掌編小説『今は撃たないで』
今は撃たないで
三十も目前になって僕が未だ内省的で自分に自信の持てない人間であるというのには――あるいはそういう人間に仕上がった、と言うべきか――いくつか理由が考えられるわけだが、そのひとつはやはり「信用されているという感覚」の乏しさだと思う。「信用されているという感覚」を持ち出すとき、僕の場合それは他人に対してよりも家族に対するものの方が大きかった。例えば母親は僕のことをどこか根本の部分では信用していない、あるいは頼りにしていないのだろうということが、彼女の言動や態度の端々から伺えた。それは僕がまだ幼かった時から今でも変わらない。別に母親にないがしろにされて育ったわけではない。あくまで普通の核家族の家庭の末っ子として、どちらかと言えば甘やかされてきた方だと思う。それでも幼いながらに常に信用されていないという感覚が僕の心の中にはあった。例えば家族の間で何かしらの話し合いがあったとき、僕の意見は全く聞き入れてもらえないし、母親が困っている時に僕が何か助言をしてもそれは無視された。聞かれたから答えた場合でもそうだった。この子の言っていることが正しいわけはない、という思いが少なからずあったに違いない。そして後になって僕が言ったことが正しかったなんていうことがよくあるのだ。こうして僕は、自分は信用されていない、どうせ言っても無駄なんだと思うようになり、必要最低限以上の言葉を発しなくなったわけである。特に助言や意見のような発言に関しては。そしてその結果、僕は自分が話すことにくらべてより多くの人の話を聞くことになった。
今らか十年ほど前、僕が大学一年生だった頃、同じサークルの他学部の先輩が一度だけ僕に話してくれたことがあった。当時の僕らは特に親しい間柄ではなかったので、それまでほとんど一対一で話したことはなかった。だからそのとき彼と話したことが今でもとても印象に残っている。彼は僕に向かってこう話してくれた。
「一見手が届きそうもない場所に向かって手を伸ばしてみても、やはりそれに触ふれられることを保証されてはいません」と彼は言った。基本的には誰にでも敬語で話す人だった。僕みたいに年下であっても。「いわば自己責任のようなものです。そして無謀だと他人が言うのも理解できます。しかしそれでも私は手を伸ばさないわけにはいきません。きっと原因はあります。でもこれは他人には説明のしようがないことです。もし言語化してしまうと、私の中にある繊細な、あるいは脆弱な部分が崩れ落ちてしまうような気がするのです。私は正直それが怖くもあり、また一方ではそうなることを望んでもいます。アンビバレンス、二律背反ってやつですね。でも敢えて言うとすれば、そこにわずかでも可能性がある限り手を伸ばさない理由はない、ということです。これはとても個人的な問題です」
僕は彼の話を黙って聞いていた。彼の言っていることは僕にも理解ができた。というのもその当時の僕ほとんど彼と同じだと思ったからだ。でもその時期がつらかったかと言えば決してそんなことはない。それは―つまり、手を伸ばす先にわずかだが存在する可能性は―僕の心を温めていたし、その手を引っ込めた今でもなおその温もりを思い出すことができる。それはあるときはおそろしく遠くにあり、またあるときはどこまでも近くにあるものだった。そしてその可能性と一度目を合わせてしまうと、そこから目を逸らすことは容易ではなかった。彼もきっとそのことに気付いていたはずだ。
そして十年が経った今、こうして彼と青山の道端で再会し、僕らは喫茶店に入ってコーヒーを飲んでいるところだった。その店はレトロな雰囲気のある外観に比べ、内装は比較的モダンな造りになっていた。清潔感があって居心地が良かった。店内の有線からはスピッツの『夜を駆ける』が小さな音で流れていた。
彼は大学生の時と同じように黒縁の眼鏡をかけて、レギュラー・カラー・シャツのボタンを一番上まで留めていた。僕は彼にあの時話してくれたことを覚えているのかどうか聞いてみた。
「もちろん覚えています」と彼は言った。喋り方はあの頃の記憶のままだった。「あの時はたぶんどうしても誰かに言いたかったんだと思います。それで君と対面していると、自然にそれが出てきてしまった。覚えていてくれたんですね、そんな昔のこと」
