タンポポの噴水

 このごろ田畑のあぜ道はもちろん、歩道の植込から国道の中央分離帯にまで、タンポポの花が咲いている。この辺りに咲いているのはほとんど西洋種である。
 私は長野県の生まれだから、子供のころ摘んだのはシナノタンポポだろう。茎が太めでずんぐりしていた。
 十本くらい摘んできて、花が横に曲ったのを選んで、その花の茎の根元の太いところに、ほかの花をちぎって、茎の細い方を差し込んで繋ぎ、さらに幾本かを繋ぎ、最後に繋いだ茎の根元に錘(おもり)をつける。バケツに水を汲んできて錘を沈め、花を吊り下げる。
 バケツごと物置小屋の屋根に持ち上げて、繋いだタンポポを吊り下げる。花の着いたものを一旦はずし、吊り下げた管状の茎に口をつけて水を吸い出す。サイホンになっているので水は続いて出ている。それに花の着いたタンポポを繋ぐ。先の花は首を曲げたものを選んでおいたので、花に近い茎に上むきに穴をあけると「タンポポの噴水」の出来上がりである。
 穴は爪楊枝で開けるが、水の勢いを見て大きさを調節する。細い水柱が上がり、砕けて落ちる。頭から被っても、仰向いて顔を濡らしても、心地よいほどのミニ噴水である。
 三年生くらいの時だったと思う。小学校の上級生がやっているのを見て真似をしたのであった。

 大勢で遊んでいて、目立つと邪魔にされるから、面白そうなことは見てきて自分一人でやってみるのが一番性に合っていたように思う。
 
 近所に同年生まれの男女二人の友達がいた。一緒に遊んでいるといつの間にか二人がいなくなっている。
 女の子は苦手なので、後で男の子を捕まえて「あの時どうしていなくなった」と締め上げると「湧ちゃんがいなくなったら二人っきりで遊ぼう、とAちゃんに言われて、土蔵の米俵の陰に隠れていた」と言う。
女の子は意地が悪い。

 山が好きだ。と言っても大きな声で呼べば家族に聞こえるほど近くの里山である。
 四月は蛇が出始めるころで、気味が悪かったが、ほとんどが「やまっかむし」といわれるおとなしい蛇で、咬みつかれたという話は聞いたことがなかった。最近になって、猛毒を持った蛇と知って驚いている。
 冬、雪の降る前に薪を取っておくのだが、雪が早く降ってしまえば、雪解け後に薪を取りに行かなければならない。
 足音を響かせたり、棒で木の根元を叩いたりして、蛇を追い払いながら山の中を歩いたのだが、山の中を歩くのは好きだった。
冬でも雪のないとき、平地に寒風が吹き渡っていても、薄日が射せば裸木が風を遮り、葉を落とした林の中は暖かだった。

 山際の畑には土地が痩せている上肥料を運ぶのが大変で、多くは施肥できなかった。毎年小豆か大豆を、麦と交代に作っていたが今は鹿の食害のため、耕作を放棄していると言う。

 先祖の城があったという山の、山裾の畑には雑木が侵入して来る辺りに柿の木があった。行く度に鎌で雑木や茨、茅などを刈り、山と畑の緩衝地帯にしていたが、今は畑まで完全に山の領分になった。

 あと四か月足らずで八二歳になる。いつの間にか私はそんな年になってしまった。十年くらい前からか、山や川、空や風のことを思い出すことが多くなった。
 一年前までは、郷里の山や川を舞台にした創作に励んでいた。『山のふところ』とそれに続く『証太の受難』『崩落』と三編の小説を書いた。五十枚ずつ三編の小説は、もう一編の『泉あふれる』とも関連している。
「日々の楽しみ」という題をいただいて、「私は毎日、何をしているのだろう」と痛切に反省している。
 毎日午後一時ころから、四時、五時までもテレビを見ている。でなければ古本を読んでいる。
 それらは警察物ばかりである。佐々木譲著『笑う警官』を読んだのがきっかけで、近所の古本屋から五十円、百円、二百円で買ったものが数十冊もあり、読み返したものをごみで出している。
 水樹先生の講座で「書くのは読むより面白い」ことを教えていただいたのに、この一年すっかり忘れていた。
 もう一度「一志証太」を私の創作の中で思い切り働かせてみたい。
平成二十九年五月記


【ピリカ文庫】タンポポの思い出を読みました。
自分の文章はもっとタンポポにこだわってそれだけを書いた方が良かったか、とおもいます。

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