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布団をいただきに
今日は、千倉から車で30分の岩井海岸へやってきた。
ひと月前に、山のおへそのご近所に住む明るいマダム大山さんから、親戚の営んでいる民宿で、まだまだ使える布団が不要になったという連絡をいただき、岩井にある大山さんの親戚が営まれている民宿ぬまたさんへ向かった。
岩井海岸からすぐそばにある民宿ぬまたさんは看板がなく、まるで千倉のおへそとおんなじだが、一歩敷地にはいると広い庭先を囲むように大人数が宿泊できる合宿用の宿泊施設だった。
「ほら今の子って背が高いでしょ
うちの布団だともう長さが足りない子が多くて、うちの息子がそろそろ2メートルの長さの布団に変えたほうがいいんじゃないかって言うもんだから、今回思いきって布団を入れ替えることにしたの。
でもまだまだ使えるしお役に立てたら嬉しいわ。」
と目鼻立ちがはっきりしていて
キレイな女将さんが言った。
「私も今年でおしまい
あとは若い方たちにこの宿を任せるのよ」と、それはとっても美しい終わり方を迎えていることが初対面の私にもわかるほど彼女の笑顔を満ちているように見えた。
徹也さんの車に入りきらなかった、掛け布団3枚を私の小さな車に乗せてからちょっと散歩しようかと、岩井海岸にむかった
うっすらと富士山が遠くにみえて
波は穏やかで、足元には貝殻やビーチグラスがひしめきあっている
その中から、東京で暮らすさくらにプレゼントのアクセサリーを作ろうと、かわいい貝殻を探した。
私は一歩進むとすぐにしゃがむから気がつくと徹夜さんは豆粒くらいになってしまい、遠くのほうで海岸を拾っているようだった
私は、今練習中の歌を、車でずっと繰り返しながら聴いていたから、それを鼻歌で歌いながら、時々忘れてしまう歌詞を頭の中で思い出しながら貝殻を拾った。
そのうち、折り返して戻ってきた徹也さんがすぐ近くにみえて、近づいてみると「今日の昼ごはん」といって
生きている貝殻を2つ手にもっていた。
それでも私たちはすっかりお腹が空いてしまったので、少し街を歩いてみようと歩き始めた。
岩井の町は、ぬまたさんのように合宿宿が立ち並んでいて、そこは人気がなく、とても静かで音がなかった。
徹也さんが立ち止まって、「きれいな庭だねー」とひとつの宿の門のから奥の綺麗な庭先を眺めていた。
ふと上を見上げると、窓のさんを雑巾がけしている女性がこちらをみて、手を繋いで歩いている私たちに「あら仲良しね!」と言って微笑んだ。
「素敵なお庭ですね」と女性に伝えたら、さらに目がさがるほど微笑んで
私もきっと同じくらい目が下がってただろう。
少し歩くと、ソフトクリームの看板を見つけた。
左手に曲がると酒屋さんがあるようだ。
ソフトクリームは甘いものを控えている徹也さんには残念だけど、私は行ってみようよと徹也さんの手を左へ誘導した。
酒屋さんの手前の右手の路地から「あっ!」という声がした。
そこには白いバンが止まっていて
パルシステムと書いてある。
その横に配達員の方で大きなマスクで目だけこちらを見て驚いている。
よく見ると、千倉にある安房暮らしの研究所という雑貨屋さんの店主の菅野さんだった。
「あれ なんでこんなところに居るんですか❓」私たちが聞くよりも速く菅野さんからそのセリフが飛び出した。
私たちは、お布団をいただきにきたこと、貝殻を拾って、お腹がすいたのでソフトクリームの看板を見つけて、酒屋さんへ向かうところだという簡単で気ままな時間を過ごしてきたことを話した。
「毎日お忙しいのに、こんなところにいるなんて」と菅野さんは言ったので、「そんなことないんですよ
ほら今日だって」と言った。
菅野さんは、「あれ僕この仕事してるって言ってましたっけ❔」と言ったので「うん知ってますよ配達もされてるんですよね」と言うと、「そうなんですよ。水曜日はこの辺をまわってるんですよ」と話してくれた。
こんな何もないところで会えるなんて
やっぱり菅野さんとは、きっと人生のどこかで出逢える人なんだろうと思った。
菅野さんと別れを告げて
わたしたちは酒屋へ入った
酒屋の奥からは、小さなお婆さんがでてきて、見慣れない顔の私たちに少し怪訝そうか顔をしていた
「ソフトクリームください」と言いながらメニューを見ていると、小さな酒屋さんのソフトクリームの割には、種類が豊富だ。
私は、ピーナッツソフトクリームが食べたいと思い、お婆さんにお願いしてみると
お婆さんは冷蔵庫を開けて、「うーんここにあるのは、バニラと抹茶と杏仁と、、、」とピーナッツは奥から出さないとない様子で、私は「そこにあるもので大丈夫です」と抹茶を選んだ。
お婆さんは手際よく丁寧に機械に抹茶をセットして、ソフトクリームを作ってくれた。
ソフトクリームを作り終える頃には
お婆さんは私たちを受け入れてくれたようで「どこかへ泊まっているの❓」と聞いてくれた
徹也さんがかつ「僕たち千倉で宿をやっていて、ぬまたさんにお布団をいただきにきたんです」と伝えた。
千倉
宿
というふたつのキーワードでお婆さんに許しを得たような、心の扉が開いたような気がした。
それから少しの間、岩井の町が寂しくなってしまったこと、お婆さんの家族も小さな宿を開いていることを話してくれた。
「千倉にも行きたいわね」と言ってくださって「ぜひ!」と言って徹也さんが千倉のおへそのカードを手渡した。
小さなカードにはゲストハウス千倉のおへそと書かれているのと、絵描きのちゅうさんが描いてくれた家と犬と波を合わせたロゴが大きく描いてある。
お婆さんは「あらすてきね」
と言って目をくりっとさせて、そのロゴを眺めていた。
数分前とはまるで別人のような少女のような瞳だった。
「また会いましょう」とお婆さんは私たちを見送ってくれた。
岩井海岸の波のように、穏やかで、訪れるものをそっと受け入れてくれるこの町の人が居心地がよくて、次は夕陽の沈む岩井海岸に訪れたいなと思いながら、布団を詰め込んだ車に乗り家に帰った。
そして帰宅後、1月22日のインド行きの飛行機のチケットをとった。
なんとなくチケットを取るには、1番良い日になった。