レトロなアパート
アパート管理の問題
七十歳代に時間預託ボランティア活動をしていましたので、アパートの中の自分の居住部分についてはボランティアの支援を受けられるのですが、貸部屋の掃除とか、居住者のゴミ出しなど収入を得るためのアパート管理については支援してもらえません。
昭和四十八年建築の木造アパートですので修理代もばかになりません。すべてを業者任せにすると私どもの生活が圧迫されることになります。それなのに私は足が弱って一度しゃがみこんだら、四つん這いになってからでなければ立ち上がれないという始末です。
アパートの住人は外国人で、今はネパール人が多いのです。彼らは掃除とゴミの分別が苦手で、教えてもできません。言葉が分からないのでしょうか、わかるように教えたつもり、分かったように見えても、分かっていないことが多いのです。本当に分かったころには転居したり帰国したりで、この頃は教える気にもなりません。
外国人たちはスマホを上手に使ってとても密接に情報交換をしているようです。私のアパートはうるさいことを言わないせいか、部屋が空くとすぐに同じ国の人が来ます。
一階の部屋が空いて二階の住人がその部屋に移りたいといいます。
引っ越しまでに一週間余裕があったので、私たち夫婦で少しずつ掃除をしましたが、大変な汚しかたで手に余っていました。
完全というわけにはいかないまま、二階の住人が一階へ引越しました。
「きれいにできなかった」という私たち夫婦の思いが杞憂でした。疲れていたので彼らの引っ越しが終わったころ行ってみると、契約した人のほかに二人若い男の人がいて、一生懸命掃除をしていました。一緒に住むのだそうです。
二階の空いた部屋もきれいになっていました。
エアコンの掃除は、なれた人にお願いする方が良いからシルバー人材センターに相談してみましょう。
さしあたって、エアコンの掃除を8台分頼んでみようと思います。
(2022年4月4日)
トラブルメーカーが悪人なら
パキスタン人をアパートの住人として入居させたのは初めてです。
この人はスラーと背の高いひとで、白い薄地のワンピースのようなものを着ていました。入居して間もなく部屋からドラムを主とした音楽がかなりのボリュウームで聞こえてきました。
木造アパートの二階でこんな高いボリュームとは困ったものと思っていましたら、隣室のネパール人からクレームがついて揉めているようでした。
その後でいつもよりさらに高いボリュームで音楽が聞こえ、激しく言い合う声が聞こえます。
私には仲裁する自信もないし、以前住人同士が喧嘩したときに110番通報したことがあって「大家さんは離れていて当事者にならないように」と警察官に言われたことがありましたので、今度も110番通報をしました。
かなり長い時間警察官が説得してくださって「誤解が解けましたのでもう大丈夫です」と説明してくださり、本当にホッとしました。
その時にはパトカーが三台、警察官が六人も来てくださいました。「口喧嘩が始まったらすぐに呼んでください。外国人は何をするか分かりませんから」と言ってくださいました。
その後も迷惑行為は種を変え、品を変えて、絶え間がありません。それなのに彼は私にあうと、実ににこやかな笑顔を見せるのです。
あんな笑顔を向けて挨拶してくれる人に、悪意があるはずがないのです。
二階のトイレからキッチンにホースで水を流し、フローリングをデッキブラシで洗ってもです。私の住んでいる区画のキッチンはその真下にありますので大水害に遭いました。それは去年の大晦日の事でした。
彼を連れてきて天井から水が落ちているさまを見せてやめさせました。
先週の土曜日の事です。朝玄関の前にガラスに真っ赤なペンキを塗った間仕切りの引き戸が2枚立てかけてありました。
また彼の仕業だと思い110番通報をして警察官に来てもらいました。「器物損壊」と訴えるつもりでしたが、「民事不介入で、介入できません。ペンキを落として大家さんに迷惑をかけないように、注意しておきました」ということでした。
中がどうなっているか心配ですが鍵を開けて部屋の中を見ることもできません。彼の後入居者をすぐに入れられる状態かどうかも分かりません。
彼はすぐに二階の自分の部屋に引き戸を持ち帰りました。水を吹き付けて布で拭けば落ちると彼は言いましたが、私にはそうは思えません。ペンキもいろいろですから分かりませんが。
他にも幾度もトラブルがありましたが、いつも会うと実ににこやかに挨拶してくれます。彼が悪党なら、電気を止めガスを止め、水道迄止めて追い出すのですが、それができません。
彼はその後も、人懐っこい笑顔で私に会釈します。
2024年3月28日
佃煮にできるほどのゴキブリ
私たち夫婦は昭和48年に建てた8区画の木造アパートに2区画を使って住んでいます。
不動産屋に「外国人を住まわせたらいかがですか」と言われて日系ブラジル人を住まわせたのは昭和60年ころからでした。
それからペルー、アルゼンチン、ネパール、印度、フィリッピンなど驚くほど国際色豊かなアパート経営でした。
2年前の7月15日に入居させたパキスタン人は一番風変りでした。前の記事「トラブルメーカーが悪人なら」でもそのトラブルぶりを書きました。
