことがわかります。白馬に乗って竜を槍で突くのは聖ゲオルギオス(ジョージ)です。人間の生贄を絶え間なく要求する竜を退治してある王女を救ったという伝説があります。エチオピアのほか、グルジアとイングランドの守護聖人です。
そして、修道院が所有するお宝も見せてもらいました。中には王から賜ったものもあるそうです。どれほど貴重なものか私には想像できません。その後、岸に着いては別の修道院を訪ね、宗教画を見せてもらい、宝物を拝観するのを何度か繰り返しました。
やがて日没の時間が近づいてきました。辺りがだんだん暗くなっていきます。浅瀬で羽を休めるペリカンたちを横目にホテルに戻ります。エジプトではもう見られない野生のカヤツリ草も目にすることができました。そうだ、私はエジプトの原風景を探しに来たんだった。カイロの騒々しい街路も、強引な客引きも、淀んだナイル川もここでは無縁です。
そのときでした。日の当たる方に目をやると、波間に何か見えました。泳いでいる・・・。向こうもこっちを見ています。
野生のカバに出会えるなんて予期していませんでした。古代エジプト語でデブ(db)と呼ばれたカバさん。彼の地ではもう絶滅してしまいました。警戒しているのかこちらには近づいてきません。そのうち、どこかに消えて行きました。嬉しい。顔を見せてくれてありがとう。タナ湖にはナイルワニこそ生息していませんが、縄張り意識が強いカバもなかなか凶暴らしく、人を殺してしまうことがあるのだとか。あんな小さな葦舟で湖を渡る人たちは命懸けなのかもしれません。
さて、ホテルに戻ってみんなでワイワイ夕食をすることになりました。お酒も社交も苦手な私はいつもこけしのように佇んで食事に集中します。しかし、警戒心が緩んでいたのか、時間を持て余したのか、生のパパイヤサラダを口にしてしまいました。旅先によっては生野菜や氷にも注意しなければいけません。しかし、キュウリやトマトなどの生野菜が料理に添えられて出てくることはよくあります。サンドイッチなどでは避けようがありません。果物ジュースだって飲みたくなるものです。だって、異国のフルーツって凄い魅力的なのです。そろそろ胃が慣れてきたとか、このレストランなら大丈夫とか、旅人は根拠のない自信で少しずつ敷居を低くしていかなければ、現地のお料理を堪能することはできません。もちろん、自己責任を覚悟の上でのことですが、自身の体調を天秤にかけて挑むことも決して悪いことではないのです。インジェラと自分の親和性が高いことで過信もあったのでしょう。つまりどういうことかと言うと、その夜、私は一晩中便器に頭を突っ込んで過ごすハメになったのでした。
(つづく)