「どうしてだかわからないけど、とてもよく覚えています。それで、ふとそのことについてもう一度聞いてみたくなったんです。もちろん嫌なら構わないけれど」
彼は当時と同じように丁寧に、そしてある程度の熱を持って話してくれた。
彼は当時、僕と話した少し後で、他人が想像するよりも大きな、まるで地盤を揺るがし生活を奪っていく地震のように心を大きく揺さぶられ、精神を乱されることになったようだ。彼はあるときふと、これまでに感じたことのない感情に駆られた。伸ばした手の先が見えなくなったのだ。ほんの些細なことがきっかけだった。そしてその感情は静かにそして力強く彼の心を蝕んでいった。そのとき彼は世界の端っこに足をかけようとしていた。柵に手をかけ、靴を脱いでいた。柵を掴む手は震え、身体は空しく脱力していた。何かを正常に思考する機能は停止し、世界の外側の引力に抗えずに吸い込まれそうになっていた。どれくらいの時間そうしていたかはわからない。しかし気付けば彼はその脱力した腕を誰かにつかまれ、世界の端から連れ戻されていた。「ほら、柵から手を離して、靴を履いて」という声が聞こえた(ような気がした)。その腕の感触は柔らかくて温かく、身体はまるで血流が戻ってきたように力を取り戻していった。
「それは知っている人だったんですか?」と僕は訊いた。
「はい。知っているというか、私が一方的にですけど」と彼は言った。そして続けた。
彼の腕を引いて連れ戻した〈誰か〉は、もう大丈夫、心配することはないと言うように微笑むと、すっと何処かへ姿を消してしまった。彼はもう世界の端にはいなかった。ちゃんと世界の中心にいて、その足で地を踏みしめていた。そのとき彼の胸の中に、山の裾のから太陽が昇るみたいに徐々に光が差してくるのが分かった。胸はじんわりと温かかった。そこで目が覚めた。どうやら気付かないうちに彼は眠り込んでしまっていたらしい。カーテンを開けるともう朝になっていた。じんわりとした感覚を胸の中に感じながら窓の外を眺めた。とてもすっきりとした気持ちだった。得体の知れない夜はもう明けたんだ、そして俺はこちら側にいる、と彼は思った。
ベッドから出るとトイレで用を足し、洗面所に行って熱いお湯で髭を剃り、冷たい水で顔を洗い、歯を磨いて髪を整えた。それから服を着替えて朝食に食パンを焼いてコーヒーを入れた。なんとなくテレビを点けると朝の情報番組がやっていて、そこに〈誰か〉が出ていた。映画か何かの宣伝のためにゲストとして来ているみたいだった。その顔は彼の腕を引いていた時と同じ微笑み方をしていた。彼はそれを見てなんだか嬉しくなった。しかしそれと同時に彼の頬には熱い涙が流れていた。どうしてだろうか、その涙はずいぶんと長い間とどまることを知らなかった。
「今でもときどきその感覚が蘇ってくることがあります。その瞬間というのは本当に恐ろしいものです。一度経験したからと言って決して慣れるものではありません」。そう言って彼は眼鏡をスエードの布で丁寧に拭いてからかけ直した。
喫茶店を出て彼と別れた後、僕は根津美術館の脇を曲がり、骨董通りを歩いて地下鉄の駅に向かった。空は今にも雨が降り出しそうな六月の鈍色をしていた。その向こうに太陽があるなんて信じられないくらいに分厚い雨雲が僕の頭上を覆っていた。雨に降られる前に早く地下に潜ってしまおうと、歩を早めた。
地下鉄に乗って家に帰るまでの間、僕は自分のこれまでの生き方を振り返っていた。それはある種の癖のようなもので、手持無沙汰になるとよくそうしていた。
――幼稚園、小中高と経て大学の四年間を過ごし、やがて社会に出なくてはならない年齢になったとき、その時点でまだ僕はそれ以降の人生の生き方を上手く身に付けてはいなかった。僕にとっては大学生までが可視化された人生であり、それより先は不透明で、いわば想像の領域でしかなかった。そしてそれはある意味では望んではいない世界でもあった。
というのも僕はいつの時代にも夢を持っていた。夢を持っていたと聞くと人は汗水流して必死に努力している姿を思い浮かべるだろうが、決してそういうわけではなかった。そしてその夢というのは歳を重ねれば重ねるほど他人から軽くあしらわれるような種類の夢だった。ピアニスト、スポーツ選手、画家、小説家、バンドマン等。サラリーマンになることは少しも考えてはいなかったし、自分は芸術家になるのだとどこかで信じ切っている節があった。でもその夢に向かって努力をしているのかと問われれば、僕はその都度口ごもることになった。
