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「即興ではできない」―大木 毅『歴史・戦史・現代史―実証主義に依拠して』(2023. KADOKAWA・角川新書)を読む

本書は、『独ソ戦』の著者で、別名赤城毅(作家)でもある、大木毅氏による新著である。『独ソ戦』のような一テーマ書き下ろしの本ではなく、ここ数年雑誌や新聞等に著者が公表して来た、総じて短い文章を集成したものである。
「まえがき」と「あとがき」を除く本文は、第一章(「ウクライナ侵略戦争」考察)、第二章(「独ソ戦」再考)、第三章(「軍事史研究の現状」)、第四章(歴史修正主義への反証」)、第五章(碩学との出会い)から成る。それぞれ興味深い論考を含んでいる。

表紙(帯付き)写真


例えば、第一章のウクライナ侵略戦争に関する諸考察をまとめた部分で、著者は、ロシア側のこの戦争の認識において、軍事的合理性や政治的利害得失を超越したイデオロギー闘争としての色彩を濃くしていることを指摘する。この大木の考えによれば、ロシアは決して合理的な妥協をすることはない。
一方ウクライナの側は、このようなロシア側の闘争の相手として、厳しい試練を受ける。大木はこれを一国が総力を挙げることを求められる「負荷試験」と呼ぶ。ウクライナがもしこの厳しい負荷試験に耐えることが出来なければ、ウクライナのみならず世界は、再び過去の弱肉強食の暴力的国際関係の波に呑み込まれて行くことを大木は予測し、「西側」としてウクライナを支援する日本もまたそこから都合良く逃れることは出来ない、と主張する。
なお、この私の要約だけだと、ロシアが主、ウクライナが従、という一方的な物語論的構図のように見えてしまうが、大木自身は勿論そんなことを主張しているわけではない。
私なりの補足をする。現代軍事戦略の専門家である高橋杉雄氏は、『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか』(2023、文藝春秋・文春新書)の中で、ロシア・ウクライナ戦争の最も大局的な意味での特徴を「アイデンティティ」を巡る戦争、と規定した。私は、noteに投稿した記事「文献紹介:高橋杉雄「ロシア・ウクライナ戦争はなぜ始まったか」(高橋杉雄編著(2023)『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか―デジタル時代の総力戦』文春新書 所収)」(2023.7.29. https://note.com/narrative_arch/n/n474aa5c497e6)で、同書の主に第一章を要約・紹介することで、このことを確認した。
つまり、ロシア側に、前述のような軍事的・政治的合理性を超えた、極めて大局的な目標(アイデンティティの物語)が存在するのだとすれば、ウクライナ側には、その歴史を通じて培われて来た、「ウクライナ」の確立と真の生成を巡るやはり「アイデンティティの物語」が存在する。ウクライナに厳しい「負荷試験」を耐えさせるものは、明らかにこの物語の存在である。(なお、以上の記述では、高橋氏の概念の紹介の途中から、私の物語論的乃至物語戦的概念に滑り込んでしまっていることを、念のため注記しておく。)
 
その他興味深く且つ重要な論考が目白押しに並んでおり、例えば私にとっては、第四章に収録されている「戦争の歴史から何を、いかに学ぶか」における「古い軍事史」と「新しい軍事史」を巡る議論は有益であったが、一つ一つ紹介・論述して行くと長くなってしまうので、ここでは私が最も面白いと思った一つのテーマ、と言うより大木氏の「問題意識」とでも言うべきもののみに着目し、紹介すると共に筆者なりの若干の考察を試みる。
 
第二章に、「社会政策としての殺戮」と題された短い文章が含まれている。これはアメリカの歴史家ティモシー・スナイダーの書物『ブラッドランド』の紹介という体裁を取っている。原著は2010年に出版され、2015年に『ブラッドランド―ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(上下。布施由紀子訳、筑摩書房)という邦題で出版された。正確に言えば、大木による紹介は、これに基づき、原書増補・改訂版の加筆・修正を反映した、2022年、ちくま学芸文庫版の方を直接の対象としている。(なお私が読んだのは2015年版の方である。)
周知のように、スナイダーの『ブラッドランド』は、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア西部、ポーランド、バルト三国等を含む一帯を、ヒトラーのドイツとスターリンのソ連によって挟撃され、徹頭徹尾、破壊・蹂躙された「血の土地 (blood lands)」(訳書では「流血地帯」)と位置付け、その虐殺の様相を克明に跡付けた歴史書である。ここでスナイダーは、窮極の虐殺者としてのヒトラーとスターリンを西と東の二人の主人公として、20世紀前半から半ばにかけての東欧・中欧を舞台に、凄烈な歴史の物語を描き出している。代表的な虐殺の手段は、「銃殺」「ガス殺」、そして「餓死殺」であった。また、強制連行や強制収容、強制労働が、それらに伴っていた。
グラスノスチの時代のソ連がようやく自ら(スターリン)の犯罪であると認めたが、今プーチンが再度ヒトラーの犯罪であると主張し始めているとの報道(下記)もある、ロシア西部「カティンの森」における二万人以上のポーランド人将校を中心とする大虐殺も、ブラッドランドにおける一つの悲劇的な出来事であった。それだけでも胸が苦しくなるが、ブラッドランド全体での惨劇は、凄まじい規模に上る。
 
