アーネスト・ヘミングウェイ:武器よさらば(膨張する本の記録―【シリーズ1】昔読んだ小説類の記録2)
その1
作者:アーネスト・ヘミングウェイ [Ernest Hemingway]
題名:武器よさらば [A Farewell to Arms]
発刊:1929年
物語の時代:第一次世界大戦期 [During World War Ⅰ]
物語の主要舞台:イタリア、スイス [Italy, Switzerland]
このシリーズの1で紹介した、洒落た箱入りの旺文社文庫版の有島武郎『生れ出づる悩み』を、私は当時住んでいた住まいの近くの商店街にあった新刊書店で買ったと思い込んでいるが、もしかしたら違うかも知れない。昔の個人的なことで検証のしようがない(その頃は日記も確か書いていなかった気がする)が、あるいは同じ商店街の中程にあった古書店で買ったのかも知れない。(前の本の話ですみませんが、気になるので書いておく。)
その古書店は、私が物心付いた頃からずっとあって、新刊書や週刊のマンガ雑誌も売っていた。小学年の低学年の頃は、よく『少年キング』、『少年マガジン』、『少年サンデー』等のマンガ週刊誌を買い、少し学年が上がるとマンガの単行本を買うようになった。店の親父さん(お爺さんに見えたが、きっと今の私と同じか、少し年下位だったのだろう)は、何やら気難しい感じの人で、店で子供が立ち読みするのを許さず、シッシッという感じで追い払っていた。私もびくびくして怒らせないように気をつけながら本を物色していたが、もっと学年が上がって小説も買うようになると、私に対するおじさんの態度が柔らかくなって行くのを感じた。他の子供が立ち読みしていると例によって追い払うのだが、私が立ち読みしていると、心なしかニコニコした表情になった。結局、必ず買う客だから、ということで理解可能なのだが、気楽な気分になってその古書店兼新刊書店で、小学校高学年から中学の初め頃にかけて、いろいろな小説を買った。シリーズ初回に記録・紹介した有島武郎『生れ出づる悩み』は、実はその本屋で買ったのではないかという気がして来た。読者の皆さんにとってはどうでも良いことなのだが、気になったので書いておいた。
つまり、その頃読んだ本は、その中身は大方忘れてしまっているのであるが、それを買ったり、読んだりした状況、シチュエーションの方を、よく覚えていたりする。あるいは、明瞭に記憶していなくても、何となくその本の記憶が、買ったり読んだりした状況とのセットとして、頭の中に収納されている気がする。そこで、何処で買ったのか、どうやって読んだのか、あるいは入手するきっかけは何だったのか、といった、本の内容自体とは異なる、本に関わる周辺状況を探索することにも、何らかの意味があると考えるのである。
さて、今回記録・紹介しておこうと思うのは、アーネスト・ヘミングウェイの有名な作品『武器よさらば』である。これは多分、『生れ出づる悩み』を読んだ時期より後だが、殆ど同じ時期に読んだと思う。読んだきっかけとして覚えているのは、テレビで特定の作家とその作品を紹介するシリーズが放映されていて、その中でヘミングウェイの『武器よさらば』が扱われていたからのような気がしている。同じ放送シリーズの別の回では、フランツ・カフカの『審判』が取り上げられたように覚えている。
但し、この種の記憶が当てにならないことを、その後のいろいろな経験から私は認識している。
ヘミングウェイとも小説とも関係ないが、以前本か論文を書いている時、私が最初に歌舞伎座で見た芝居の演目の詳細情報を確認しておこうと、歌舞伎座の近くにある(地名だと築地だと思う)、松竹の大谷図書館に行ったことがある。そこでは、歌舞伎公演の筋書(公演毎に発刊・販売される冊子)を見ることが出来る。簡単に調べが付くと思って、1970年代の初め頃の筋書を見て行ったが、私自身が信じていた演目はその年のすべての筋書を何度見返しても出て来なかった。年度の記憶が誤っていたのかと思い、前後の年も調べたが、出ていない。しかし、記憶していた年度に、私が見て強く印象付けられた二人の役者が共演している公演があった。しかし演目は、私が強く確信していたものとは、全く違っていた。結局、初めて歌舞伎座で見た芝居は、それだったのだろうと納得するしかなかったが、二人の役者のうち一人が主演した、私がそれだと信じていた演目は、何時見たのか、その記憶は全く曖昧だった。見たのは確かだと私は信じているが、もしかしたら他の役者の同じ演目の芝居と重ね合わせて妄想を作り出してしまった可能性すら、完全に否定することは出来ない。