私が今年6月12日にコロナウイルスに感染して24日新小山市民病院に入院する前に(パキスタン人)ラーゲィブ氏は6月分の家賃を払いに来ました。
退院してから7月27日ころ7月分家賃(15日に払うことになっていた)を払いに来ないので催促すると、指を立て「3日」と答えました。「3日後」という意味かと思っていましたが、払いに来ません。催促に部屋へ行って見ると鍵がかかっていて留守のようです。「8月3日」の意味だったのかと思い、8月3日に行って見るとやはり留守の様でした。
隣の部屋の住人が「1週間くらい前から居ない」と言います。もう少し、と待ってみましたが、待ちきれず鍵を開けて見ますと、ガスレンジ上の鍋に肉を煮てそのままになっていたものが強い悪臭を放っていました。
外国人を入居させるようになってキッチンに続く六畳と四畳半の部屋もフローリングにしていたのでしたが、入口から見渡すと床にも一区画全体に散らかした布団やジャンパー、マットレスなどの上にもゴキブリがもぞもぞ動いていました。動いていた奴も死んで干からびた奴、干からびる前に踏まれて床のしみになっている奴まで、足の踏み場もないほどになっていました。
汚くて手を触れることもできないほど汚れたものが、45ℓのゴミ袋で、20くらいありました。
やりきれなくなって便利屋に頼んで、ごみの処分と、便所の床掃除、シャワー室の床掃除をしてもらいました。
「ハウスクリーニング料金」として、10万円も払ったのに、何ともまだ汚くて、エアコンクリーニングや、ガスレンジのホース、湯沸かし器の配管の交換など、周りを掃除してからでなければ頼むこともできません。
暑すぎる気候と、自分の体力を考えて、1時間くらいしか掃除できません。あまりの汚さにうんざりして、「一回掃除すれば少しは綺麗になる、5回6回掃除すれば、後は人頼みにもできる。気長にやるしかない」と思っています。
この部屋の住人に私が寛容過ぎたと妻に責められます。
妻いわく、
「あなたは自分が嫌いで自分に厳しいのに、他人には優しいのね」
答えていわく、
「あなたにだって優しいつもりなんですが」
2024年8月24日
掃除、というより改修工事
キッチン、シャワー、トイレのハウスクリーニング費用とガラクタの処理で15万円近く払い、ゴキブリ退治の、燻蒸など数回もしました。
床に踏みつぶしたゴキブリのシミになってしまったもの、カラカラに乾いた死骸、生きた奴もチョロチョロ、掃き寄せ床に洗剤を撒きながらブラシをかけて、ようやく姿を見ることが少なくなりました。
一昨日・昨日と六畳間と四畳半の壁を塗装するために床と柱にマスキングをしました。
今日六畳間の壁、半分だけを塗装しました。壁の塗装は明日終わるでしょう。
毎日作業はできませんし、二階の暑い部屋ですので、朝のうち2時間くらいの作業しかできません。歯がゆい思いをしていますが、ようやく先が見えて、今月中には入居者を募集できそうです。
若い時でしたら、ハウスクリーニングはもとより、床の張り変えまでも自分で出来ました。
2千万円の借金でこのアパートを買い20年で返済しました。初めに借りた信金で年利7.2%、。10年後に借り換えして銀行金利は3.45%になりました。元利合計およそ4500万円でした。
払い終わった時私は72歳になっていました。
ここが私の「終の棲家」と思っています。
2024年9月21日
ようやく最終段階です。
ガラクタの始末とゴキブリ退治から始まって、玄関や間仕切りのガラス戸に塗られていた赤いペンキ落とし、壁の汚れは落ちないのでペンキで上塗りをし、先が見えてきたと思ったのです。
玄関スペースとシャワー室の間の壁が何か所も割れて穴が開いています。建てた時にはプロパンガスの風呂釜があった所が、外壁に付けた湯沸かし器に代わって空いたので、棚を付けてありました。それを強引にむしり取って壁を剥がしたようなのです。
私の手に負えなくなって便利屋の手を借りました。その代金2万円を払いました。
穴をふさいでもらった後塗装をして、棚板を買ってきて取り付けます。
道具やらマスキングに使った紙など散らかしていますが、掃除をして終わりです。
「やれ、やれ!」です。
2024年10月2日
修理した空き部屋に入居者が
最後の掃除をする段階になって、入居希望者が来てくれました。ネパール人の女性20代と30代の方です。二人で入ってくれると言います。もちろんネパール人の女性は歓迎です。男たちよりもきれいに住んでくれるでしょう。
今までここに住んだネパールの人たちは、言葉は少ししか通じませんでしたが、心情が通じて好ましく思います。 2024年10月9日
ネパールは今お祭りだそうです。
この人写真の人たちはすぐ近くの元マンションだったビルに居て学校に通っています。学校を卒業すると、就職できるのでしょう。私のアパートに入居した人もこの人たちのお仲間です。
こんなに着飾っているのはお祭りだからということです。
この人たちの一生に、日本での経験がお役に立てばいいとおもいます。
2024年10月13日
写真の掲載は本人の了解をいただいています。
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