他の同年代のみんなは夢を語りながらも実際にはもっと現実を見ていたし、学生でありながらその先の生き方を身につけているように見えた。でも僕には学生であるという生き方しかわからなかった。大学まではそれでよかった。学生である間は学生として生きていればよく、いくらでも夢を語ることができた。素晴らしい未来図の上をいくらでも自由に泳ぐことができた。そしてそういう人には(僕みたいな、ということだ)誰もその先の実際的な生き方を教えてはくれなかった。いや、学ばなかったという方が正しいかもしれない。なぜなら学生というのは学生としていくらでもやり過ごすことができるからだ。学校に通い、勉学に勤しみ、友達と遊び(あるいは恋人を作り)、部活に励み、単位を取得し、卒論を書けばそれでよかった。例えば面接や社会でうまく立ち回る術なんかは、自ら学ぼうとしなければ、必修科目ではないのでいくらでも避けることができた。元々そういう振る舞いが得意な人は苦労しないが、自分は違った。違うのに学ばなかった。
子供の頃は、誰しもが「将来の夢はなんですか」と様々な場面で聞かれるように、夢を持つことが良いこと、誉められるべきこととされていた。そしてその夢は大きければ大きいほど良いとされた。例えば夢は会社員だと言う子供は「つまらないやつ」だと言われた。別に夢を大きく持つことを批判するつもりはないが、大人は子供に夢を持つことを(半ば強制的に)推奨しながらも、ある程度の年齢までいくと一転、夢を捨てて現実を見ろと言う(僕の場合は幸いなことに―実際にそれが幸いだったのかどうかはわからない―親は僕の夢を反対することはなかったのだけれど)。もちろん夢を追ってもらいたいという気持ちが大人にあることもわかるし、早く一人前に稼いで暮らしていけるようになってほしいというのも分かる。どちらが良いどちらが悪いとかではない。しかし大人は子供に「夢を持つこと」を教えるのではなく、「目的に向かって具体的な努力をすること」を教えた方がいいと思うのである。……とまあ、ここまでさんざん弁を垂れてきたわけだけれども、これが子供のまま大人になった僕の言い訳であることくらいはわかっているつもりだ。
そういうわけで(どういうわけだ?)僕は無為に大学生活を送り(個人的には充実していたと思っている)、夢を叶えるでもなく就職するでもなく卒業し、なんとかアルバイトとして洋菓子工場で働かせてもらうことになった。アルバイトをしながら職を見つけよう、あるいは夢を追おうと考えていた。もちろん洋菓子工場で働きたいと思ったことなんかなく、チラシを見たら家から近く、なんとなく自分でもできそうな仕事だと思ったからだった。しかしその工場も四年半働いた結果、過労とストレスで体調を崩してやめた。それが今年の始めのことだった。
電車が地上に出た頃に窓から外を見ると、雨は強く降っており、西の方で稲妻が光るのが見えた。僕はこの先の人生について考えた。言ってしまえば今は無職の身だ。職を失うことで社会との接点をなくし、そのことで強い孤独を感じて自ら柵の向こうへと消えてしまうという選択をする人も少なくない。幸い僕にはそんな選択肢はなかった。こちら側に留まっている。無職というのは言い換えればどこにも属していない自由の身であり、僕はそれをむしろ喜びすらした。そして現在自分は何者でもない。何者でもないという状態は不安定な橋の上を渡っているようなものだが、逆に言えば何者にでもなれる可能性があるということでもあった。その橋を渡った先には無限の可能性が広がっているように見える。まだ見ぬ景色。悪くない響きだった。
僕はその可能性の光に再び手を伸ばそうとしていた。かつて僕がそうしていたように。そして彼がそうしたように。思えば僕はいつだって〈誰か〉の視線を感じていた。その〈誰か〉を見つけては、目が合うたびに安心して笑っていた。
だからお願いします、もしこの鈍色の空から神様が僕に向けて稲妻の銃口を向けていたとしても、どうか今は撃たないでください。僕は今生きていて、手を伸ばす先にあるはずの、まだ見ぬ景色を見に行かなくてはならないのだから。
〈了〉