という具合に記憶というものは当てにならないので、『武器よさらば』という小説を知り読もうと思ったきっかけが、本当にそのテレビ番組であったのか、それは今では確認のしようがない。しかし私自身の記憶のストーリーの中では、その紹介に刺激を受け、本屋に買いに行って、読んだことになっている。
しかし、『武器よさらば』という小説をその時に初めて知った訳ではない、ということは、他の記憶からほぼ確かだと思われる。小学校の高学年の時、近所の知り合いの家に、もと中学校の先生をしていた方から、週一位の頻度で勉強を習いに行っていた。その家の本棚には、日本と世界の文学全集が数十冊も置いてあり、途中から、私の目的は勉強を習うことではなく、それらの本を見て、貸してもらうことに変化していた。自宅にも子供向けの文学全集や百科事典はあったが、それでは物足りなくなっていた。借りてそのまま読む本もあったし、入手しておきたいと考えて自分で買うこともあった。マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』、石坂洋二郎の『若い人』、山本有三の「路傍の石」や「真実一路」等は借りて読んだ記憶があるが、有島武郎やヘミングウェイの小説は、借りたことがあるかも知れないが、自分で買っておきたいと思った本だったのだろう。
さて『武器よさらば』を何処で買ったのかと考えると、記憶がない。その頃(昭和46(1971)年の春頃?)本を主に何処で買っていたのかという、より総括的な記憶に頼れば、恐らく商店街の端にあった(今もある)新刊書店か、あるいは私鉄の駅の近くにあった新刊書店(今はない)ではなかったかと思う。上で紹介した、ちょっと怖い(しかしその後私には優しくなった)おじさんがいた商店街の中程の本屋ではなかったことは恐らく確かである。何故かと言うと、『武器よさらば』は、その頃ちょうど出始めた講談社文庫版を買ったのだが、講談社文庫は怖い(しかし優しい)おじさんの本屋には置いてなかったと、記憶しているからである。但し、この記憶が正解かどうか、今では検証しようがない。
講談社文庫が本屋の棚にまとまって並んでいるのを見た時、心が浮き立つような気がした。こんなことを今書いても誰も分からないと思うが、その当時の文庫本は割と地味な色合いのものが多かったのに対して、講談社文庫の外国文学のカバーはオレンジ色で、本屋の中でもはっきろと目を引くような明るさを持っていた。日本文学の方は、割と濃い緑色だったと思う。『武器よさらば』の他、カフカの『変身・断食芸人』や、大江健三郎の『万延元年のフットボール』等は、講談社文庫のオレンジや緑の色と共に記憶されている。
アマゾンにあったので紹介しておく。色が大分くすんでいるが、もっと新しく綺麗なオレンジ色が本屋の棚に並んでいたら、辺りがちょっと明るい感じになることは、想像してもらえるだろう。
以下のように、この電子書籍版も購入することが出来るようだ。
1971年の春頃読んだのは確かだと思うが、どうやって読んだのか、どの位掛かって読んだのか、等は忘れてしまった。しかし一つ確かなのは、この小説を読んで感激し、大きな衝撃を受け、また大きな影響を受けた、ということである。ただ、どんな影響なのか?と問われると、返答に迷うが。
有島武郎の「生れ出づる悩み」も、物語における構造ないし形式と内容との両面において、優れた範を示していた。しかし初めてそれを読んだ時、私は内容と表現(これも広く捉えれば形式の中に入るかも知れないが)に囚われて、物語の形式と内容を巡る問題意識に気付くことはなかったと思う。勿論『武器よさらば』はそのすぐ後に読んだので、私の文学意識(?)がそんなに進歩していた訳がない。しかし、『武器よさらば』を読んで、私は、物語というものが、そこに書かれた内容だけでなく、それをどのように示すかという構造や形式にも支えられていることを知ったように思う。
ただこれを純粋に自力で知ったとは思えない。そこで思い出すのは、講談社文庫版『武器よさらば』の翻訳者で、巻末の解説も執筆していた高村勝治氏によるその解説の文章である。解説全体については忘れたが、その中に多分、シェイクスピアの演劇にも喩えられる『武器よさらば』の形式・構造の美について言及されていたように覚えている。そこだけは妙に強い印象を受け、そのような観点から小説を読むことも出来るのか、と感じたように思う。