東京新聞 TOKYO Web
「ウクライナ侵攻批判に歴史修正で対抗 ロシアが「カチンの森の虐殺」を否定」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/273230
 
ロシア・ノーヴァヤ・ガゼータ
“Впереводе на Катынь”
https://novayagazeta.ru/articles/2023/04/19/v-perevode-na-katyn-media
 
スペイン・El Pais
“Russia rewrites the history of 22,000 Poles murdered by Soviet forces during World War II”
https://english.elpais.com/international/2023-04-28/russia-rewrites-the-history-of-22000-poles-murdered-by-soviet-forces-during-world-war-ii.html
 
大木は『ブラッドランド』の紹介文の中で、ミヒャエル・ガイヤーによる「社会政策としての戦争」という1986年の論文を引用している。ガイヤーは、大木の文章を直接引用すると、「戦争には「社会政策」の側面があり、それは征服された国家ばかりではなく、占領した側の社会構造も変えていく。ナチス・ドイツのやったことはまさにそれだとする指摘」(pp.88-89)をしている。なお、大木の注記によれば、ここで言う「社会政策」は、社会問題解決のための福祉等の公共政策ではなく、「社会改編・構築政策」と呼ぶべきものとのことである。しかしながら、それもまた広義の社会政策であろうと、私は感じる。
大木によれば、スナイダーが描いたのは、第一次大戦から第二次大戦後まで「ブラッドランド」で展開された、以上のような意味での「社会政策」であった。そしてその最大の特徴は、その手段が、戦争に留まらず、組織的・意図的な虐殺(飢餓も含まれる)をも含んでいた、ということであった。
大木は、「「流血地帯」の惨劇がけっして偶然に生じた原始的野蛮への回帰ではなく、「社会政策」としての意味を持ち得るがゆえに現実になった」/「二十世紀の「流血地帯」に生じたことが、いつか、世界のどこかで起こらないとは、なんびとたりとも断言することはできまい」(共にp.91)と述べている。
 
さて、第四章に収録されている「軍事・戦争はファンタジーではない」というエッセイの中に現れる、「即興ではできない」(p.201)という著者大木の言葉に、私は感銘を受け、この紹介文の表題にも引用させていただいた。
ロシア・ウクライナ戦争において、ロシアが、「大量の死体埋葬資材を持ち込んでいたこと、また陥落したマリウポリをはじめ、占領地域から穀物五十万トン以上を略奪したり、市民数十万人を強制連行したことなど」(p.201)すなわち「集団埋葬の準備や資源、抑留民の輸送など」(p.201)は、「即興ではできない」/「開戦前から準備していたはず」(p.201)、ということをそれは意味している。
それは、前の(虐殺や強制連行等を含むものとしての)「社会政策としての戦争」という概念につながる。
私が以前noteに投稿した記事「粛清と暗殺の魅力―成田悠輔や島田雅彦のいる風景」(2023.7.21. https://note.com/narrative_arch/n/n84cd81141aac)の中で、「高齢者集団切腹勧奨論」を唱えていた成田悠輔を批判(?)したのは、成田の言説の中にこの種の「社会政策論」が見当たらないからであった。言うまでもなく、それで良いのだが。
 
以下は、ここで紹介した大木の意見に触発された私自身の考察である。
戦争という非日常的な、平時の常識が引っ繰り返されたような状況になると、人間はしばしば残酷・野蛮になり、その隠されていた恐ろしい一面を剥き出しにする、といった意見が、時に唱えられる。これは必ずしも間違いではないが、「社会政策としての戦争」が展開されている情況への視点が欠落した議論に我々をミスリードしやすい論述であることも事実である。
ロシア・ウクライナ戦争において、虐殺や多数の子供を含む強制連行等を、現実的に遂行する多くの人々は、異常な情況の中でたまたま人間の残酷さや野蛮さを発現させたと言うより、イデオロギーやアイデンティティの強固な物語に支えられながら、「社会政策」を担当する末端の・具体的な人々として、その社会的役割を「粛々と」果たしていた(る)と考えた方が良い。
無論、例えばスターリンやヒトラーの命令下、多数の人々の処刑を担当させられた係員の中から、多くの自殺者や発狂者が出た、ということは、同時に、そのような状況において人々は必ずしも「人間性」を完全に欠落させていたわけではない、ということを示唆している。しかし、成し遂げられたことの規模の大きさから考えると、その種の現象の方が寧ろ誤差であり偏差であった、と考えることが、強く妨げられるわけではない。
私の考えでは、(虐殺や強制連行を含む)「社会政策としての戦争」の遂行能力は、歴史的な継続的行使を通じて形成されて来た、ある社会におけるスキーマ・スクリプト乃至「型」として、獲得されて行く。この種の型を内蔵した社会においては、「即興ではできない」社会的行動が、容易に実行され得る。あるいは、歌舞伎やジャズの例で良く知られているように、上手に即興をこなすためには寧ろ型の修得が必須である、とすれば、背後に一定の型が存在することによって、場に応じた即興行動が容易に遂行され得るようになるのである。
前述のカティンの森を巡る解釈の揺れを見ても分かるように、ロシア・ウクライナ戦争の展開を通じて、そのイデオロギーとアイデンティティの物語を剥き出しにし始めたロシアにおいて、その独自の型が全く衰えてはいなかったことが示されている。
 

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