無論、その時、今の私が感じているように明瞭な意識で、物語における構造・形式と内容の問題を私が意識した、というのは嘘であり、作り過ぎの回想である。そんなに頭が良かった訳がない。しかし同時に、高村勝治の解説のその部分に強い印象を受け、そのような観点からも小説や物語を読める、という意識が芽生えたのは、それ程「盛り過ぎ」の回想ではないと思う。
『武器よさらば』は極めて作り込まれた小説である。俗に「ハードボイルド」と言われる簡潔な文章は、殆ど詩を書くように書かれたのではないかと思う。前に読んだ有島の『生れ出づる悩み』における「過剰な文章」とは対極にあるような文章である。
同時に、その文章は決して象徴的な文章でも、あるいは比喩的な文章でもない。比喩や形容は極端に少なく、何が起こったかが淡々と描かれているだけだった。
但し、「心の中が描かれない」訳ではなく、一人称で語られる物語のその語りて=主人公の心の中は描かれる。しかしその描き方は、所謂心理描写による描き方ではなく、「直接的な心理記述」によって描かれる。つまり、説明文がなく、主人公の心の中が言葉によって直接的に表現される。「内的独白」である。ヘミングウェイはパリに滞在してその当時のヨーロッパの前衛小説の影響も受けていたので、そのような手法を応用したのではないかと思う。
ここまで、『武器よさらば』の構造や形式や表現を中心に述べた。しかし、その当時の私が最も感動したのが、その小説の内容であったことは間違いない。『誰がために鐘は鳴る』もそうであるが、『武器よさらば』でも、主人公がキャサリンという女性と戦争による怪我の治療をしていた病院で出会うと(キャサリンは看護師である)、すぐに相思相愛の中になる。
その後の人生の中で私は、男性の中には、そういうタイプの少数者と、そうでないタイプの多数者がいることを知ることになり、そして私自身が多数者の方に属することを知ることになったが、この小説を読んでいた頃は、まだそういうことは知らなかった。そこでこの「大恋愛小説」の中身にも、何ら臆するところなく、すっかりはまってしまった。
そう、『武器よさらば』を一言で言えば、「恋愛小説」である。しかも、例えばスタンダールの小説のように恋愛の手練手管が描かれる訳ではない。恋愛はごく自然に始まり、雷鳴の中、湖を渡る逃走劇という劇的場面を経て、(おかしないい方だが)ごく自然に、悲劇的結末を迎える。ある意味、物語の定型に忠実に従っている。「運命」は戦争である。二人はそれに立ち向かうと言うより、それからの逃走を図る。そして失敗する。
しかし、ごく平凡な二人の、失敗と悲劇に終わる恋愛の物語は、運命を超えるある価値の光を帯びる。
優れた多くの物語がそうであるように、この物語のストーリー自体には、何ら非凡な部分がない。しかし、平凡さが明瞭な構造によって組み立てられる時、物語は非凡さを獲得する。
この小説にはヘミングウェイ自身の実体験も影響しているだろうが、それをこのような一見平凡な虚構として構築する能力の点において、ヘミングウェイはの才能は並外れている、と私は思う。
しかしそういう小難しいことを考える代わりに、ヘミングウェイスタイルに影響を受けた私は、近くの文房具屋で大量に原稿用紙を買い込み、せっせと小説「のようなもの」を書くことが毎日の習慣になった。会話が多く、従って余白が多かったので、原稿用紙が余分に必要だったのである。
やがて、原稿用紙が勿体ないと思うようになり、逆に余白なしにぎゅう詰めの文章を書くようになって行った。登場人物の行動や会話ではなく、その時の思考や考察で原稿用紙を埋め尽くさないと気が済まなくなり、小説のようなものは、「のようなもの」ですらなくなって行った。
・・・ヘミングウェイに影響を受けて自発的な文章を書き始めた私は、逆にヘミングウェイとは全く異なるスタイルの文章を書くようになって行った、ということに今更ながらに気付いた。
(noteに書くなら、またヘミングウェイ風の簡潔な文章にした方が良いか? しかしながら、その後英語でも『武器よさらば (A Farewell to Arms)』を読んだが、その文章は単なる簡潔な文章ではなく、もっと特殊なものだ。真似することは無理に違いない。)
最後に、アマゾンで入手可能な本を何冊か紹介する。